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賀茂御祖神社(下鴨神社)
(かもみおやじんじゃ(しもがもじんじゃ))
下鴨神社所在地図 下鴨神社へのアクセス

 京阪電車「出町柳」駅又は叡山電鉄「出町柳」駅下車、駅西側の高野川に架かっている河合橋を渡り、直ぐ北側(右折)に向かって進むと神社の参道になる。駅から神社楼門内まで徒歩約10分。

祭神、神徳と伝説

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
 世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除のほか方除、厄除け、入学就職試験などの合格、交通・旅行・操業の安全などの御神徳のある神とされており、西本殿に祀られている。それにしても御神徳の多い神様である。

玉依媛命(たまよりひめのみこと)
 婦道の守護神として、縁結び、安産、育児などのほか水を司る神とされており、東本殿に祀られている。
朱印
 玉依媛命が鴨川で身を清めていると丹塗りの矢が流れてきた。この矢を拾って、床に置いたところ矢は男神になり、玉依媛命はこの男神と結婚し子供をもうけたという神話があるらしい。玉依媛命が縁結び、子育ての神として信仰されているのは、この言い伝えに由来しているとされている。

由緒

 下鴨神社の創祀は明らかではないようであるが、崇神天皇7年(BC90年)に社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年(BC2年)には御神宝が奉られたとする記録があるという。詳細は別として、創祀は西暦紀元以前に遡るものと考えられている。

 社殿が造営されたのは西暦450〜500年頃といわれているらしいが、天武天皇6年(677年)とするのが確かなようである。

 延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京遷都のため行幸、御親斎されてから皇室との繋がりが強くなったといわれている。平安時代には皇城鎮護の神として高い地位が与えられたという。
秋の糺の森
 神社の正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」であるが、通称名の「下鴨神社」のほうがよく知られている。

糺の森

 神社は古代の山城の国の名残をとどめている「糺の森(ただすのもり)(左の写真:秋の糺の森)の北側に位置しており、参道はこの森の中を縦断している。

 「糺の森」国史跡に指定されている。

 祭神の
賀茂建角身命は人々の訴え事をこの森の中で聞いて、正邪の裁きをしていたという言い伝えがあり、「糺(ただす)」という名はこれに由来しているという。家庭裁判所が糺の森の南のはずれにあるが、これは偶然の一致だろうか?
楼門
楼門

 糺の森の間の参道を抜けると大鳥居があり、その奥に「楼門」が建っている(左の写真)。「楼門」重要文化財に指定されている。

 「楼門」の手前に陰陽和合、縁結びの御神徳の現れであるといわれている「縁結びの御神木」がある。この木の根元は二本あるが途中で一本の幹が他の幹の中に入り込み、一本となって上に伸びている奇妙な形の木である。これは傍にある末社「相生社」の神威によるものという。
舞殿
舞殿

 「楼門」をくぐると正面に「舞殿」が見える(左の写真)。「舞殿」は葵祭りの時、勅使が御祭文を奏し、舞人が東游を舞うところとされているようである。

 目立つ場所に建てられているためか数多い殿舎の中でも印象に残る建物である。

 現存の「舞殿」は寛永5年(1628年)に建て替えられたものとされ、重要文化財に指定されている。
中門
中門

 「舞殿」の奥(北側)に「中門」がある(左の写真)。現存の「中門」は寛永5年に建て替えられたものといわれ、重要文化財に指定されている。

 「中門」をくぐると、
重要文化財に指定されている「干支の守護神(言社)」が並んでおり、また、正面に「幣殿」が建っている。通常、「幣殿」の前で奥の本殿に向かって参拝する。
東本殿
本殿

 「幣殿」の奥に「祝詞舎」(一種の廊下)が伸びており、その先に「西本殿」と「東本殿」が建っている(左の写真は幣殿から見た東本殿)。

 幣殿の外からは柱や御簾などに遮られ「本殿」の全体像を見ることはできない。
直接本殿全体を見ることは畏れ多いということかもしれない。

 現在の「東本殿」、「西本殿」は文久3年(1863年)に建て替えられたものといわれ、神社建築の代表的な社殿として「国宝」に指定されている。

三井神社、葵生殿
三井神社
 大きい神社には一般に摂社や末社があるが、下鴨神社も例にもれず、数多くの摂社、末社がある。

 左の写真で奥に見える三つの小さい社は摂社の一つで式内社「三井神社」である。中社の祭神は「賀茂建角身命」、東社の祭神は「伊賀古夜日売命」、西社の祭神は「玉依日売命」である。
「三井神社」重要文化財に指定されている。

 また、写真で中央に見える舞台様の場所は「葵生殿」とよばれ結婚式場として使用されているようである。
御手洗川と輪橋
御手洗川、輪橋


 「舞殿」の東北側境内隅の池の上に末社「井上社」が建っている。「井上社」の下から湧き出た水が「御手洗川(みたらしがわ)(左の写真)となって「糺の森」の方へ流れるようになっている。

 土用の丑の日にはこの御手洗川に足を浸けて、疫病や病を封じる祈願をおこなう神事がある。
光琳の梅
 この川は通常、水は流れていないようであるが、土用が近づくと水が湧き出てくるといい、京の七不思議の一つとされている。


 また、直上の写真に見える橋は「輪橋(そりはし)と呼ばれ、橋の傍に「光琳の梅」と呼ばれている梅の木がある(左の写真)。

 「光琳の梅」の名称は
国宝に指定されている尾形光琳筆「紅白梅図二曲屏風」(熱海のMOA美術館所蔵)はこの辺りを描いたものといわれていることに由来しているという。
細殿
細殿

 「舞殿」の東側に「細殿」が建っている(左の写真)。ここは歌会、茶会などが行われていたとされる殿舎であるが、文久3年(1863年)孝明天皇賀茂行幸の際は、徳川家茂将軍の侍所となったなど、歴史的な建物とされている。また、建築学的にも貴重な建物であるといわれている。

 現存の
「細殿」は寛永5年(1628年)に建て替えられたものとされ、重要文化財に指定されている。
解除所
解除所

 「舞殿」の傍、西南側に「解除所(かいじょしょ)と名付けられた場所がある(左の写真)。

 かつて、天皇がたびたび参拝に訪れていたようであるが、その際、天皇自らお祓い(解除)された場所とされており、他の神社ではあまり類を見ないようである。


文化財としての建造物

 下鴨神社には国宝に指定されている本殿2棟重要文化財に指定されている社殿53棟があり、事実上、殆ど全ての建物が重要文化財である。まさに文化財の宝庫であり、下鴨神社はユネスコ世界文化遺産に登録されている。

葵祭

 下鴨神社の代表的な祭りとして、毎年5月15日に上賀茂神社と合同で行う葵祭(賀茂祭)がある。葵祭は欽明天皇5年(545年)に始めたとされているようで、平安時代には祭りといえば葵祭のことを意味したといわれるくらい有名だったようであり、現在でも有名な祭りである。

「京都の世界遺産を訪ねる」のサイトへのリンク

 「京都の世界遺産を訪ねる」のサイトにも「下鴨神社」のことを記載したページがあります。ここをクリックして下さい。
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Yukiyoshi Morimoto