ホーム > 西国街道沿いの史跡 > 闘鶏野神社 | ![]() |
![]() 高槻市氷室(ひむろ)町6丁目 JR東海道線(JR京都線)「摂津富田」駅下車。駅に近接して北側にある高槻市営バス乗り場から「日赤・公団阿武山」、「大阪薬大前」、「上の池滞留所」、「西塚原」行き(経由不問)の何れかの」バスに乗車し「土室(はむろ)」で下車する。バス停近くの名神高速道路の下をくぐって直ぐの交差点を右折し(左手前方には番山古墳が見える)、高速道路に沿って東北の方向に約400m進むと闘鶏野神社に着く。 市営バスの運行頻度は深夜早朝を除き、1時間に4便以上(日曜祝日の9時台のみ3便)。 高槻市教育委員会の案内では「阿武野校前」でバスを下車するようになっているが、バス便がやや少ないこと、バス停から神社までの道順がわかりにくいこと、などから「土室(はむろ)」で下車する方が便利である。 見所など: |
![]() 闘鶏野(つげの)神社の「鳥居」(左の写真)は名神高速道路の南側にあり、「社殿」は北側にある。 この「鳥居」をくぐると石段があり、神社社殿までの「参道」が名神高速道路の上をまたいでつけられている(直下の写真)。つまり、参道が陸橋になっているのであり珍しい。 但し、バス停「土室」でバスを降り、アクセスの項に記載した方法で神社に着いた場合は、「鳥居」をくぐらない。「阿武野校前」でバスを下車した場合はこの鳥居をくぐることになる。行きはアクセスに記載した方法で神社にお参りし、帰りは名神高速道路をまたいだ参道を通り、鳥居をくぐる道程をとればよい。 |
![]() 祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。この神社から西南側に約200m離れた場所にある「八幡大神宮」と同じ祭神である。 従って、以前はこの神社は八幡大神宮とよばれていたらしい。 闘鶏野は仁徳天皇62年頃、額田大中彦皇子の猟場であったといわれている。奈良の闘鶏野とともに、古事記、日本書紀の「氷室」発見伝承に基づいているという。 |
![]() 闘鶏野神社は八幡大神宮とよばれていた頃から、この地区、氷室の氏神として土地の人々の信仰を集めていたと伝えられている。現在でも、正月には初詣に訪れる人は数多い。そのためか、整備が行き届いており、綺麗である。 1980年以前は、この神社は殆ど朽ち果てた状態を呈していたが、その後再建され写真のように綺麗な「社殿」に生まれ変わった。ただ、神社仏閣で新しい建造物は、由緒があっても何となく歴史の重みが感じられない。 (参考:高槻市教育委員会名の解説掲示板) |
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Yukiyoshi Morimoto