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賀茂御祖神社(下鴨神社)

所在地及びアクセス:

 京都市左京区下鴨泉川町

 京阪電車「出町柳」駅又は叡山電鉄「出町柳」駅下車。駅西側の高野川に架かった河合橋を渡り、直ぐ北側(右折)に向かって進むと「糺
(ただす)の森」の中の参道に出る。駅から神社楼門内まで徒歩約10分。

下鴨神社の由緒:

 西暦紀元前の崇神天皇の時代(BC90年頃)に神社の瑞垣の修造が行われたという記録があるといわれている。ただ、神社が出している幾つかのパンフレットに記載されている具体的な創祀年は、何故か一定していない。細かいことは抜きにしても、創祀は有史以前に遡るほど古いらしい。
朱印
 社殿が造営されたのは西暦450〜500年頃といわれているようであるが、天武天皇6年(677年)とするのが確からしい。

 延暦13年(794年)に桓武天皇が平安遷都のため、当神社に行幸されて以来、皇室との繋がりが強くなったといわれている。平安京遷都以降は皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称せられるようになり、大同2年(807年)には正一位となり伊勢神宮に次ぐ地位が与えられ、伊勢神宮と同様、齊王(
さいおう:神社に奉仕する未婚の皇女)がおかれたという。

 この神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」であるが、通称名である「下鴨神社」のほうが一般にはよく知られている。
糺の森の中の参道
糺の森:

 神社は3万6千坪の広さをもつ「糺(ただす)の森の北側に位置しており、参道はこの森の中を縦断している(左の写真)。「糺の森」は古代の山城国の名残をとどめている自然環境とされ、国史跡に指定されている。

 森の中、参道に平行して西側に馬場が設けられており、ここで毎年5月3日には「流鏑馬(やぶさめ)神事・平騎射」が行われる。
縁結びの木
縁結びの御神木:

 楼門の前、楼門に向かって左側に「縁結びの御神木」がある(左の写真)。この木の根元は二本あるが、写真でわかるように、右側の木の幹が左側の木の幹の中に入り込んでおり、奇妙な形になっている。

 この「縁結びの御神木」の傍に祀られている下鴨神社の末社「相生社」の神威によって二本の木が一本に結ばれたといわれ、陰陽和合、縁結び、安産子育て、家内安全の御神徳の現れであるとされている。

 この御神木は四代目とされているが、これが枯れたとしても代を次いで、御神木が糺の森の神域に生まれるといわれており、京の七不思議として古くから有名であるという。
楼門
楼門:

 「糺の森」を抜け、参道の行き着いた先にある大きな鳥居をくぐると、奥に朱塗りの鮮やかな「楼門」(左の写真)が建っているのが見える。

 現存の
「楼門」は寛永5年(1628年)に建て替えられたものとされ、重要文化財に指定されている。
舞殿
舞殿:

 楼門をくぐると広場があり、その中央に建てられている「舞殿」(左の写真)が目につく。下鴨神社の中で特別な殿舎ではないように思われるが、目を引く場所に建てられているためか、妙に印象に残る建物である。

 現存の「舞殿」は寛永5年(1628年)に建て替えられたものとされ、重要文化財に指定されている。
御手洗社
御手洗社:

 「御手洗社(みたらししゃ)」(左の写真)は井戸の上に建てられていることから「井上社」ともよばれており、本殿の東側に位置している。

 社の前の池は「みたらしの池」とよばれ、毎年7月の土用丑の日には多くの人がこの池に足を入れ厄除け、病除けを祈るという「足つけ行事」が行われる。また、この池に湧く水の泡を人の形にかたどったのが「みたらし団子」で、ここがそれの発祥の地という。
言社
言社:

 「言社(ことしゃ)」(左の写真)は「えとの守り神」ともいわれ、中門の内側、幣殿の前に建てられている。写真では三つの社が見えているが全部で七つの小さい社で構成されている。

 大国主命は七つの名前を持っており、名前ごとに祀られているので七つの社になっているという。それぞれが十二支の守り神として、また、商売繁盛の神として信仰されているようである。


 「言社」重要文化財に指定されている。
東本殿
本殿:

 幣殿の奥に「東本殿」、「西本殿」が建っている。左の写真は幣殿を通して見た「東本殿」である。

 幣殿の外からは、御簾や柱などに阻まれていて本殿の全体像を見ることは出来ない。
直接本殿を見るのは畏れ多いということかもしれない。

 「西本殿」には賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、「東本殿」には玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られている。

 現存の
「東本殿」、「西本殿」は文久3年(1863年)に建造(造替)されたものであるとされ、神社建築の代表的な社殿といわれ国宝に指定されている。
大炊殿、御井
大炊殿・御井:

 左の写真は、有料で公開されている「大炊殿(おおいどの)」(左側の建物)と「御井(みい)」(右側の建物)である。両建物は本殿の西側に位置している。

 「大炊殿」、「御井」とも平安時代の「鴨社古図」にも書かれているらしい古い建造物で、いずれも重要文化財に指定されている。現存する建物は寛永5年(1628年)に造り替えられたものという。

 「大炊殿」はお供え物の内、主として飯、餅など穀物類を調理する場所で、「御井」はお供え物の調理に用いる水を汲む井戸であったとされている。
大炊殿
 大炊殿の入口の土間には竈があるが(左の写真)、見た目には随分綺麗であり、最近改修されたものと推測される。流し台や用具類なども時代を経過した迫力を感じさせるものがないように思える。

 これらは展示のための複製品が並べられているのではなかろうか。


 何れにしても、神社のなかでこの種の建築物が現存するのは極めて希で、貴重な社殿であるという。下鴨神社を訪れたときは見学しておきたい社殿である。

重要文化財としての建造物:

 下鴨神社には国宝に指定されている本殿2棟(上述)と重要文化財に指定されている社殿53棟があり、事実上、殆どの建造物が重要文化財である。

下鴨神社と葵祭:

 下鴨神社の代表的な祭りとして、毎年5月15日に上賀茂神社と合同で行う葵祭(賀茂祭)がある。葵祭は欽明天皇5年(545年)に始められたとされており、平安時代には祭りといえば葵祭のことを意味したといわれているくらい有名で、源氏物語や枕草子にも登場する。

「格式のある神社二十二社参拝」のページへのリンク:

 「格式のある神社二十二社参拝」のサイトにも「下鴨神社」について記載したページがあります。ここをクリックして下さい。
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Yukiyoshi Morimoto