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花の井

所在地及びアクセス:

 高槻市別所本町1

JR東海道線(JR京都線)「高槻」駅下車。
 駅南側に出て高架を下り、松坂屋傍の高槻市営バス停留所「JR高槻駅南」6番のりばから「上成合」行き、または「上成合経由川久保」行き(整理券車)の何れかのバスに乗車し、「別所」で下車する。バス停の直ぐ西側に信号のある交差点があるので、そこを右折し直ぐ右側の細く緩い坂道を下り、20〜30m進んだ後、左手にある民家の間にある細い道に入り奥に進むと「花の井」がある。バス停から徒歩約3分。

 なお、「花の井」は民家が密接している場所で民家の門口近くにあるのでその所在が非常にわかりにくい。付近を注意して探す必要がある。

 なお、近くに能因法師に関連した史跡「不老水」、「文塚」、「能因塚」(全て別ページに収載)があるので、これらを同日に見学することができる。

 高槻市営バス「上成合」行き及び「上成合経由川久保」行きの「JR高槻駅南」発車時刻は8:00〜18:00の間について次の通り(2020年4月1日改正、2020年7月現在)。
平日 土曜日 日曜・祝日
08 00 05 15 25 35 50 00 12 28 40 52 04 24 44
09 07* 25 38 55 06* 23 36 51 06 26 46
10 06 25 38 53 05 25 45 06* 26 46
11 08 33 05 25 45 06 26 46
12 03 33* 05* 25 45 06 26* 46
13 01 31 05 25 45 06 26 46
14 01 31 05 25 45 06 26 46
15 00* 30 05* 25 45 05 25 45 55*
16 00* 25 45 05 25* 38 53 05 25 35* 45
17 05 18 33* 48 09 25* 40 55 02 25 37* 49
 無印は「上成合」行き、*印は「川久保(上成合経由)」行き。なお、バスは阪急京都線「高槻市」駅前のバス停「阪急高槻駅」を経由するので、そこから乗車することもできる。

見所など:

 平安時代中期の著名な歌人で、三十六歌仙の一人である能因法師は、晩年この地に移り住んでいたといわれている。
花の井(1)
 能因法師は日常生活をおくるための水を得ていた井戸が、「花の井」と呼ばれており、左の写真がその全景である。「花の井」は写真でもわかるとおり、今では一般民家の直ぐ傍にある。

 能因法師の歌に、『あし引きの山下水に影みれば眉しろたへに我老にけり』というのがあるが、「山下水」というのは「花の井」の別称である。
花の井(2)
 左の写真は井戸跡の傍に建てられている小さな祠であるが、ここには能因法師を祀っていると思われる。

 このような祠は概して放置されることが多く、荒れ果てた状態になりがちであるが、写真でもわかるように、この祠は手入れが行き届いている。
花の井(3)
 井戸
(左の写真)の大きさは数十センチ四方、深さも数十センチ程度でそう大きなものではないが、昔は涸れることなく水が湧き出ていたという。写真でもわかるように、今は涸れてしまって井戸の中には全く水が溜まっておらず、井戸跡といった状態である。

 上記の能因法師の歌にもあるように、彼はこの井戸の水面に写った自分の姿を見て、老いたのを悟り、不老不死の泉を求めて別の井戸「不老水」(別ページ参照)を見出したと伝えられている。
花の井(4)
 直上の写真でもわかるが、井戸の奥側に表面の比較的平らな長方形状の石が見られる。、左の写真はこの部分を拡大したものである。

 この石は天和2年(1682年)に樋口氏が、能因法師の顕彰文を刻んだ石とされている(高槻市教育委員会名の解説掲示板による)が、風化が著しく現在、顕彰文を判読することは事実上、不可能な状態になっている。

 この井戸は水が湧き出ていないこと、顕彰文が判読出来ないこと、などから今では当時の能因法師の生活の一端をわずかに偲ぶのみである。

「花の井」は高槻市史跡に指定されている。

 なお、能因法師関連の史跡「能因塚(能因法師墳)」、「文塚」、「不老水」については、それぞれ該当のページを見て下さい。

 (参考:高槻市教育委員会名の解説掲示板)

最終更新日:2020年7月7日
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