ホーム > 古墳一覧(古墳みてあるき) > 二子山古墳

二子山古墳

(幽霊が出るという噂のあった古墳)

所在地及びアクセス:

 高槻市上土室(かみはむろ)六丁目

 阪急京都線「茨木市」駅下車。駅北側のバスターミナルから近鉄バス「花園・東和苑」行きに乗車し、終点の「花園・東和苑」で下車する(バス時刻は下記参照)。名神高速道路に沿って約300m東北の方向に進むと二子山古墳に着く。
 
 又は、JR東海道線(JR京都線)「摂津富田」駅下車。駅北側の高槻市営バス乗り場から「公団阿武山・日赤」、「日赤・公団阿武山」、「上の池滞留所」、「大阪薬大前」、「西塚原」行き(経由不問)の何れかのバスに乗車し、「土室(はむろ)」で下車する(バス時刻は下記参照)。バス停近くの名神高速道路の下をくぐり、直ぐ左折する。右手に番山古墳を見ながら名神高速道路沿いに西南の方向に約300m進むと二子山古墳に着く。  

 近くに番山古墳、太田茶臼山古墳、新池遺跡(何れも別ページに記載)があるので同日に見学可能である。太田茶臼山古墳見学後に二子山古墳を訪れる場合は太田茶臼山古墳とその東側にある藍野病院との間の道路を北の方向に進み、名神高速道路の下をくぐる。くぐり抜けると右側名神高速道路沿いに二子山古墳が見える。

 「花園・東和苑」行き近鉄バスの「阪急茨木」発車時刻(9:00〜18:00の間について)は次の通り(2008年7月21日改正、2009年10月現在)。
平 日 土曜日 日曜日・祝日
09 11 25 40 55 11 26 41 56 11 31 56
10 11 26 41 56 11 31 52 11 31 52
11 12 32 52 12 32 52 12 32 52
12 12 32 52 12 32 52 12 32 52
13 12 32 52 12 32 52 12 32 52
14 12 32 52 12 32 52 12 32 52
15 12 32 52 12 32 52 12 32 52
16 12 32 52 12 32 52 12 32 52
17 12 28 42 57 12 32 57 12 32 52

 高槻市営バスの「JR富田駅」発車時刻(9:00〜18:00の間について)は次の通り(2009年4月1日改正、2009年10月現在)。
平    日 土 曜 日 日 曜 日・祝 日
09 00* 05 15 25 33* 35 48 00 15 20* 30 45 00 15 25* 30 45
10 01 10 15 22* 30 45 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45
11 00 15 25* 30 42 45 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45
12 00 15 25* 30 42 45 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45
13 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45
14 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45 00 15 25* 30 45
15 00 15 25* 30 45 55* 00 15 25* 30 42 54 00 15 25* 30 42 54
16 00 15 25* 30 43 57 06 15* 18 33 42 54 57* 06 15* 18 33 42 54 58*
17 00* 10 20 25* 30 40 50 55* 08 18 25* 28 38 48 55* 58 08 18 25* 30 42 54 58*
 *印は「西塚原」行き。無印は「公団阿武山・日赤」、「日赤・公団阿武山」、「上の池滞留所」、「大阪薬大前」行きの何れかであるが、何れの行き先のバスでも可。「循環」表示の有無は不問。また、経由は「阿武野校前」と「宮田公民館」の二つがあるがどちらに乗車してもよい。

見所など:
二子山古墳墳丘(1)
 「二子山古墳」(左の写真)は名神高速道路(写真奥側に見える)に密接している。

 この古墳が「二子山古墳」と呼ばれているのは、左の写真でもわかるように二つの墳丘が近接した形に由来しているものと思われる。二個の墳丘の裾は互いに重なっているが、冬期、墳丘上の木が落葉すると二つの墳丘を視認することができる。
二子山古墳墳丘(2)
 左の写真も冬期の「二子山古墳」であるが、この写真でも二つの墳丘の存在を認めることができる。古墳墳丘の東南側は名神高速道路(写真右端に見えている)に密接し、二つある墳丘の内、一つの墳丘の裾は高速道路の下側に入り込むような状態で高速道路がつけられている。
二子山古墳墳丘(3)
 夏期の「二子山古墳」(左の写真)は樹木に覆われ、墳丘の形状を視認することはできない。

 一般道は高速道路に近接して平行につけられているが、古墳のあるところはそれを避けるために、道は大きく迂回している。道が迂回しているために墳丘の傍に一寸したスペースができ、左の写真に見られるようにこの場所で休憩している車をしばしば見る。

 直下の写真は夏期の「二子山古墳」全景で、写真で墳丘の奥側に見えるのが名神高速道路である。
二子山古墳全景

 古墳はこぢんまりとしているだけに、古墳を避けて迂回しているカーブはかなり急である。近年、この道を通る大型のタンクローリー車を全くといっていいほど見なくなったが、かつては、このカーブを簡単には曲がりきれない大型車を目撃したことがある。
陪冢表示石柱
 この「二子山古墳」は左の写真に見られるように継体天皇陵の陪冢(
ばいちょう:大きな古墳に近接した小さい古墳で、近親者や従者を葬った墓)として宮内庁の管理下にある。

 古墳の周りは柵(金網)で囲われ、容易に中に入れないようになっており、柵内部の整備状態は悪くはない。

 この付近には、かつて多数の古墳や遺跡が存在したようであるが、水田、道路、宅地造成等で殆どが破壊されたという。

 この古墳は「番山古墳」と同様、ほぼ原形をとどめている数少ない古墳である。
倒壊した障壁
 古墳の付近は夜になると寂しくなり、古墳から幽霊が出るという噂があったが私はそれを見たことがない。幽霊のせいか、迂回による急カーブのせいかわからないが、ここで交通事故がしばしば起こるようである。

 左の写真は交通事故により倒壊した柵である。古墳に突っ込む車があるらしく、時々このように倒壊した柵を見る。

2009年10月9日最終更新
古墳一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る