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今城塚古墳発掘調査
(平成13年度、第五次)
今城塚古墳の所在地及びアクセス: 「今城塚古墳」のページを参照してください。 |
発掘調査が行われた場所など: |
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左のコピー(原形地図は1998年高槻市教育委員会発行「史跡・今城塚古墳」より)は今城塚古墳の発掘調査場所の図である。 外濠、内濠で表されている場所は水の溜まっている周濠であり、数字は発掘調査の時期(次数)を表す。 今回の第五次発掘調査が行われたのは古墳北側の内堤から外濠でDの場所である。 |
第五次発掘期間と現地説明会の様子など: 第五次発掘調査は平成13年(2001年)6月下旬から開始され、現地説明会は平成13年(2001年)9月23日午前10時(実際はもう少し早い時間から)から行われた。当日は6500人もの古代史ファンが集まり、高槻市営バスも臨時便を運行したほどである。 これだけの人数をさばく必要からか、現地説明会といっても実際の説明は殆ど行われることなく、現場を素通りさせられるという状況で、係員は『止まらずに歩いてください』と言うことに終始している有様であった。 どこの現地説明会でも同様であるが、新聞に大きく取りあげられた場合はこのような状況と似たり寄ったりになるので、驚くことはないが・・・。 |
発掘状況と出土品など: |
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左の写真は古墳の外側から見た発掘溝であり、発掘溝は外濠から内堤にかけて掘られている。写真中央奥に多数の人が並んでいる場所が内濠と外濠を仕切っている内堤である。 内堤の発掘により、ここから円筒埴輪列と数多くの形象埴輪が出土し、また、内堤上に溝の存在が確認された。 |
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左の写真は内堤上で発掘された状態の円筒埴輪列である。 埴輪列は内堤に平行して二列存在している。円筒埴輪の径は大小いろいろ混在し、それらの体部は殆ど破損しており基底部のみが現存しているようである。また、埴輪周囲や底に小石を入れて、埴輪の高さや傾きを合わせるような工夫がなされているという。 |
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左及び直下の写真は内堤上で発掘された溝と形象埴輪の発掘状態である。 形象埴輪としては人物埴輪、家形埴輪、動物埴輪など約60点発見されたという。 埴輪はかなり細かく割れた状態になって発掘されている。 |
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細片になったかけらから元の姿を推測するには、何らかの手法があるものと思われる。 例えば、左の写真の埴輪には「家」と書かれた標識が置かれているが、少なくとも私にはこの破片の状態から「家」をイメージすることは極めて困難である。 |
今回の発掘で出土した形象埴輪の幾つかは現地に展示されていた。 |
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左の写真は「千木と鰹木で飾る家」と名付けられた家形埴輪の一部である。これは家の屋根の一部で、二本ある円筒形のものが「鰹木(かつおぎ)」、その左側にある角形に写っているのが「千木(ちぎ)」である。 この埴輪は国内では最大級であり他に類似例を見ない形をしているといわれている。 |
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この形は、後の神社の屋根に見られる形状そのものである。 左のコピー(現地説明会当日に配布された資料より)は上記家形埴輪の復元想像図であり、これは身分の高い人が特別な目的のために使われていた埴輪と考えられるという。 |
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発掘出土した家形埴輪の復元作業がおこなわれていたが、平成14年(2002年)6月に復元された。その結果、全国最大の家形埴輪であることがわかったという。 左の写真は復元された家形埴輪で、その高さは170cmと報告されている。 上に記載した復元想像図とほぼ同様な形をしているのがわかる。 なお、この家形埴輪の実物は平成14年(2002年)6月時点で一般公開されていないが、左は平成15年(2005年)8月28日に今城塚古墳で公開展示されたものを撮影した写真である。 |
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直上の写真は人物埴輪の一部で左側は「鎧を着た武人の右腕」、右側は「鷹匠の手」とされている。また、直下の写真も人物埴輪であり、「力士」とされている。 |
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これら形象埴輪は整然とした群、列を作っていおり、古墳の北側(外側)から見られるのを意識したような配置がなされていたという。 現在、今城塚古墳は真の継体天皇陵と考えられているが、今回の発掘で出土した埴輪には上記の家形埴輪など特別な高い地位を示唆すものがあり、天皇の豪華な生活の象徴と位置付けられているようである。 |
発掘された埴輪群から埴輪祭祀の様子が伺え、継体天皇の葬送儀礼を再現しているのではないか、また、葬送には天皇の好きだった力士や鷹匠も参列したのではないか、との推測もなされている。 |
現地説明会以後の発掘現場状況: 現地説明会が行われた9月23日以後、更に東側に向かって調査溝が掘られていたが、10月に調査が終了したようで、10月下旬から11月上旬にかけて調査溝の埋め戻しなど復旧工事が行われた。 |
2005年9月5日最終更新 |
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Yukiyoshi Morimoto