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所在地及びアクセス:兵庫県三田市尼寺 JR宝塚線(福知山線)三田駅下車、神姫バス「乙原(おちばら)バレー」行きに乗車し、「花山院」で下車する。バス停から花山院まで徒歩約25分。 バス停からの道は舗装されており、道幅も広いが、登りの急勾配であり、かなり厳しい。 三田駅から乙原バレー行きのバスは昼間時(9時-17時)、12時台を除き1時間に1便。花山院バス停を通り三田駅行きのバスは昼間時、10時台と14時台を除き1時間に1便。(1999年9月現在) 宗派:真言宗花山院派(本山) 本尊:薬師瑠璃光如来 |
![]() 開基:法道仙人 縁起: この寺は法道仙人が白雉2年(651年)に創建したと伝えられている。法道仙人は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持ってインドから雲に乗ってこの地にきたと言われている伝説的な僧である。法道仙人は西国25番の清水寺や、西国26番の一乗寺なども創建したといわれている。 元慶寺で出家し、徳道上人が中山寺に埋めた宝印を掘りだし、それに従って西国霊場を再興した花山法皇が、出家後41歳で生涯を閉じるまでの約14年間、この寺で隠棲生活を送っていたとされている。 この寺の正式名称は「菩提寺」であるが、一般には通称名である「花山院」の方がよく知られている。 見所など: |
![]() バス停から花山院までは急勾配の坂が続いており、参道の途中には一丁毎の道標の傍らに小さい石仏が置かれている。 この参道は「琴弾坂」といわれており、左の写真に見られるように、道標も立てられている。 花山法皇を慕って11人の女官たちが花山院を訪れたが、女人禁制のため参道を登ることが出来ず、尼となって山麓に住み琴を弾いてその思いを伝えたという。琴弾坂の名称はこれに由来していると伝えられている。 花山院のあるこの付近の地名を「尼寺(にんじ)」、花山院バス停から300m程、乙原寄りにある峠を「琴引峠」というなど、花山法皇をめぐる女官たちに由来する地名が残されている(直下の地図)。 |
![]() また、バス停の南西側200m程離れた場所には、出家前の花山天皇時代に寵愛されていたが早くして亡くなった弘徽殿女御(こきでんのにょご)と花山法皇を慕ってこの地にきた11人の女官たちを弔った墓とされている、「十二妃の墓」がある(左の地図)。 花山天皇は京都の元慶寺(西国三十三ヶ所番外)で出家してから、この寺で隠棲するまでの間修行に出ていたようであるが、この間に幾人かの女性を愛したという。このことから推測し、花山院で隠棲までしていた花山法皇を慕って、多くの女性が都からこの地に移り尼になり住み着いたということは事実であろう。花山法皇は生臭いようであるが、人間的な魅力が感じられ、これが女性によくもてた理由ではないか。 |
![]() 参道の坂を上りきると「山門」(左の写真)が見える。寺の規模に合わせたのであろうか山門は大きくはない。ただ、山の中の寺らしい雰囲気を持った地味な山門である。 山門をくぐると手水鉢が置かれており、その奥に坐像が安置されているが、これが花山法皇の像なのであろうか。ただ、この像は造られてから、時日があまり経過していないように思われる。 |
![]() 山門をくぐり石段を上がると「花山法皇殿」の札がかかった小ぶりな「本堂」(左の写真)の前に出る。 本堂には木造花山法皇像が祀られているといわれているが、内部にガラス戸があり、しかも暗く、直接の拝観はできなかった。 本堂(花山法皇殿)の右側には、やはり小ぶりな「薬師堂」が建っている。ここは西国薬師第21番霊場になっており、薬師堂には本尊の薬師如来が安置されているようである。 |
![]() 本堂前の広場を隔てて、やや小高い場所に「花山法皇御廟所」(左及び直下の写真)が設けられている。 西国三十三ヶ所中興の祖といわれ、この地に14年もの間隠棲した花山法皇の御廟だけあって規模も大きく、石垣を積み上げた上に玉垣をめぐらし、造りもなかなか立派である。 |
![]() 玉垣の中に建てられている宝篋印塔は苔むしており、塔の傍には一本の古木が茂っている。御廟所は全体的に古色蒼然としているが、これが風格をあげる効果をもたらしている。 宝篋印塔の建っている玉垣の内部には容易に入ることが出来ないようになっている。 境内から見た西ー南部の展望は素晴らしい(直下の写真)。写真で左方に見える尖った山は高さ約370mの「有馬富士」、右方に見える湖は「千丈寺湖」である。 |
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| 花山法皇もこの景色を見たに違いない。また、麓で女官が弾く琴の音も聞こえたことであろう。この景色を見、琴の音を聞きながら花山法皇はどんなことを考えていたのであろうか。 |
![]() 花山院バス停から花山院の参道とは逆の方角(南西の方向)に200m程歩くか、又は尼寺北口バス停から西の方向へ数10m歩くと「十二妃の墓」(左及び直下の写真)がある(地図参照)。 十二妃は上に記載したように、花山院で隠棲生活を送っている花山法皇を慕って、京都を出て花山院の麓に尼寺を造り移り住んだ女官たちのことである。 墓の入口に当たるところには「花山天皇 十二后之墓碑」の木札が付けられており、花山天皇には十二人の皇后が居たような表現になっている。 |
![]() 直上の写真に見られるように墓所の造りは粗末であり、石碑は竹垣で囲まれているにすぎない。 墓の中央に比較的大きな五輪塔が立っているが、これは弘徽殿女御の墓碑であり、周りにある小さな五輪塔は他の女官たちの墓碑であるという(下側の写真)。 墓所は木立の中にあり、何か寂しくうらぶれた不気味な雰囲気が漂っている。花山院に参拝しても、この墓所まで足を延ばす人は殆どいないようである。是非訪れて不思議な雰囲気を体験してほしいものである。 |
御詠歌:有馬富士ふもとの霧は海に似て波かときけば小野の松風 |
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Yukiyoshi Morimoto