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賀茂別雷神社(上賀茂神社)

所在地及びアクセス

 京都市北区上賀茂本山339

JR京都駅前バスターミナルから
@B1乗り場から市バス[9]系統「西賀茂車庫前」行き(昼間時バス便:1時間に6本)に乗車し「上賀茂御薗橋」で下車。御薗橋を渡る。徒歩約5分。
AA2乗り場から市バス[4]系統「上賀茂神社」行き(昼間時バス便:1時間に4本)に乗車し、終点で下車。直ぐ。

阪急電車四条河原町下車、市バス乗り場から
B市バス[4]系統「上賀茂神社」行き(昼間時バス便:1時間に4本)に乗車し、終点で下車。直ぐ。
C市バス[37]系統「西賀茂車庫前」ゆき(昼間時バス便:1時間に4本)に乗車し「上賀茂御薗橋」で下車。御薗橋を渡る。徒歩約5分。

京阪電車三条下車、市バスターミナルから
D上記Cに同じ。

地下鉄北大路下車、市バスターミナルから
E上記Cに同じ。
F市バス[北3]系統「京都産大」行き(昼間時バス便:1時間に3〜6本)に乗車し、「御薗口町」で下車。徒歩約2分。

上賀茂神社の祭神、神徳、由緒
上賀茂神社朱印
 上賀茂神社(上社)の祭神は別雷神
(わけいかづちのかみ)で、下鴨神社(下社)に祀られている玉依媛命の子にあたる。神徳は厄を祓い、あらゆる災難を除く厄除明神・落雷除・電気産業の守護神であり、広く信仰されている。

 その昔、雷神が神社の北北西の方向にある神山
(こうやま)に降臨され、天武天皇6年(678年)に、本殿に鎮座されたと伝えられている。従って、社殿の造営も天武天皇6年とされている。雷神が降臨したのは神代の昔らしい。この話はかつての神話そのものであるが、神社は神を祀っているのであるから、現在でも神話が生きていても不思議なことではないのかもしれない。

 上賀茂神社は昔から皇室との関係が深かったようで、天平17年(745年)に天皇の病気治癒祈願が行われたのが関係の始まりとされている。以後、国家の重大時には必ず、奉幣・祈願が行われたという。大同2年(807年)には伊勢神宮に次ぐ地位が与えられたといわれている。神社は中世になって一時衰退したらしいが、徳川幕府の庇護、信心により隆盛し、第二次大戦の終戦までは官幣大社の首位に位置していたという。

 「上賀茂神社」の正式名称は「賀茂別雷
(かもわけいかづち)神社」であるが、一般には通称名である「上賀茂神社」のほうがよく知られている。

上賀茂神社社殿配置図
社殿配置図
 左の配置図には図面サイズの関係から「一の鳥居」の記載を省略しているが、「~馬舎」傍の参道を南へ約120mの場所に「一の鳥居」がある。

見所など
一の鳥居
 上賀茂神社前バス停の近くに大きな「一の鳥居」(左の写真)が建てられている。この鳥居は境内の南端にあるようで、神社の境内はこの鳥居の北側に広がっている。
参道東側の将軍桜
 「一の鳥居」をくぐり、参道を北に向かって進むと参道の東西両側には芝生が見える。芝生には何本かの桜の木が植えられており、季節には桜の花が見事に花を咲かせる。

 左の写真は参道の東側に咲いている「将軍桜」である。この桜は「将軍桜」の南側にある「斎王桜」と共に特別に保護されているようである。写真左端に見える社殿は「御所舎」である。
二の鳥居
 参道を北に抜けると、「二の鳥居」(左の写真)がある。

 写真で中央「二の鳥居」の奥に見える社殿は「細殿」である。
細殿
 「二の鳥居」の直ぐ北側に建てられている社殿が「細殿(ほそぞの)(左の写真)である。

 「細殿」は古くから天皇、上皇の参拝の際にまず装束などを整える御殿(着到殿)で、寛永5年(1628年)に造り替えられたという。「細殿」の前には白砂を円錐状に盛り上げた「立砂」が見える。

 「細殿」は重要文化財に指定されている。
立砂
 左の写真は「立砂
(たてずな)を近くで見たものである。「立砂」は子供の背丈ほどの高さで、左右対称の均整のとれた円錐形に仕上げている。

 「立砂
(たてずな)」は「盛砂」とも言われている。神代の昔、祭神が最初に降臨された「本殿」の後にある円錐形の神山に因んだもので、神様を招く憑代(よりしろ)とされている。鬼門に砂を撒き清めるのはこの立砂の信仰が起源になっているようである。
立砂の頂上部
 「立砂」を見るとその形に目を奪われがちであるが、その頂上部には松の葉が立てられている。左の写真は「立砂」の頂上部であるが、その頂上から細い紐状のものが出ているのがわかる。これは松の葉である。

 左の写真は向かって右側の「立砂」で松の葉は一葉であるが、左側の「立砂」の松の葉は二葉である。必ず左右の「立砂」で松の葉の数が一方が奇数で、もう一方が偶数になるようにしている。これは陰陽道で奇数と偶数が合わさることで神の出現を願う意味があるという。
橋殿(舞殿)
 「細殿」の東北側に「細殿」に近接して「舞殿(橋殿)」(左の写真)が建てられている。「舞殿(橋殿)」の下には「ならの小川」が流れており、この建物があたかも橋のようになっているので、橋殿の別名称がついているものと思われる。「舞殿(橋殿)」の下を流れている小川は「御手洗川」であるという話もあり、川の名称については、どちらであるかはよくわからない。

 「舞殿(橋殿)」は、かつて勅使御拝の殿舎として使われていたといわれており、現在では、葵祭のときに祭文の奏上が行われる。この建物は文久3年(1863年)に建て替えられたとされている。

 「舞殿(橋殿)」は重要文化財に指定されている。
土屋
 「舞殿(橋殿)」に近接して右手に「土屋(土舎)」が建てられている(左の写真)。

 「土屋」は神主以下社司の著到殿として用いられていたらしいが、今は祓所として使用されているようである。現在の建物は寛永5年(1628年)に造り替えられたものといわれている。

 「土屋(土舎)」は重要文化財に指定されている。
岩上
 「舞殿(橋殿)」のに近接して北側に架かっている橋を渡ると、「岩上
(がんじょう)と名付けられた岩場がある(左の写真)。

 「岩上」は葵祭に際し、皇室から遣わされた勅使に宮司が蹲踞し返祝詞(
かえしのりと)を申し上げる場所とされている。「岩上」は「神山」(後述する)と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の影を現在に伝える場所で、「気」の集中する場所といわれている。

 写真左奥に見えるのは「舞殿(橋殿)」である。
玉橋
 「楼門」の手前に朱塗りの橋がある。この橋は「玉橋」と名付けられている(左の写真)。

 「玉橋」の下を流れる小川は「ならの小川」の支流「御物忌
(みものいみ)川」である。この橋を渡ることは禁止されている。

 「玉橋」は重要文化財に指定されている。
楼門
 「玉橋」の直ぐ奥側に朱塗りも鮮やかな「楼門」が建てられている(左の写真)。それにしても他の地味な社殿に比べて「楼門」と「回廊」は朱塗りが派手で目立っている。

 「楼門」は他の多くの社殿と同様、寛永5年(1628年)に再建されたと言われている。

 「楼門」は重要文化財に指定されている。
楼門正面近景
 左の写真は「楼門」正面の近景である。「楼門」をくぐり、石段を上がると参拝所になっている。参拝の場所からは奥の「本殿」と「権殿」を殆ど見ることが出来ない。

 正面右奥側に「本殿」、左奥側に「権殿」が建てられており、現存の建物は文久3年(1863年)に建て替えられたものといわれている。

 「本殿」、「権殿」共に国宝に指定されている。
神山
 神社の祭神は別雷神であるが、ご神体は本殿の北北西約2kmの所にあり、雷神が降臨されたといわれている「神山
(こうやま)(左の写真:上賀茂神社発行のパンフレットより)である。

 「神山」は賀茂信仰の原点でもあり、立入禁止になっているようである。社殿は「神山」の遙拝所という位置付けであるという。
庁ノ舎(北神饌所)
 左の写真はならの小川の東側に建てられている「庁ノ舎(北神饌所)」であり、上賀茂神社ではかなり大きな建物である。「庁ノ舎」という名称は、ここがかつて政庁として使用されていたことに由来しているのであろう。

 この建物は重要文化財に指定されている。
ならの小川
 境内の中を北から南に、「舞殿(橋殿)」の下をくぐって流れている小川が「ならの小川」である(左の写真)。

  小倉百人一首に入っている藤原家隆の歌、『風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける』は、祈願者の一切の罪が祓い清められるという上賀茂神社の祭祀、夏越祓の情景を詠んだものとされている。

社家町
社家町
 「ならの小川」が神社の境内を抜けると東の方角に流れを変え明神川となる。

 神社の境内を出て、東南側に明神川に沿って重厚な土塀の続いている独特の街並みが見られる。これが「社家町」(左の写真)といわれているところで、京都市上賀茂伝統的建造物群保存地区として国から指定されている。

 社家とは神官の家柄をいうらしいが、現在でも神官が住んでいるのだろうか。ただ、かつての社家とはこんなものだったのだろうと思わせる雰囲気は感じられる。

上賀茂神社と葵祭


 上賀茂神社の代表的な祭りとして、毎年5月に下鴨神社と合同で行う葵祭(賀茂祭)がある。

 欽明天皇5年(545年)、賀茂大神の祟りを鎮めるための祭祀を行ったところ、それまでとは違って天下泰平、五穀豊穣になり、庶民は大いに喜んだという。これが葵祭りの起源であり、以後、毎年定期的に行われるようになったとされている。

 神前に葵を供え、社殿に葵を飾るため葵祭りと言われている。平安時代には祭りといえば葵祭りのことを意味したといわれているくらいで、源氏物語や枕草子にも登場する。

「格式のある神社二十二社参拝」のページへのリンク

 「格式のある神社二十二社参拝」のサイトにも「上賀茂神社」についての記載があります。ここをクリックして下さい。

最終更新日:2014年6月30日

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