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西国番外
豊山 法起院

(ぶさん ほっきいん)
所在地及びアクセス:

 奈良県桜井市初瀬
法起院所在地図
 近鉄大阪線長谷寺駅下車。かなり急勾配の坂を下り、国道165号線を横切り初瀬川に架かっている橋を渡る。橋を渡ると直ぐ右手に門前町があるので、これを道なりに進む。法起院は長谷寺に向かう門前町筋の右側やや奥まった場所にある。
 近鉄長谷寺駅から法起院まで徒歩約15分。

宗派:
真言宗豊山派

本尊:徳道上人像

開基:徳道上人

縁起:
朱印
 法起院は、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲した寺で、天平7年(735年)の創建と伝えられる。
 徳道上人にまつわる伝説がある:養老2年(718年)、徳道上人が病に倒れ冥土に行ったが、閻魔大王から『あなたは死んではいけない。世に三十三の観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ』と教えられ、宝印を授けられてこの世に戻された。徳道上人は三十三の観音霊場をめぐり、人々に霊験を説いてまわったが信じてもらえなかった。落胆した上人は閻魔大王から授かった宝印を中山寺に埋めてしまった。この宝印は約270年後に花山法皇によって掘り出されるまで眠り続けた。これが徳道上人にまつわる伝説である。
 当寺は元禄8年(1695年)に長谷寺の英岳僧正によって再建され現在に至っている。

見所など:
山門
 法起院の「山門」(左の写真)はアクセスの項にも記載したように道筋からやや奥まったところにある。

 「山門」の左側には金文字で『長谷寺開山 徳道上人御廟所』と書かれている。長谷寺の事実上の創始者と考えられる道明上人の廟所と比べ、こちらの方は格段に立派である。右側には『総本山長谷寺開山坊 法起院』と書かれており、長谷寺の塔頭、開山堂としての位置付けを明確にしている。
本堂
法起院の規模は小さく、従って、「本堂」(左の写真)も小ぶりである。本尊は徳道上人像であり、像は徳道上人が自ら造ったものといわれている。

 「本堂」は北向きに建っている。本堂は普通、南向きか又は東向きに建てられており、北向きは珍しいと思われる。これは北側にある長谷寺の方向に向けて意識的に建てられたものであろう。法起院は長谷寺の塔頭であり密接な関係にある。写真からもわかるように本堂に吊り下げられている灯籠も長谷形である。
御廟十三重石塔
 本堂の左手奥に徳道上人の供養塔である「御廟十三重石塔」(左の写真)が建てられている。

 徳道上人は当時としてはずいぶん長生きで、80歳まで生きたという。徳道上人は天平7年(735年)80歳のとき、当院の松の木に登り法起菩薩に化身しこの世を去ったといわれており、この年が法起院の創建年とされている。冥土からの生還、閻魔大王の命による三十三ヶ所霊場の開設、法起菩薩への化身など、徳道上人の身上は伝説に満ちており、それだけに詳しいことはわかっていない人物らしい。上人は大陸からの渡来人ではないか、伝説の人、法道仙人と同一人ではないか、など、諸説がある。 
仏足石
 本堂の左側に「仏足石」(左の写真)が置かれている。

 仏足石は、お釈迦様の姿を拝みたいという願いにより、御足を拝む当時の信仰の形から生まれたといわれている。

 この「仏足石」は故壺阪寺長老常磐勝憲師の好意により、インドで制作されたものという。
上人沓脱ぎの石
 「本堂」の左側(東側)境内の端に近いところに「上人沓脱ぎの石」(左の写真)がある。

 徳道上人は松の木に上がり法起菩薩に化身したと伝えられているが、その時の足跡がこの石に残されているという。沢山の賽銭が供えられているが、どう見ても足跡らしきものを視認することはできないのである。私の不信心の所為なのだろうか。

 こぢんまりとしているが、それだけによく纏まっているきれいな寺である。

御詠歌:極楽はよそにはあらじわがこころおなじ蓮(はちす)のへだてやはある

2006年1月4日最終更新
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Yukiyoshi Morimoto