ホーム > 古墳一覧(古墳みてあるき) > 今城塚古墳 > 今城塚古墳第九次発掘調査

今城塚古墳発掘調査
(平成17年度、第九次)

今城塚古墳の所在地及びアクセス:

 今城塚古墳」のページを参照してください。

発掘調査が行われた場所など:
第九次発掘調査箇所図その1
 左及び直下のコピー(原形地図は1998年高槻市教育委員会発行「史跡・今城塚古墳」より)は今城塚古墳の第九次発掘調査場所の図であり、左の図は古墳全体の中で今回該当の発掘調査区域を表したものである。
 なお、第7次以前の発掘調査場所については第七次発掘調査のページを、また、第八次発掘調査場所については第八次発掘調査のページを参照して下さい。
第九次発掘調査箇所その2
 左の図は古墳前方部の内濠に接した部分の図である。第九次発掘調査が行われた場所は左の図で示した通り、前方部の西南側で内濠跡に近い(接した)部分である。

第九次発掘調査期間:

 第九次発掘調査は2005年6月27日から開始され、現地説明会は2005年8月28日正午〜午後3時に行わた。

前方部の西南隅で内濠に接した場所(1トレンチ):
1トレンチ円筒埴輪列(1)
 左の写真は1トレンチで発掘された円筒埴輪列で、ロープで示された直線上に約10cm間隔で並んだ状態で合計35個の円筒埴輪が発掘された。
 この埴輪列は前方部の内濠に接した縁近くで縁に平行に並べられていた。

 円筒埴輪列は古墳の内と外を隔てる役割をはたしていたものと考えられている。
1トレンチ円筒埴輪列(2)
 左の写真は発掘された円筒埴輪列の一部分である。埴輪の径は約30cmで直線上に並んでいるのがわかる。
前方部南西隅部分の模式図
 直線上に並べられた埴輪は古墳の西南隅で直角に曲がって並べられている状態で発掘された(後述)。左の古墳前方部西南隅の模式図で小さい丸印が発掘された円筒埴輪を表している。前方部西南隅部分で、この図の点線で示しているように墳形にあわせて円筒埴輪が鋭角状に並べられているのが普通の並べ方であるが、今回発掘されたものは普通の並べ方になっていない。このように直角に曲がって配列されているのは珍しいという。
1トレンチ円筒埴輪列(3)
 左は円筒埴輪列が直角に曲がっている場所の写真である。写真でロープが直角に曲がっている位置から手前に向かっている埴輪列は古墳前方部西南隅から東の方向に伸びている埴輪の列である。

前方部盛土調査個所(2トレンチ):
2トレンチ盛土調査箇所
 左の写真は前方部盛り土状況の調査個所である。墳丘の盛土は粘土質の土を用い、何回か水平面を造りながら丁寧に積み上げられているというというが、写真からはその状況がよく把握できない。

 墳丘の南西隅部分は古墳の形状を比較的良好に保っていたとされ、地震による崩落は小さかったようである。

前方部二段目の盛土状況の調査と葺石の確認個所(3トレンチ):
葺石の確認
 左の写真は3トレンチの内、前方部の縁に平行に掘られた個所である。

 写真でほぼ中央に手前から奥に一列に並んだ葺石(基底石)が見られる。その右側の平らな個所が古墳周囲の設けられた帯状の平坦部分、テラスである。
3トレンチ勾玉発掘状況
 前方部正面の二段目裾と埴輪列の間の幅、即ち前方部テラス幅は約6mとされ、これは後円部のテラス幅約3.5mより広い。このことは、古墳の正面が前方部であるとの裏付けになるという。古墳の正面については学説が分かれていたようで、今回の発見がそれを決める注目すべき成果と云われている。

 左の写真は3トレンチの内、前方部の縁に対しほぼ直角に墳丘の奥の方向に向かって掘られた個所である。

 この試掘溝の葺石部分から約5mほど奥の場所から勾玉(後述)が出土した。写真で中央やや上の位置に見える標識の位置が勾玉出土場所である。
出土した勾玉
 左の写真は出土した勾玉である。勾玉の大きさを判断しやすいように右側にタバコを置いている。

 勾玉の全長は3.3cm、厚さ0.9cmとされており、紐を通すためと思われる穴が開けられている。この勾玉は盛土の中から単独で出土したようで、何故この場所に埋まっていたかはわからないという。

今回の発掘調査による成果は:
(1)前方部隅での円筒埴輪の配列が普通に見られるような鋭角状に曲がっているのではなく、直角に  曲がっており珍しい配列になっていること。
(2)古墳の正面が前方部とする裏付けが得られたこと。
にまとめられるようである。

2005年9月5日新規収載
古墳一覧のページ 今城塚古墳のページ このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto