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阿武山古墳

(表示がなければその所在がよく分からない貴人の墓)
所在地及びアクセス:

 高槻市奈佐原(なさはら)
古墳所在地図
 JR東海道線(京都線)「摂津富田」駅下車。北出口を出て駅前広場隅を横切り数10m北側にある高槻市バス「JR富田」停留所より「南平台経由奈佐原」、「萩谷」、「萩谷総合公園」、「関西大学」行きの何れかのバスに乗車し、「奈佐原」で下車する。停留所の直ぐ傍の道を西の方向に進む。光愛病院、新阿武山病院を道路下左側に、次いで希望の杜を右手に見ながら、道なりに進むと、京都大学阿武山地震観測所の門柱のある場所に着く。途中の道の辻には阿武山古墳の方向を示す標識があるので道筋は比較的わかりやすい。門柱の間を通ると、一本道になり地震観測所に行き着く。標識に従って進むと直ぐに阿武山古墳と刻まれた石柱が目につく。奈佐原バス停から古墳まで徒歩約35分。
 上記以外のアクセス方法として:JR「摂津富田」駅の北側に近接している高槻市バス「JR富田」停留所より「公団阿武山・日赤」、「日赤・公団阿武山」、「上の池滞留所」、「大阪薬大前」行の何れかのバス(経由不問)に乗車し、「大阪薬大前」又は「消防署前」で下車する。高槻北消防署阿武野出張所傍の信号のある交差点を東北の方向に進み、上記、奈佐原からの道に合流する。この道程は比較的分かりにくいので、歩く距離は若干長くなるが「奈佐原」バス停からのアクセスの方がわかりやすい。

 「JR富田駅」より「南平台経由奈佐原」行き、「萩谷」行き、「萩谷総合公園」行き、「関西大学」行きのバス発車時刻は9:00〜18:00の間について、次の通りである。(2004年8月1日改正、2004年11月現在)
平日 土曜日 日曜日・祝日
09 05 25 35(公) 40 55(関) 00 05(萩) 20 40 00 05(萩) 20 40 55(公)
10 00 10(学) 20(萩) 22 40 00 05(萩) 20 40 00 20 40 55(萩)
11 00 10(関) 20 40 56(萩) 00 12(公) 20 40 00 20 40 48(萩)
12 00 20 34(公) 40 00 01(萩) 20 25(関) 40 00 20 40 55(萩)
13 00 02(萩) 20 22(関) 40 58(萩) 00 07(萩) 20 40 00 20 30(公) 40
14 00 15(関) 20 40 45(公) 00 05(公) 20 39(萩) 40 00 05(萩) 20 40
15 00 10(萩) 20 40 58(萩) 00 05(関) 20 40 47(萩) 00 13(萩) 20 40
16 00 20 30(学) 40 45(休) 59(学) 00 20 21(萩) 40 00 20 21(萩) 40
17 00 18(萩) 20 38(関) 40 00 20 30(萩) 40 00 20 30(萩) 40
 無印は「南平台経由奈佐原」行き。(萩)は「萩谷」行き。(公)は「萩谷総合公園」行き。(関)は学休日、学期日に関係なく運行する「関西大学」行き。(休)は学休日のみ運行する「関西大学」行き。(学)は学期日のみ運行する「関西大学」行き。

 高槻市営バス「日赤・公団阿武山」、「公団阿武山・日赤」、「大阪薬大前」、「上の池滞留所」行きの「JR富田駅」発車時刻(9:00〜18:00の間について)は下表の通りである(2004年8月1日改正、2004年11月現在)。
平日 土曜日 日曜日・祝日
09 05 15* 25* 35 50* 05* 20* 35 50* 05* 20* 35 50*
10 05* 12 20 35* 50* 05* 20* 35 50* 05* 20 35* 50*
11 05 20* 35* 42 50 05 20* 35* 50 05 20* 35* 50
12 05* 20* 35 45 50 05* 20* 35 50* 05* 20 35 50*
13 05* 20 35* 50* 05* 20 35* 50* 05* 20 35* 50*
14 05 20* 35* 50 05 20* 35* 50 05 20* 35* 50
15 05* 20* 35 50* 05* 20* 40 50* 05* 20* 35 50*
16 05 20 35* 45* 05* 20 35* 50* 05* 20 35* 50*
17 00* 10 20* 30 38 45* 05 18 28 38* 48 58 05 20* 35 50
 *印は「循環」表示あり「公団阿武山・日赤」行き。無印は「循環」表示無し「日赤・公団阿武山」又は「上の池滞留所」行き。

 見所など:
京大地震観測所
 阿武山古墳は標高約200mの所、京大阿武山地震観測所(左の写真)にほぼ隣接した場所にあり、地震観測所を右手の見ながら標識に従って進むと古墳に着く。
古墳石碑
 墳域には左の写真に見られるような『史跡阿武山古墳』と彫られた石柱が建てられているが、この石柱や古墳を表す標識がなければ一見しただけでは古墳の存在が分からない。
周溝標識
 上述の通り、墓域は一見しただけでは分からないが、周溝のあった位置には「周溝」の標識(左の写真)が設置されている。
周溝場所
 周溝自体もハッキリとその位置の確認は出来ないが、表示があるためか周溝の存在した場所は何となく判断できそうである(左の写真)。

 棺が埋められていた墓室のある場所は木柱と鎖で囲われており、「墓室」と書かれた標識が設置されている。直下の写真は南側から見た墓室領域の全景であるが、標識がなければそれであることはわからない。
墓室 
墓室正面近景
 左の写真は墓室領域の近景と標識である。写真で分かるように墓室周囲はコンクリートで舗装された遊歩道がつけられており、墓室として囲われた場所には木が植えられている。

 この古墳は通常の古墳に見られるような盛り土(墳丘)はない。
墓室中央部
 左の写真は木柱と鎖で囲われた墓室領域の中央部分である。この位置の直下約3mの場所に墓室が埋められているとのことである。

 写真では明確ではないが、この場所が僅かであるが膨らんでいるように見える。この膨らみは自然にできたものか、又は人工的に造られたものかはわからない。
墓室周辺の遊歩道
 墓室の周囲以外にも墓域には見学のためのコンクリート舗装の遊歩道(左の写真)などがつけられて俗っぽい様相を呈しているが、全体として整備状態は悪くはない。

 この古墳は昭和8〜9年(1933〜34年)に地震観測所の拡張工事中に発見されたといわれている。
出土品
 出土した土器(左の写真)から見て古墳が造られたのは、7世紀前半〜後半と考えられており、飛鳥時代の数少ない貴重な墓として、国史跡に指定されている。

 墓室、棺などはかなり凝った造りになっていたようで、棺内には男性の人骨一体、最高位者の冠などがあり、これらの出土品その他から、当時「貴人の墓」として話題になったようである。調査後、出土品は埋め戻されたという。

 発掘の際、遺体・副葬品などを撮影していたX線写真が、昭和62年(1987年)になって発見された。

 これを解析した結果、大織冠と思われる冠等、それに、鎌足が亡くなる原因となった落馬を推測させる骨格が写っていたようで、これにより、被葬者は藤原鎌足であることがほぼ確実になったとされている。

 この古墳は高槻市の「歴史の散歩路」にとり上げられている。

 なお、高槻市、茨木市には藤原鎌足の足跡が多く残されている。これらについては、「西国街道沿いの史跡探訪」の「地福寺」「大織冠神社」などのページを参照して下さい。

(参考:文化庁、大阪府教育委員会、茨木市・高槻市教育委員会名の解説掲示板)

2004年11月3日更新
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Yukiyoshi Morimoto