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新西国第二十番
立木山 立木山寺
(たちきさん たちきさんじ)
立木山寺所在地図 所在地及びアクセス:

 滋賀県大津市石山南郷町

 JR東海道本線(琵琶湖線)「石山」駅下車。駅前より京阪バス[4]、[14]、[54]系統(何れも「大石小学校前」行きであるが、バスの行き先表示は「大石」となっている)の何れかのバスに乗車し、「立木観音」で下車する。バス乗車時間は約20分であるが、[54]系統は「南郷中学校」経由となるのでもう少し時間がかかる。「立木観音」バス停の傍から石段の参道が立木山寺まで続いている。
 「立木観音」停留所を通るバスの運行頻度は上記3系統を合わせ、8時〜18時の間について、平日休日共に1時間に4便以上ある(2001年4月現在)。
 石段の参道ができる以前は「南郷」バス停のところから、山道の旧参道を通り立木山寺に参拝していたようで、現在でもこの旧参道は残されている。歩く距離は長くなるがこの旧参道を通り参拝するのも面白い。

宗派:
浄土宗

本尊:立木聖観世音菩薩

開基:
弘法大師
朱印
縁起:


 弘仁6年(815年)、諸国を行脚していた弘法大師がこの山に光を放つ霊木を見つけ、その木に近づこうとしたが、前に大きな川があり渡ることができず佇んでいたところに、白い雄鹿が現れ大師を背に乗せて川を渡り、霊木の所に大師を導いたという。白い雄鹿は観世音の化身であり光明を放ち消え去ったと伝えられている。

 弘法大師はこの地が霊地であると悟り、厄難厄病の排除を祈念してこの立木のままの霊木に自らの背丈に合わせ五尺三寸の聖観世音菩薩尊像を刻み、また、余った木で脇立毘沙門天、項目天などを刻んで、堂を建てそれらを安置したと伝えられており、これが立木山寺の創始とされている。

 弘法大師はその後、高野山を開いたので、ここを「元高野」と呼び、災厄除けの観音として信仰を集めているようである。
参道
見所など:

 立木観音バス停の直ぐ傍から左の写真にあるような石段の参道が立木山寺まで続いている。

 この石段は約650段あるとされており、石段の幅も広いとはいえないが、段差が揃っているため比較的上りやすい。参道の距離は五丁あるようで、一丁毎に石柱の標識が立てられており、どれほど上がってきたか、あとどれ程上らなければならないのか、の目安になり、有り難い。

 参道入り口から一寸上ったところに、修行姿の弘法大師の像が立てられている。特に説明はないがこの像は等身大に造られているように思われる。
信者の歌碑
 参道の途中に信者の作と思われる和歌や俳句を刻んだ石碑が幾つも立てられている(左の写真はその内の一つ)。

 左の写真にある『我が子への心願かなうその日まで導き給え我を立木に』や『初孫の手を引き参る石段のひとあし毎にさち祈りつつ』のように子や孫への思いを歌ったもの、また、『鹿跳びの岸うつ波は立木山佛のみかげ立木観音』のように立木山寺そのものに関する歌など色々であるが、
何れにしても詠んだ人の信仰の深さが素朴ながらよく表されており、その心情に心うたれるものがある。

 石碑の側面には詠んだ人の氏名の他に『月参二十年御礼』など刻まれたものもあり、毎月の御縁日に二十年間お参りし続けた人もいるのであろう。信仰一筋の寺といわれているだけのことはある。
山門
 立木山寺には通常の寺院に見られるような所謂「山門」が見られない。

 本堂前広場の直ぐ下に左の写真に見られるような二本の石柱が立てられてる。これが山門に該当するものと思われるが、石柱の間にしめなわ状のものが張られており、
感じとしては寺の門というよりも神社の鳥居に近い。

 旧参道と立木観音バス停から石段を上ってきた参道とがこの場所で合流するようになっている。
休憩所
 上述の「山門」らしきものをくぐり、石段を上がると広場に出る。

 広場への入り口に当たる場所に手水場があり、その右手には左の写真に見られるような休憩所が設けられており、ここでお茶が無料で提供されている。ただ、志納料としてなにがしかの金銭を置いていく人が多いようである。
鹿と弘法大師像
 手水場の直ぐ左手(南側)奥側に鹿の背に乗った弘法大師の像が見える(左の写真)。

 これは、弘法大師が白い雄鹿の背に乗り川を渡り、この地に来たという言い伝え(縁起の項参照)に因んで造られたものであろう。

 写真でもわかるように、この像には注連縄
(しめなわ)のようなものが懸けられている。山門に当たる場所にも同じような注連縄状のものが懸けられていたが、これがあるため寺というよりも神社的な雰囲気を感じる。

 広場の入り口から見て左手の奥側に「本堂」(直下の写真)が建てられている。
本堂
 「本堂」は山の斜面を削って建てられているようで、本堂正面に向かって左側は崖になっており、「本堂」は懸け造り(舞台造り)になっている。

 本堂に安置されている本尊、立木聖観世音菩薩は寺の説明によると、弘法大師によって刻まれたものといわれているようであり、約1200年の間、信心する人には霊験あらたかな観音として信仰されてきたという。

 ただ、弘法大師自作が真実であるならば長い時日を経た由緒ある本尊ということになるが、何故か文化財としての指定がないようである。
本堂裏側
 「本堂」自体の規模は決して大きいとはいえないが、長年に亘って多くの人々の信仰を集めてきた古刹の雰囲気は感じられる。

 本堂裏側(左の写真)に出て再び手を合わせている人も多く、本堂裏側から山の斜面を二、三分間徒歩で上ると、「鐘楼」があり自由に鐘をつくことができる。
奥の院
 「鐘楼」の傍を更に二分ほど徒歩で上ると「奥の院」(左の写真)に着く。

 奥の院といえば普通は開基を祀っているものと理解しているが、この「奥の院」には道了権現大菩薩が祀られている。道了権現大菩薩は弘法大師とどのような関係にあるのかわからない。

 建物は比較的新しく、様式も古刹の奥の院といった雰囲気ではなく、むしろ、神社という感じの方が強い。

御詠歌:瀬田川の霧も立木の観世音峰吹く風に晴るる身のうさ
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Yukiyoshi Morimoto