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新池遺跡(ハニワ工場公園)

(住宅群に近接している日本最大のハニワ製造工場の遺跡)
所在地及びアクセス:

 高槻市上土室(かみはむろ)一丁目
新池遺跡所在地図
 JR東海道線(京都線)「摂津富田」駅下車。駅の北側に近接している高槻市営バス乗り場から「公団阿武山・日赤」、「日赤・公団阿武山」、「大阪薬大前」、「西塚原」行き(阿武野校前経由と宮田公民館経由の二つがあるが何れでも可)のいずれかのバスに乗車し「上土室(かみはむろ)」で下車する。来た道を一寸引き返し東側(左折)に向かう道を入り数十メートル進むと左手に新池遺跡(ハニワ工場公園)の入り口がある。バス停から新池遺跡まで徒歩3〜5分(バス停が二ヶ所あり「循環」表示のあるバスは、表示のないバスに比べ徒歩距離が若干長くなる)。

 近くに番山古墳、二子山古墳、闘鶏山古墳(いずれも別ページに記載)等があり、同日に見学可能である(但し、闘鶏山古墳は現在、近くで見学できない)。

 高槻市営バスの「JR富田駅」発車時刻(9:00〜17:00の間について)は次の通り(2004年8月1日改正、2004年11月現在)。
平日 土曜日 日曜日・祝日
09 05 15 25 35 50 05 20 35 50 05 20 35 50
10 05 12 20 35 50 05 20 35 50 05 20 35 50
11 05 20 35 42 50 05 20 35 50 05 20 35 50
12 05 20 35 45 50 05 20 35 50 05 20 35 50
13 05 20 35 50 05 20 35 50 05 20 35 50
14 05 20 35 50 05 20 35 50 05 20 35 50
15 05 20 35 50 55(T) 05 20 40 50 55(T) 05 20 35 50
16 05 20 35 45 53(T) 05 20 35 42(T) 50 05 20 35 50 57(T)
 (T)は「西塚原」行き。その他は「公団阿武山・日赤」、「日赤・公団阿武山」、「上の池滞留所」、「大阪薬大前」行きの何れかであるが、何れの行き先のバスでも可。「循環」表示の有無は不問。また、経由は「阿武野校前」と「宮田公民館」の二つがあるがどちらに乗車してもよい。

見所など:

 新池遺跡(新池埴輪製作所遺跡)は日本最古で最大級のハニワ製造工場があったところとされている。
遺跡全景
 直上の写真は新池遺跡の全景で、遺跡は手前の池と奥に見えるマンション群との間に拡がっている。

 ここに工場が造られ、ハニワの製造が始まったのは西暦450年頃とされている。当時、ハニワは太田茶臼山古墳のために造られたらしい。480年頃には窯、住居共に新設され、番山古墳などのハニワを焼いていたと推定されている。更に、530年頃には今城塚古墳のために窯が多数造成され、ハニワの生産量は最大となり、今城塚には数万本のハニワを送り出したといわれている。

 発掘調査から、ここには窯の数18基、作業場が3棟あったと考えられている。直下のコピー(高槻市教育委員会発行の「ハニワ工場公園」の案内パンフレットより)は発掘調査中の新池遺跡である。
遺跡発掘状況
 ハニワの製造工場は日本全国で約90ヶ所発見されているらしいが、天皇のためのハニワ工場の全体像が明らかになっているのは、この新池遺跡だけといわれている。

 この埴輪製造工場は約100年間稼働した後、550年頃以降からは大きな古墳が築造されなくなったため、この工場も閉鎖されたらしい。
遺跡標識石柱
 新池遺跡は国史跡に指定されており、遺跡(史跡)を表す標識(左の写真)が立てられているが、これには『今城塚古墳附』の文字が見られ、主として今城塚古墳の埴輪をここで製造していたことを表している。

 この遺跡は公園として整備され、ハニワ工場公園と命名されており、入場無料で一般に公開されているが、見学者が非常に少なく、ゆっくりと見学することができる。
埴輪のレプリカ
 遺跡内には遊歩道が設けられており、かつて製造されていたハニワの複製品(左の写真)が遊歩道脇に展示されている。
漫画による説明板
 また、遊歩道脇にはハニワの複製品の他に、京都精華大学のヨシトミ教授によって描かれた漫画によるハニワの説明パネルが設置(左の写真)されていて、子供にも興味を持って理解できるように配慮されている。
窯跡
 このハニワ製造工場にあったとされる18基の窯の存在していた場所は全て明らかにされている。

 遺跡内の芝生の上に帯状にサツキやドウザンツツジの木が植えられているのを見ることができる(左の写真)が、これはハニワを焼くための窯のあった場所とその形状を表すために植えられたものされている。
復元した窯
 左の写真は復元された窯、1号と2号ハニワ窯の2基の窯である。18基の窯の内この2基が復元されている。
作業場
 上述したように作業場(工房)が3棟あったとされており、その内、2棟が完全に復元されており(左の写真)、あと1棟は床面だけが復元されている。

 作業場の土間は正方形に地面を掘り下げられて造られており、面積は約40坪で、当時の住居の5倍程度あったらしい。

 現在、窯と作業場は復元されているか、又は復元されないまでも、存在が明らかにされているが、当時、整っていたとされるハニワ製造職人の住居跡にはマンションなど住宅が建てられており、その跡を見ることが出来ない。
枇杷の木
 「ハニワ工場館」の横に野生のビワの木が植えられている(左の写真)。木には『古代人も食べた野生ビワ』との見てきたような説明書きが付けられている。
野生の桃の木
 ビワの木と同様、「ハニワ工場館」の横に野生の桃の木が植えられており(左の写真)、季節には小さな桃の実を付けている。この木にも『古代人も食べた野生の桃』と書かれた説明書きがある。
保存されている窯
 公園の一番奥には、「ハニワ工場館」がある。この館内には発掘された状態のままの窯が保存展示されている(左の写真)。この窯は西暦530年頃に造られたと考えられているトンネル式の窯で、18号ハニワ窯と呼ばれているものである。規模は長さ8.2m、幅2.5mで、新池遺跡で最大の窯とされている。

 遺跡の周辺は住宅が建て込み、中高層のマンション群に近接しているが、遺跡自体は非常によく整備されている。ただ、あまりにも現代風に整備されすぎており、当時の面影を偲ぶにはピッタリしない面がある。

 (参考:高槻市教育委員会発行のハニワ工場公園のパンフレット、及び同委員会名の土室遺跡群解説掲示板)
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Yukiyoshi Morimoto