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西国番外
東光山 花山院(菩提寺)

(とうこうざん かざんいん(ぼだいじ))


所在地及びアクセス:

 兵庫県三田市尼寺352

 JR宝塚線(福知山線)三田駅下車、神姫バス三田駅北口停留所11番のりばから「乙原
(おちばら)バレイ」行きに乗車し、「花山院」で下車する(バス乗車時間約14分)。バス停から花山院まで徒歩約25分。
 バス停からの道は舗装されており道幅も広いが、登りの急勾配であり、かなり厳しい。

 三田駅北口停留所から「乙原
(おちばら)バレイ」行き(一部「母子(もうし」)行きのバスがあるが、これも「花山院」を通るので利用可)のバス発車時刻は8時から17時までの間について、2015年7月現在下表の通りである(バス時刻は2015年4月1日改正のもの)。バスの時刻は変更されることがあるので利用に際しては、神姫バス三田営業所(TEL:079-565-5711)に確認されることをお勧めします。
 時  平  日  土曜・休日
 8  10  23 55
 9  05 46*  46*
 10  40  40
 11  42   44 
 12  40  40
 13    
 14  10   10 
 15  45   45 
 16  38  38 
 17  27   24 
                                 *:母子(もうし)行き

宗派:
真言宗花山院派(本山)

本尊:薬師瑠璃光如来

開基:法道仙人

縁起:
花山院朱印
 当山は法道仙人が白雉2年(651年)に創建したと伝えられている。法道仙人は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持ってインドから雲に乗ってこの地にきたと言われている伝説的な僧である。法道仙人は西国25番の清水寺や、西国26番の一乗寺なども創建したといわれている。
 西国三十三霊場を開創した徳道上人が中山寺に埋めた宝印を掘り出し、それにしたがって西国霊場を中興した花山法皇が、当山で隠棲生活を14年間送った後、41歳で当山で生涯を閉じたとされている。

 この寺の正式名称は「菩提寺」であるが、一般には通称名である「花山院」の方がよく知られており、花山院菩提寺の名称で呼ばれることも多い。


境内諸堂配置:
境内配置図
 山門を通ると石段があり、石段をあがると本堂の傍に着く。左の配置図にもあるように花山院には「花山法皇殿」と「薬師堂」の二つの「本堂」がある。

見所など:
琴弾坂の石碑
 バス停から花山院までは急勾配の坂が続いており、参道の途中には一丁毎の道標の傍らに小さい石仏が置かれている。

 この坂道(参道)は「琴弾坂」といわれており、左の写真に見られるように、道標も立てられている。花山法皇を慕って弘徽殿女御
(こきでんのにょご)と11人の女官たちが花山院を訪れたが、女人禁制のため参道を登ることが出来ず、尼となって山麓に住み琴を弾いてその思いを伝えたという。琴弾坂の名称はこれに由来していると伝えられている。

 花山院のあるこの付近の地名を「尼寺
(にんじ)」、花山院バス停から300m程、乙原寄りにある峠を「琴引峠」というなど、花山法皇をめぐる女官たちに由来する地名が残されている。
山門
 坂道(参道)上りきると「山門」(左の写真)が見える。山門はそう大きくはないく、山の中の寺らしい雰囲気を持った地味な山門である。
山門をくぐった後の石段
 山門をくぐると、左の写真のように石段の参道がある。石段の途中左手に手水鉢が置かれており、手水鉢の奥に坐像が安置されている(写真左端に見える)が、これが花山法皇の像なのであろうかどうかは分からない。ただ、この像は造られてから、時日があまり経過していないように見える。
花山法皇殿(本堂)
 「山門」をくぐり石段を上がると「花山法皇殿」の札がかかった小ぶりな「本堂」(左の写真)の前に出る。既述したよう当山ではこの「花山法皇殿」と後述する「薬師堂」の二つの「本堂」がある。

 この「本堂」には木造花山法皇像が祀られているといわれているが、直接の拝観はできなかった。
薬師堂(本堂)
 本堂(花山法皇殿)の東側には、やはり小ぶりな「薬師堂」(左の写真)が建っている。ここは西国薬師第21番霊場の札が架かっており、既述の通りこの「薬師堂」も「本堂」である。

 「薬師堂」には当山の本尊である「薬師如来」が祀られている。

 「薬師堂」の更に東側に「幸せの七地蔵尊」(直下の写真)が安置されている。七体の地蔵さんは左手にそれぞれの役割を象徴するものを持っており、右手は参拝者が握って願い事を頼めるように差し出されている。
幸せの七地蔵尊
祖父地蔵
 左の写真は正面から見て最も左側(西側)の地蔵さんで、「祖父地蔵」と呼ばれ左手には軍配を持っている。

 家庭や周囲の人々の為に知恵を授けられる人として生き甲斐のある人生を送れるよう力を与えてくれる地蔵さんである。
祖母地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から2番目の地蔵さんで、「祖母地蔵」と呼ばれ、左手に箒を持っている。

 箒は心のゴミを取り除き、いつも綺麗な心で居られるようにという意味があり、子供や孫に清らかな知恵を授けられる人になり、生き甲斐のある生活を送れるように力を与えてくれる地蔵さんである。
父地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から3番目の地蔵さんで、「父(夫)地蔵」と呼ばれ、左手に天球を持っている。

 家庭、社会で主になって、その役割を果たせるよう、迷うことなく人生を歩むことができる力を与えてくれる地蔵さんである。
母地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から4番目の地蔵さんで、「母(妻)地蔵」と呼ばれ、左手には蓮の花(蓮華)を持っている。

 泥沼に咲く蓮の花のように綺麗な心をもって、女性としての本性の花を咲かせるような人生を送れるよう力を与えてくれる地蔵さんである。
子供地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から5番目の地蔵さんで、「子供地蔵」と呼ばれ、左手には系図を持っている。

 人は遙か昔、神仏から生まれ今日に至っていることを現し、命を大切にして幸せな人生を送る力を与えてくれる地蔵さんである。
結び地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から6番目の地蔵さんで、「結び地蔵」と呼ばれ、左手には紐を持っている。

 人生は神仏と繋がっていて孤独ではないことを表し、人それぞれの希望を成就し、人生の目的を達すことができるように力を与えてくれる地蔵さんである。
賢者地蔵
 左の写真は正面から見て左(西)から7番目で最右端の地蔵さんで、「賢者地蔵」と呼ばれ、左手には経文を持っている。

 真に賢い人は神仏の摂理を知っている人で、経文はこの摂理を文字にしたものである。摂理を学び賢く知恵のある人になれるように力を与えてくれる地蔵さんである。
花山法皇廟(1)
 花山法皇殿の前の広場を隔てて南側の場所に「花山法皇御廟所」(左の写真)がある。

 西国三十三ヶ所中興の祖といわれ、この地に14年もの間隠棲した花山法皇の廟所だけあって規模もそれなりに大きく、石垣を積み上げた上に玉垣をめぐらし、造りもなかなか立派である。
花山法皇廟(2)
 左の写真は「花山法皇御廟所」を正面から近接して見たものである。御廟所は全体的に古色蒼然としているが、これが風格をあげる効果をもたらしている。

 玉垣の内部には容易に入ることが出来ないようになっている。
花山法皇御廟所(3)
 左の写真は「花山法皇御廟所」の玉垣の中に建てられている宝篋印塔である。塔の傍には一本の古木が茂っており、独特の雰囲気を醸し出している。
荒神堂
 「花山法皇殿」の前を西に向かって進むと納経所に着くが、その手前右手に「荒神堂」(左の写真)がある。

 「納経所」や「不動堂」の南側に「展望所」が設けられている。この「展望所」から見た西〜南部の展望は素晴らしい(直下の写真)。写真で左方に見える尖った山は高さ約370mの「有馬富士」、右方に見える湖は「千丈寺湖」である。

 花山法皇もこの景色を見たと思われる。また、麓で女官が弾く琴の音も聞いたであろう。この景色を見、琴の音を聞きながら花山法皇はどんなことを考えていたのであろうか。
展望風景

十二妃の墓:
十二妃の墓所在地図
 花山法皇を慕ってこの地に来た弘徽殿女御
(こきでんのにょご)と11人の女官たちを弔った墓とされている「十二妃の墓」が花山院の麓に当たる場所にある。

 花山院バス停から花山院へ向かって上る道とは逆の方角(南西の方向)に100m余り進むか、又は尼寺北口バス停から西北の方向へ数10m進むと「十二妃の墓」がある(左の地図参照)。
十二妃の墓正面
 十二妃の墓は道路よりやや小高い場所に作られており、周囲を竹垣で囲んでいる。左の写真は墓の正面で、向かって右側から竹垣の中に入ることができる。

 現在は正面に表示は何もないが、15年前には「花山天皇 十二后之墓碑」の木札がかけられていた。
十二妃の墓(1)
 左の写真は竹垣に囲まれた墓地の内部で、写真左側に見える最も大きな五輪塔は弘徽殿女御
(こきでんのにょご)墓碑であり、周りには女官の小さな墓碑が並んでいる。
十二妃の墓(2)
 左の写真も竹垣に囲まれた墓地の内部で、11人の女官の墓碑を見たものである。

 墓所は一寸した木立の中にあり、何か寂しくうらぶれた雰囲気が漂っている。花山院に参拝しても、この墓所まで足を延ばす人は殆どいないようである。是非訪れて、かつて女官たちがこの地で過ごした当時に思いを巡らせるのも悪くはない。

御詠歌:有馬富士ふもとの霧は海に似て波かときけば小野の松風

最終更新:2015年7月23日

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