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現在、各家庭にあるトイレは大便器と小便器が共通になっているのが普通である。以前は、男性用の小便器が別に置かれているのが一般的であったが、少なくとも、大便器と小便器は近接した位置に設置されていた。 |
昭和30年代前半より以前の農家の便所は特徴的であった。大便所と小便所は離れた位置にあり、小便所は家の前、入り口に近い場所にあり、道を通る人が見える位置に設置されていた。しかも、小便所は囲いらしきものは殆どなく、場合によっては単に担桶が置かれているだけのものもあった。 従って、オシッコしている人は、道を通っている人から見られることになるが、女性でも年輩者はやや前傾の姿勢をとって、ここでオシッコをするのが普通であり、私の知る限り、当時はオシッコするという行為を恥ずかしいと思うような様子は見られなかった。これは「排泄を恥ずかしいとする発想は如何にして、いつ頃生まれたか」という興味ある問題に関係してくるが、この点については別に考えてみたい。 小便所がこのような状態であったから、オシッコしたいときは遠慮せずに他人の家の小便所を利用するのが当たり前であった。そのため、農家が多いところでは立ちショーベンする人が意外と少なかったのである。 |
小便所を万人に解放するようなことをした発想の原点はどこにあったのであろうか。 別ページ「商品としてのウンコとオッシコ」にも記載したように、大小便は農家にとって重要な肥料であって、場合によっては購入していたのである。オシッコを集めることは農家にとっては意味のあることであった。 当然、ウンコのほうも肥料的価値は大きかったのであるが、通常、ウンコは一日一回朝、仕事の前に出すことが多いため、自宅の大便所を利用することになる。また、肥料的価値の高いものを、みすみす他人に無料で与えることはない。これらの理由により、他人の家の大便所を利用することは極めて希であり、従って、大便所は殆ど公衆化されていなかった。 このような小便所の解放は遙か昔からあったようで、戦国時代にポルトガルの宣教師が京都の町で便所を見て、「ヨーロッパでは便所は家の後ろに造られているが、日本では家の前に造られていて、しかも解放している」と言って驚いたという。公衆便所の存在に関してはヨーロッパよりも日本の方が実質的に早かったのであり、オシッコをしたくなれば、町中であろうがお構いなしに立ち小便をするのが普通であった当時のヨーロッパの人にとっては驚くべき事だったのだろう。 |
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Yukiyoshi Morimoto