| ホーム > 西国街道沿いの史跡 > 安満遺跡 |
| 所在地及びアクセス: 高槻市八丁畷町 |
![]() JR東海道本線(JR京都線)「高槻」駅下車。駅南側に出て高架を降り、線路に沿って約300m東北方向に歩いた後、弁天駐車場前を東に進む。約400mで左手に跨線橋のある広い通りに出るので、北の方向(左折)に進んだ後、JRの線路に沿って東の方向へ300〜400m進むと安満遺跡に着く。 他のアクセス法:阪急京都線「高槻市」駅下車。北側に出て、阪急の高架に沿って医大付属病院を左手に見て約300m進むと広い通りに出るので、交差点を渡り、直ぐ北の方向に進む。跨線橋に上がらず約450m歩くとJRの線路に行き着くので、線路に沿って東の方向に300〜400m進むと安満遺跡に着く。 |
見所など: |
安満(あま)遺跡は弥生式の石器や土器が発掘され、弥生文明がこの地に拓けていたことがわかった場所であり、国史跡に指定されている。 |
![]() |
| 直上の写真は安満遺跡として指定されている地内を西側から見た遠望である。手前は水田であるがここも遺跡に含まれているものと思われる。 |
![]() |
左の写真は北西側から見た遺跡指定地である。 写真で水田のの向こう側に見えているのは公園である。 |
![]() |
遺跡内には公園が造られている(左の写真)が、ゴミなど散乱しており、きれいではなく公園として住民が利用している様子もない。 遺跡の表示解説板がなければ、運動場のあるきれいとは言えない普通の公園であり、遺跡であることが全く感じとれない。 |
この遺跡は、昭和3年(1928年)に京都大学農学部付属農場を建設する際の工事中に発見されたといわれている。 |
![]() |
その後の発掘調査により、ここは、三島地方で最初に米作をした土地であり、弥生時代から鎌倉時代まで約1400年間続いた集落があったらしい。 左の写真は安満遺跡からの出土品の一つで、弥生時代前期のものとされている甕(かめ)である。 これは高槻市埋蔵文化財調査センターに保管展示されている。 |
![]() |
左の写真の壺も安満遺跡からの出土品で、古墳時代前期のものとされている。 これも高槻市埋蔵文化財調査センターに保管展示されている。 昭和45年には、約1800年前のものと思われる木棺が発見されたといわれている。出土時の状態もよく、我が国最古の木棺と考えられているようであるが、我々はそれを見ることができない。 |
遺跡の保存方法としては、公園とするのも一方法であるかもしれないが、少なくともかつての集落跡がイメージ出来るような形で保存できなかったのであろうか。 (参考:高槻市教育委員会名の解説掲示板) |
2004年2月1日更新 |
| 西国街道沿いの史跡のページへ戻る | このページの先頭へ戻る |
Yukiyoshi Morimoto