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禅寺のトイレ:なぜ「東司」、「西浄」か

 日本のみならず外国でもトイレの別名は種々雑多であり、別名の数の多さではその右に出るものは他に類を見ないであろう。
洋式便器
 一般の家庭では使われていないが、禅寺ではトイレのことを「東司」ということが多いようであり、時として、「西浄」という言い方もあるようである。「東司」では京都、東福寺のものが有名で、日本最古のトイレ建築物として重要文化財に指定されている(下の写真、詳細は別ページ「トイレは文化財か?・・東福寺の東司・・」参照)。

 その他、「西司」、「東浄」もそれぞれ「東司」、「西浄」に対する用語として見られるようであるが、あまり使われていないように思われる。

 「東司」は普通「とうす」と読むが他に「とす」、「とんす」、「とうじ」、「とっす」などとも読むらしい。「西浄」の読み方は「せいじん」、「せいじょう」、「せいちん」などである。


 禅寺では、トイレのことを、何故、方角を含む言葉である「東司」、「西浄」と表現する(した)のであろうか。

 伽藍の東側にあったから「東司」というのであり、西側にあったのを「西浄」という、との説をまことしやかに述べている書がある。この考えは分かり易いが単純すぎる。
東福寺の東司
 「司」、「浄」の意味は何か。何故「東」と「司」がくっついているのか、「西」と「浄」の関係は何か。これらについて全く考察していない。

 それに、例えば、東福寺の「東司」は境内の西南の隅にあり、本堂から見ても西南側にある。こんな例は他に幾つもある。要するに『東側にあるから「東司」というのである』との説には納得できないのである。

 また、禅寺で、仏殿・法堂において座位が東方にある役僧が用いる便所を「東司」、西方にある役僧が用いる便所を「西浄」という、との説もある。これも単純な考え方と思われる。

 これも、最初の説と同様、「司」、「浄」の意味を明らかにしていない。それに、この説であるならば、一つの寺に「東司」及び「西浄」と名の付く少なくとも二つのトイレがなければならない。私はこのような寺を知らない。
和式便器
 別ページ(「トイレは文化財か?・・東福寺の東司・・」)でも述べたように、寺のトイレは僧侶の精神修行の場であったと考えられる。

 修行により、人間界から西方十万億の仏土を隔ててある極楽浄土、即ち「西方浄土」に行けることを目指したのである。この修行の場を「西浄」と言ったのはごく自然であろう。

 一方、現実に目を向けると、世の中には多くの矛盾があり、現状打破による改革がなければ、全ての良民を西方浄土に導くことが出来ない、と考えたのは当時のインテリである僧侶としては当然であったものと思われる。


 「東」という言葉に「鎌倉幕府」の意味がある。権力の中枢であった「幕府」を司ること、即ち支配することが何よりも必要であり、そのための諸策を考える場としてトイレが使われたのであろう。この場を「東司」という一見当たり障りのない言葉で表現したと考えられる。

 「西浄」に達するためには、先ず、「東司」がなければならない、ということから、「東司」の方がトイレの表現としてより広く用いられたのであろう。

 言語学や時代考証等の面で専門家から見れば、この考え方に問題があるかも知れないが、当時のことに関し本当のことは誰もわからないのである。想像力を駆使して自由な発想を楽しみたい。
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Yukiyoshi Morimoto