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今城塚古墳発掘調査
(平成14年度、第六次)
今城塚古墳の所在地及びアクセス: 「今城塚古墳」のページを参照してください。 |
発掘調査が行われた場所など: |
左のコピー(原形地図は1998年高槻市教育委員会発行「史跡・今城塚古墳」より)は今城塚古墳の発掘調査場所の図である。 外濠、内濠で表している部分は周濠で水の溜まっている場所であり、○印の中の数字は発掘調査の時期(次数)を表す。 今回の第六次発掘調査が行われたのは古墳北側の内堤及び内濠で墳丘に接しているEの場所である。 |
第六次発掘期間と現地説明会の様子など: |
第六次発掘調査は2002年5月末頃から開始され、現地説明会は2002年11月30日午前10時(実際はもう少し早い時間から)から行われ、多数の古代史ファンが集まった(左の写真)。 多数の見学者が多かったといっても今回は第五次と異なり、マスコミの取りあげ方が派手でなかった関係からか、前回のような混乱はなく、担当者の説明も丁寧に行われた。 |
内濠と濠に接する墳丘部分の発掘と出土品など: |
左の写真は今回の発掘場所の内、墳丘部分の断面と内濠底である(写真で赤色の□枠の部分については下記参照)。 この断面は盛り土の状態をよく表している。内濠底は現在の内濠部分地表から2.9m下に見出されたとされている。 |
左の写真は墳丘部分の断面、直上の写真で赤色の□枠の部分を拡大したものである。 中央部分に黒色の塊状の土壌で形成されている層は、戦国時代に築城に際し粘土を固めそれを積み上げて造られた防御壁であると考えられているようである。また、写真中央左寄りに見えている断層は地震などにより生じたものであろうと思われる。 |
内濠と墳丘の発掘部分からは須恵器、木製品、円筒埴輪などが出土したようであるが、埴輪は円筒埴輪のみで形象埴輪は出土しなかったとされている。 左の写真は出土した「須恵器(器台)」である。全体像は写真左上の図の通りであり、写真のものはその一部である(図で赤色で表している部分)。 その他、出土した須恵器には器台のほか杯や甕などがあり、いずれも小片になっていたようである。 |
左の写真は出土した木製品の一つ、「鋤(すき)」である。 木製品は全て内濠底から出土したようで、鋤など掘削具の他に、杭やザル状のものもあったという。 |
内堤部分の発掘と出土品など: |
今回の内堤部分の発掘調査でも「円筒埴輪列」が出土した(左の写真)が、この埴輪列は前回の調査(第五次発掘調査)で見つかった円筒埴輪列の延長線上にあった。 |
左の写真に見られるように、上部を欠き底部のみの円筒埴輪二個の上にまたがった形で別の円筒埴輪を並べ、上下に重なった状態の「円筒埴輪」が出土している。 この重なった円筒埴輪は他に例を見ないようで、これの持つ意味は現状ではよくわからないらしい。 |
長辺約40cm、短辺約10cmの長方形の箱形をした「柵(さく)形埴輪」(左の二枚の写真)は東西に伸びている内堤を横切る形で南北方向に並べられており、形象埴輪群を特徴のある配列になるように区切る役割をはたしていたと考えられている。 柵形埴輪の列は第五次で二列、今回の調査で二列、合計四列が見出されている。 |
左の写真は発掘された状態での「家形埴輪」であり、柵形埴輪で区分された東側の三つの区画で見出されており、多くの区画にわたって分布しているようである。 埴輪が出土した状態では、写真で見られるように細かい破片になっており、私にはこの段階で家形であることがイメージできない。 |
左の写真は最も東側の区画で出土した「蓋(きぬがさ)形埴輪」である。 蓋形埴輪は身分の高い人にさしかける傘の形をした埴輪である。 |
蓋形埴輪のある区画の西側に位置する区画からは家形埴輪、人形埴輪が出土している。 二枚の写真の内、左の写真は「巫女(みこ)形埴輪」で右側の巫女の図の赤色に着色された部位が左側の埴輪に対応している。 |
左の写真は人形埴輪の一つである「武人埴輪」の一部である。この破片は図にも示されているように刀を差した腰の下側の部分であるとされている。 巫女や力士また座像男子の埴輪など、平成13年の第五次の発掘調査でも多数の人物埴輪が発掘されており、この区画には多くの人形埴輪と家形埴輪などが集中しているようである。 |
最も西側の区画からは動物形埴輪が多く出土しているようである。 左の写真は「動物形埴輪」であるが、これは四つ足の動物、おそらく馬形埴輪と考えられている。 この四つ足の動物形埴輪が二列になって西側に続いているように配列されていたという。 |
四つ足動物の埴輪列の内濠寄りに「水鳥形埴輪」(左の写真)が一列に並んでいる形で出土している。 左の写真に見られる埴輪の破片から水鳥をイメージすることは私には困難である。 |
左の写真は発掘された「馬形埴輪」の一部である。馬には鞍が付けられているのがわかる。 |
埴輪群とそれのもつ意味: |
第五次の発掘調査も含め、今回第六次の発掘調査で東西(正しくは東南から西北)に伸びている内堤の北側部分(外濠に接した部分)に幅約6m、長さ東西約62mにわたる場所(左の写真)で、家形、柵(さく)形、蓋(きぬがさ)形、人形、動物形などの形象埴輪が合計110点以上発見された(今回の第六次発掘調査で約30点、前回の第五次発掘調査で約80点)。 大量の埴輪が見出されたこの場所を、あるマスコミは「埴輪ランド」と呼んでいる。 |
このような大規模の埴輪群の存在は他に類がないといわれているが、この埴輪群のもつ意味は明確にはわかっていないようである。第五次の発掘調査のところでも若干記述したが、この埴輪群の持つ意味として、天皇(大王)の葬送の儀礼、又は、皇位継承の儀礼を再現したものか、あるいは、天皇を頂点とした階層社会を表したものか等、いろいろな説が考えられているが、何れにしても現状では推測の域を出ていないようである。 |
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Yukiyoshi Morimoto