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西国第三十三番
谷汲山 華厳寺

(たにぐみさん けごんじ)
所在地及びアクセス

 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積
華厳寺所在地図
 樽見鉄道「大垣」駅(JR大垣駅構内にある)から樽見鉄道で「樽見」行き(一部「本巣」行きもある)に乗車し「谷汲口」駅で下車する。駅前から名阪近鉄バス「谷汲山」行きで終点の「谷汲山」まで乗車する。
 バス停から華厳寺の山門まで北の方向へ徒歩数分。

 樽見鉄道を利用する他に「大垣」から近鉄養老線で「揖斐」まで乗車し、そこからバスを利用するアクセス法もあるが、バスの便数が少ないなど実用的ではない。

 樽見鉄道及び「谷汲口」で連絡している名阪近鉄バスの時刻表は次の通りである(2005年7月現在)。
樽見鉄道 名阪近鉄バス
大垣駅発 谷汲口着 谷汲口駅発 谷汲山着
 9:08  9:49 10:02 10:10
10:08 10:49 11:02 11:10
11:08 11:49 11:59 12:07
12:31 13:11 13:14 13:22
13:08* 13:49 14:05 14:13
14:08 14:49 15:02 15:10
15:08 15:49 16:02 16:10
16:08 16:49 17:02 17:10
*:「本巣」で乗り換え
宗派:天台宗

本尊:十一面観世音菩薩

開基:豊然上人、大口大領

縁起:
朱印 会津の住人であった大口大領が地元の文殊菩薩から授かった榎の霊木を持ち、京都に来て仏師に十一面観音像を彫らせた。この仏像を持って会津に帰る途中、この地に来ると仏像が急に重くなり動けなくなったという。

 そのため、大口大領は山中で修行していた豊然上人の助けをかり、延暦17年(798年)に堂を建てこの観音像を祀った。これが華厳寺の創始と伝えられている。堂を建てるとき、山中から油が湧き、これを灯明に用いたという言い伝えもあり、谷汲の地名はこれに由来してるという。

 谷汲山華厳寺の名称は醍醐天皇から賜ったとされている。

見所など:
仁王門
 バス停付近から仁王門までの間は門前町になっており、数多くの土産物屋などが軒を連ねている。

 また、道の両側には桜の並木があり、季節には桜の花見に訪れる人が多いと聞く。この桜並木を保存するため、バス停は仁王門からかなり離れた場所にあり、仁王門の近くまで乗り入れることが出来ない。
仁王門の大草鞋
 「仁王門」の前には『西国第三十三番満願霊場』と書かれた石碑が立てられ(直上の写真)、両脇には運慶の作と伝えられている仁王像が置かれている。

 門の左右には普通サイズの草鞋の他に巨大な「草鞋(わらじ)」がぶら下がっている(左の写真)。華厳寺に限らず、草鞋が奉納されている西国三十三ヶ所の寺院をしばしば見るが、このように巨大な草鞋はここだけである。

 草鞋の奉納は、かつて三十三ヶ所霊場を歩いて巡礼した時代の名残と思われ、霊場巡りをしている個人が奉納したものであろうが、この巨大な草鞋は村の観光協会の奉納によるものらしく、
華厳寺観光の目玉の一つとしてここに置かれているようである。こう考えるとこの巨大な草鞋も妙に俗っぽく見えてしまう。
参道
 仁王門をくぐると本堂前の石段まで「参道」が続く。

 左の写真でも見られるように、「参道」の両側には石灯籠が並び、『南無十一面観世音菩薩』と書かれている奉納のぼりが何本も立っている。
これが独特の雰囲気を醸し出しており、西国三十三ヶ所満願の寺として厳粛な気持ちになるから不思議である。

 石段を上がると、直ぐ「本堂」(直下の写真)である。
本堂近景
 現存の「本堂」は明治12年(1879年)に再建されたものといわれており、120年以上経日しているがあまり古い感じはしない。多分、再建されてから現在までの間で改修が行われているのであろう。

 
本堂に祀られている「本尊、十一面観世音菩薩」は秘仏であり、直接の拝観はできない。

 脇侍の
「木造毘沙門天立像」重要文化財に指定されている著名な仏像であるが、これも直接拝観することができなかった。
精進落としの鯉
 寺によっては秘仏とされている本尊はその寺の創建時のものである、ということがよくあるが、この華厳寺の本尊は創建時のものであるとは伝えられていないようである。

 本堂の入口にあたる左右二本の柱には、青銅製の鯉が付けられている(左の写真)。

 この鯉は「精進落としの鯉」と呼ばれているようで、かつての巡礼者達は華厳寺で満願の参拝を済ませ、この鯉に触れることにより精進生活からすっかり開放された気持ちになったらしい。

 左の写真でもわかるように、今でも参拝者の多くはこの鯉を撫でていくが、殆どの人は単なる観光参拝者であり『精進落とし』とは何の関係もないであろう。この鯉に触ることは特に意味のない一種の儀式になっているようである。
笈摺堂奉納物
 本堂の左側奥に、本堂に密接して「笈摺(おいずる)堂」と名付けられた小さな堂が建てられている(左の写真は堂の内部)。

 「笈摺堂」は本来、西国三十三ヶ所巡礼の満願をむかえた人が巡礼中に使用した笈摺(巡礼者が着物の上に着る袖無し羽織に似たうすい衣)や笠などを奉納する堂であるが、写真でもわかるように、彩色の折り紙で折った千羽鶴や絵馬、巡礼者の名前と写真を入れた額なども奉納されている。
満願堂
 笈摺堂に奉納されているものも、本来のものから現在風のものに変化してきているといえるのではなかろうか。

 笈摺堂の左(西側)の石段を上がると「満願堂」(左の写真)が建っている。

 堂の前の石灯籠には『満願』と書かれているが、書かれている石が丸っこく、何となく『満腹』を連想させユーモラスである。

 参拝者の多くは「本堂」と「笈摺堂」の参拝を済ませると帰路につき、「満願堂」まで参拝に訪れる人はやや少なくなるようである。
奥の院への参道
 満願堂の右側に細い道が山の上に向かってつけられているが、これが「奥の院」への参道である。

 「参道」といっても道らしきもののない場所もある。左の写真のように木の根が一面に露出していたり、大きな石がごろごろしていて実に通りにくいような所もある。

 「奥の院」まで徒歩約40分の参道は道が悪く、且つ登りの連続であり、かなりきつい。これは西国三十三ヶ所でも最大の難所の一つである。「奥の院」まで参拝に来る人は非常に少なく、西国三十三ヶ所のガイドブックにも書かれていないが、奥の院を是非参拝すべきであろう。

 「奥の院」の堂(直下の写真)は思ったより新しく、汚されていない。現存のものは昭和30年代中頃に建てられたものらしい。
奥の院
 概して奥の院といえば暗い場所にあり、重苦しい不気味な雰囲気を醸し出しているものが多いが、ここの奥の院は明るい場所に建てられており、一般に見られる奥の院とは若干趣を異にしている。

 谷汲山華厳寺は西国三十三ヶ所満願の寺であるが、現実には巡礼の最後に参拝する寺とは限らず、極端な場合、華厳寺を最初に参拝する人もあるという。

 しかしながら一応、満願の寺とされているので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがある。上に掲載した朱印は未来のものである。また、御詠歌も下記の通り三つある。

御詠歌:

(過去) いままでは親と頼みし笈摺を脱ぎて納むる美濃の谷汲
(現在) よろずよの願いをここに納めおく水は苔よりいづる谷汲
(未来) 世を照らす仏のしるしありければまだともしびも消えぬなりけり

2005年7月18日最終更新
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Yukiyoshi Morimoto