ホーム > 京都の世界文化遺産一覧 > (下)醍醐寺 サイトマップ

醍醐寺(下醍醐)

醍醐寺について

 醍醐寺は醍醐山上と山麓に分かれている。山上にある寺を一般に「上醍醐寺」、山麓にある寺を「醍醐寺」(「下醍醐寺」ということもあるようである)と称するようであるが、山上と山麓、両方あわせて「醍醐寺」というのが正しいらしい。

所在地及びアクセス

 京都市伏見区醍醐伽藍町

 京都市営地下鉄東西線「醍醐」駅下車。駅の上が商店の入ったビル(パセオダイゴロー)になっており、この2階から東側に延びている通路を利用すると便利である。途中、醍醐寺への道案内の表示が何ヶ所かあるので、それに従って進むとわかり易い。「醍醐」駅から醍醐寺まで徒歩約15分。

醍醐寺(下醍醐)の堂宇等の配置図
醍醐寺の堂宇等配置図

醍醐寺の縁起
醍醐寺朱印
 弘法大師の孫弟子であり修験道中興の祖とされている聖宝理源大師が、都の東南の方向に五色の雲がたなびいている山を見て、霊地にすべく登ったところ、横尾明神(醍醐山の神)の化身である老人が現れたという。老人はそこに湧き出ている水を飲み、『ああ醍醐味なるかな』と言ったと伝えられており、これが醍醐寺の名の由来になったとされている。

 醍醐水を感得した理源大師は貞観16年(874年)に山頂に草庵を造り、准胝及び如意輪両観音像を刻み安置したと伝えられている。これが醍醐寺の創始であり、2年後に准胝堂、如意輪堂が完成したという。

 上記の通り、醍醐寺は上醍醐に始まる。

 延喜7年(907年)には醍醐天皇の勅願寺となり、以後、朱雀、村上の各天皇の帰依により、繁栄発展したようである。

 919年には現在の金堂の前身である釈迦堂が、更に、天暦5年(951年)には五重塔が建てられ、山麓の醍醐寺も大伽藍の完成を見たと伝えられている。最盛期には山上山麓合わせて五百余りの堂宇が建ち並んでいたという。

 その後、応仁の乱で多くの堂を焼失したが、豊臣秀吉の援助により復興することができたといわれており、慶長3年(1598年)に秀吉の有名な『醍醐の花見』が催されたのを機に、ほぼ現在の規模になったようである。
醍醐寺三宝院朱印

見所など
総門
 左に写真は上醍醐寺も含め醍醐寺の境内入口となる「総門」である。

 「総門」は風格はあるものの寺の規模から見て小ぶりな感じのする門である。

 
三寶院唐門
 「総門」をくぐると、直ぐ左手に永久3年(1115年)に創建されたといわれている「三寶院」がある。「三寶院」には通常の入口に当たる表門の他に、表門に近接して「唐門」(左の写真)がある。

 唐門中央部の扉には桐、扉の両側には12個の花弁を有する菊の花を配している。この門は慶長4年(1599年)に建造され、以後、2回移築されているという。

 この「唐門」国宝に指定されている。

 三寶院の大玄関を入り右に曲がり順路に従って進むと、
「葵之間」、「秋草之間」、「勅使之間」(何れも重要文化財)があり、「表書院」国宝)に出る。
三寶院庭園
 「表書院」の広縁から「三寶院庭園」を見ることが出来る(左のコピー:三寶院の案内パンフレットより)。

 「三寶院庭園」は慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が『醍醐の花見』に来たときに、自ら設計し、庭奉行竹田梅松軒に命じ造らせたものとされている。

 「三寶院庭園」国特別名勝・国特別史跡に指定されている。

 三寶院の勅使之間、秋草之間、表書院の「襖絵、障壁画」重要文化財に指定されており、表書院などの建造物と同様、見学することが出来る。ただ、襖絵・障壁画全てが必ずしもオリジナルではないようで、複製したものもあるとのことである。
醍醐寺の桜(1)
 秀吉が『醍醐の花見』を催したということから、醍醐寺の桜は有名で、桜の花の季節には多くの観光客が訪れる。左の写真及び直下二枚の写真は何れも醍醐寺の境内で咲いている桜である。

 左の写真は「総門」近くの桜で左手奥に屋根の見えている建物が「仁王門」である。
醍醐寺の桜(2)
 左の写真は「三寶院唐門」傍の桜である。

 「総門」から「仁王門」の間の参道には多くの桜の木が植えられ桜並木を作っているが、写真の桜はこの桜並木の内で最も目を引く桜の木の一つである。

 奥に見えている建物は「仁王門」である。
醍醐寺の桜(3)
 左の桜は「霊宝館」の傍の「しだれ桜」である。「霊宝館」の傍らにはこの他に何本かの大きな桜の木が植えられている。

 その他、「三寶院」の前から南側に向かって桜並木があり、季節に盛大に花をつける。

 花見は普通、下から見上げるが、秀吉の『醍醐の花見』は山の中腹からも見下ろしたという。現在とは見る位置が違うのである。それに、約400年も前の秀吉の時代の桜の木が現在もそのまま残っているとは思えない。秀吉の『醍醐の花見』の再現はそもそも無理なのであろう。

 何れにしても花見時の観光客は非常に多く、特に休日は混雑する。
仁王門
 「金堂」、「五重塔」などの伽藍へはこの「仁王門」(左の写真)をくぐらなければならない。

 伽藍の拝観は有料であり、「仁王門」で拝観料の支払う。拝観料には「金堂」内部の拝観も含まれている。
秋の参道
 「仁王門」をくぐると、秋には見事な紅葉に彩られる参道(左の写真)が続いており、参道を抜けると「金堂」が見える。
金堂
 慶長3年(1598年)に催された秀吉の『醍醐の花見』に間に合わすべく金堂の新築が計画されたが、間に合わず、紀州湯浅の護国山満願寺の本堂を移築したものがこの「金堂」(左の写真)であるとされている。

 建造されたのは平安末期(12世紀後半)と考えられているが、移築の際に大改造が加えられているようで、屋根などは桃山時代風になっている。

 堂内には本尊の「薬師如来」、脇侍の「日光・月光菩薩」が安置されている。

 「金堂」「国宝」に指定されており、「薬師如来」、及び「日光・月光菩薩」は鎌倉時代の作とされ、重要文化財に指定されている。
五重塔
 金堂の前の道路を隔てて東南側に、「五重塔」が建っている(左の写真)。

 五重塔は醍醐天皇の冥福を祈るため、一周忌に当たる承平元年(931年)に計画され、天暦5年(951年)に完成したといわれている。

 「五重塔」は創建期の伽藍の内、火災を免れた唯一の建造物で、京都に現存する最古の建築であるとされている。ただ、建設当時から十数回の修理が行われているようである。


 「五重塔」及び塔の初重内部の壁画、「両界曼陀羅」、「真言八祖像」国宝に指定されている。通常、塔内部は拝観できないが、祭礼の時には公開されるとのことである。この壁画は平等院鳳凰堂の壁扉画(別ページ「平等院」参照)と共に制作年代の明らかな壁画として価値の高いものとされている。

 「五重塔」から東側に約250m離れた場所に「弁天堂」(直下の写真)がある。
弁天堂付近の紅葉
 「弁天堂」は鮮やかな朱塗りの小堂で、見た目には新しい。写真に見られるように「弁天堂」の周辺は秋になると紅葉に彩られる。この季節には多数のカメラマンがここを訪れている。
女人堂
 五重塔を傍に見て参道を東に向かって進み、門をくぐり、数分歩くと女人堂(左の写真)の前に出る。

 上醍醐への登山道(参道)は、この「女人堂」からはじまるといってよい。かつて、上醍醐は女人禁制であった時代には、女性はこの場所から上に登ることはできなかったという。

 従って、女の人はこの女人堂から山上の仏を拝んだといわれている。
千度石
 女人堂の前には手水場、その傍に五体の仏像が安置されている。仏像を安置している場所の傍に、「御千度石」と刻まれた小さな石碑が建てられている(左の写真)。

 この石碑と女人堂の間を千回往復すると、山上まで上り参拝したのと同じ功徳があるという。

 ここを千回往復するよりも山上まで登る方が距離は短いのではなかろうか。今は誰も「御千度石」を顧みることはないようであるが、昔、上醍醐が女人禁制だった頃、どれだけの女性が石碑と女人堂の間を千回往復したのだろうか。

 上醍醐寺の本堂に当たる准胝堂が2008年8月24日未明に全焼した。この火災は落雷が原因とされているようである。

 火災後、上醍醐寺は閉鎖され、上醍醐寺への登山口になっている醍醐寺の女人堂より奥に立ち入ることは出来ない状況にあったが、平成21年(2009年)1月7日より上醍醐への入山が可能になった。但し、引き続き工事が継続されている箇所があり、一部立入り禁止になっている場所もある。

 火災以前、准胝堂で行っていた上醍醐寺の納経は火災後、女人堂で行われていたが、上醍醐への入山が可能になった現段階でも、納経は引き続き女人堂で行われている。女人堂には焼失した本尊の分身が安置されている。

 その他、上醍醐寺への参拝等に関する詳細は醍醐寺寺務所(Tel:075-571-0002)に問い合わせて下さい。

 醍醐寺(下醍醐、上醍醐)には、このページ及び上醍醐のページに記載した建造物や仏像を含め、百数十件の国宝・重要文化財が所蔵されているといわれている。
霊宝館
 「三寶院」の前を南の方向に向かって一寸進んだ左手に「霊宝館」(左の写真はその一部)がある。

 この「霊宝館」には、仏像、絵画、書跡など多くの文化財が保存展示されている。著名な文化財も展示されているので、醍醐寺に参拝した際、開館していれば是非とも見学、拝観しておきたい。

 「霊宝館」の拝観は有料で、春(3月24日〜5月6日)と秋(10月第1土曜日〜12月第1日曜日)に開館している。

 「霊宝館」に安置されている「薬師如来及び両脇侍像」は平安時代の作とされ、醍醐寺創建以来の歴史を持つ仏像で、見事な造りである。この仏像は「上醍醐寺」の「薬師堂」の本尊として安置されていたが、霊宝館の新築に伴いここに移された。また、展示されている書跡では「絵因果経」が著名で、奈良時代の制作とされ経文の書体は力強く、描かれている絵と共に非常に印象に残る。

 上記の
「薬師如来及び両脇侍像」、「絵因果経」は共に国宝に指定されている。

最終更新:2009年3月3日
京都の世界文化遺産一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る
醍醐寺(上醍醐)のページ