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天龍寺

所在地及びアクセス:

 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68

 阪急京都線「大宮」駅下車。京福電鉄嵐山線の電車に乗り換え、終点の「嵐山」駅で下車する。改札口を出ると道路を隔てて総門(山門)まで直ぐ。
 又は、阪急京都線「桂」駅で阪急嵐山線に乗り換え、終点の「嵐山」駅で下車する。北の方向に進み、嵐山公園(中之島地区)を通り抜け、渡月橋を渡り北の方向に200〜300m進むと左手に天龍寺の総門(山門)が見える。阪急「嵐山」駅から徒歩約10分。

天龍寺の縁起:
朱印
 暦応2年(1339年)に吉野で没した後醍醐天皇の霊を鎮めるため、夢窓国師を開山として、足利尊氏が亀山離宮を禅寺に改めたのが当寺の創始であるとされている。

 当初は建設のための資金調達に苦慮したようであるが、天龍寺船による対明貿易により利益を上げ、貞和元年(1345年)に完工したようである。当寺は至徳3年(1386年)に足利義満により京都五山の第一位に格付けされた。因みに、第二位以下は相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の順であり、南禅寺は五山の上とされている。

 天龍寺は15世紀前半に最も栄えたが、足利家の没落や、戦乱により次第に衰退したようである。建築物は何回かの戦火のために焼失し、創建時のものは殆ど残っておらず、建物は明治以降に再建されたものらしい。

 明治2年(1869年)に滴水宜牧らが復興に努め、現在の規模になったのは1900年頃といわれている。

天龍寺境内配置:
境内配置図
 総門から法堂までの間、天龍寺前庭の南北に位置している寺院及び境内西南部に位置している宝厳院は天龍寺の塔頭(たっちゅう)である。

見所など:
総門
 天龍寺の入口、「総門」(左の写真)は想像していたよりも小さい。「総門」には『大本山天龍寺』と書かれた標識が掲げられており、ここから長い参道が方丈まで続いている。

 この「総門」の南側に天龍寺の境内に入ることのできる入口があるが、こちらの入口は人も通ることができるけれども、主として境内にある駐車場へ向かう車両の乗り入れ口として使用されている。
中門
 「総門」を通って西の方向に数十メートル進むと、もう一つの門がある。これは「中門」(左の写真)になると思われる。「総門」から「中門」を通る参道の右側(北側)には塔頭が建ち並んでいる。塔頭は天龍寺前庭を挟んで参道の南側にも建ち並んでいる。参道左側(南側)は楓の木が植えられており、秋には見事に紅葉する。
前庭の紅葉
 左の写真は参道の南側にある「天龍寺前庭」の一部である。この庭園には楓の木が多く植えられており、写真に見られるように晩秋には木々が見事に紅葉する。

 天龍寺は京都の紅葉名所の一つに挙げられているが、「天龍寺前庭」の紅葉に負うところが多い。
塔頭の紅葉
 左の写真は参道の南側にある自動車の通行する道路の傍にある紅葉した楓である。多くの塔頭に面したこの通りも晩秋は紅葉に彩られる。
庫裏
 参道の行き着いたところに「庫裏」(左の写真)がある。ここが諸堂への参拝入口になっている。この「庫裏」の左側(南側)が本堂に当たる「大方丈」である。
大方丈
 左の写真は曹源池畔の北端から見た「大方丈」である。「大方丈」は明治時代に建設されたといわれる大建築で、周囲が回廊になっており、回廊からの拝観が可能である。また、回廊から「曹源池庭園」が鑑賞できる。

 「大方丈」には藤原時代の作とされる本尊、木像釈迦如来坐像が安置されている。創建以来、天龍寺は八回の火災に遭っているといわれているが、この本尊はこれら全ての火災を免れているという。また、襖絵には龍が描かれているが、これは若狭物外の筆になるという。

 本尊、木造釈迦如来座像
重要文化財に指定されている。
曹源池庭園(1)
 天龍寺を有名にしているのは「大方丈」の西側に展開している「曹源池庭園」である。この庭園は名園中の名園として著名である。左の写真は曹源池畔から北側を見た「曹源池庭園」の一部である。

 「曹源池庭園」は夢窓国師の作庭とされているが、亀山離宮の庭園を利用したとの説もあるようである。

 この庭園は池中に立石群を配し、嵐山、亀山を借景として取り入れ、独特の日本画のような美しさを見せている。

 直下の写真は曹源池北側から見た「曹源池庭園」である。撮影時期は11月末。写真左端に僅かに見えているのが「大方丈」の屋根である。「曹源池庭園」は背景の嵐山など巧みに取り入れた借景式庭園であることが写真からもわかる。
曹源池庭園(2)

 直下の写真は曹源池南側から見た「曹源池庭園」である。右端に見えているのは書院である。撮影時期は11月末。
曹源池庭園(3)

 直下の写真は「大方丈」の回廊のやや南寄りの場所から見た「曹源池庭園」である。撮影時期は4月中旬。この位置からの方が池中の立石群が良く確認できる。
曹源池庭園(4)
大方丈から見た曹源池の紅葉
 左の写真は「大方丈」の中から見た「曹源池庭園」の一部である。庭園があたかも額の中の絵のように見える。
曹源池庭園の石組み龍門瀑
 「大方丈」から見て曹源池奥の山際に左の写真に見られるような「龍門瀑」と呼ばれている石組みがある。この石組みは遠山渓谷を表し、渓流が池に流れ落ちる場所に大きな石を置いて滝の水の落ちるさまを表現し、これに鯉魚石を配して鯉の滝登りの様子を表しているという。この石組を見て我々は鯉の滝登りをイメージできるであろうか。

 天龍寺の建物が明治以降に再建されたものである中、「曹源池庭園」は殆ど創建時のままの姿をとどめているとされている。


 「曹源池庭園」国史跡であり、日本で最初に指定された国特別名勝である。
多宝殿への渡り廊下と紅葉
 「大方丈」から見てかなり離れた北西の方向に「多宝殿」が建てられている。「多宝殿」へは「大方丈」、「書院」の廊下から渡り廊下を通して行くことができる。

 左の写真は渡り廊下の一部で、この周辺も晩秋には紅葉を見ることができる。
多宝殿
 上述のように渡り廊下を渡ると「多宝殿」(左の写真)に着く。

 ここは禅宗最初の道場壇林寺の旧跡で、後嵯峨、亀山両天皇が離宮を造営した場所といわれている。他の建物と同様に「多宝殿」も何回かの火災に遭っており、現存のものは昭和9年(1934年)に再建されたといわれる建物である。
多宝殿内
 この場所は後醍醐天皇が幼少の頃勉学し成人した所でもあるといわれている。後醍醐天皇の聖廟とされている「多宝殿」の室内には左の写真の中央奥に見られるように天皇の像が安置されている。

 建築様式は吉野で没した後醍醐天皇に因んで吉野朝時代の紫宸殿造りとなっている。
枝垂れ桜
 「多宝殿」の前に大きな「枝垂桜」(左の写真)の木がある。寺の説明によれば、この枝垂桜はこの付近随一の桜という。確かに木も大きく見事な花をつけているが、随一と言えるほどのものかどうかは見る人によるであろう。
天皇菩提塚
 「多宝殿」の前、枝垂桜の傍に「後醍醐天皇菩提塚」(左の写真)がある。

 天龍寺は後醍醐天皇の霊を鎮めるために建立されたという縁起からもわかるように、後醍醐天皇の聖廟とされ、天皇の像が安置されている「多宝殿」の前に菩提塚が造られているのは極く自然であろう。
東司
 「曹源池庭園」の南側に「東司
(とうす)(左の写真)と表示されている建物がある。ここは写真でもわかるようにトイレである。禅寺ではトイレのことを東司というが、たとえ禅寺の中であっても公衆トイレのことを東司と呼ぶのは、今では他であまり目にしないように思われ珍しい。

 「東司」の意味についての考察はここをクリックし参照して下さい。
多宝殿近くの庭の紅葉
 天龍寺は京都の紅葉名所の一つに挙げられているのは、「天龍寺前庭」の紅葉に負うところが多いことは前述したが、他に紅葉が見られる場所は前述の「曹源池庭園」、「多宝殿」の周辺やそれに「曹源池庭園」から「多宝殿」の西側に広がっている小高い「望京の丘」など、境内全般にわたっている。

 左の写真は「多宝殿」の北西側にある庭の紅葉である。
望京の丘
 左の写真は「望京の丘」に見られる紅葉の一部である。「望京の丘」には遊歩道がつけられており、晩秋には紅葉を鑑賞しながら散策することができる。

 「大方丈」の東側に「法堂」が建てられているが、この天井に加山又造画伯による雲龍図が描かれている。この絵は平成9年に描かれたものであるが、それ以前にも同じ天井に雲龍図が描かれていた。
硯石
 明治32年(1899年)に法堂が再建され、その時天井に鈴木松年画伯により仏法を守護するといわれる大きな龍が描かれた。龍を描くに際し、60人余りの僧が墨をすったという。

 左の写真は「多宝殿」の北側の庭園の中に置かれている大きな「硯石」であるが、説明によれば、この「硯石」は明治32年に龍を描いた画伯と当時の管長とを偲ぶために残されていると書かれているが、確かにその時の硯石であるというような表現ではない。

 この「硯石」を拝すると書道が上達すると伝えられ、全国から多数の人々が参拝に訪れるという。

 天龍寺には重要文化財に指定されている絵画、書跡など多数あるが、これらの見学拝観は通常できないようである。有名なものとしては天龍寺船が持ち帰った天龍寺青磁の花瓶と香炉があるとされているが、これも見学はできないようである。

 天龍寺には数多くの塔頭があり、晩秋には紅葉で彩られる塔頭寺院も多いが、それらの内、天龍寺境内の西南部に位置している「宝厳院」の庭の紅葉が特に有名である。
宝厳院の紅葉
 左の写真は「宝厳院」の境内「獅子吼の庭」の紅葉風景である。広大な庭一面の楓が紅葉し見事である。季節には多くの見学者でかなり混雑する。

 天龍寺境内の北西部に後嵯峨天皇陵及び亀山天皇陵がある。天皇陵としてはその規模は大きくない。天皇陵のそばまで近づくことはできないが、ここに天皇陵のあることは観光客にはあまり知られていないようである。

2009年1月12日最終更新
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