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西国第三十一番
姨綺耶山 長命寺
(いきやさん ちょうめいじ)
所在地及びアクセス:

 滋賀県近江八幡市長命寺町
長命寺所在地図
 JR東海道本線(琵琶湖線)近江八幡駅下車。駅北側にある近江鉄道バス「近江八幡駅」から[長命寺線]「長命寺行き」又は「国民休暇村行き」に乗車し、「長命寺」で下車する(バス乗車時間:22〜25分)。
 バス停傍の土産物屋の前を通ると、長命寺までの808段の石段がありこれを上ると長命寺に着く。バス停から徒歩約30分。
 車で来ると山門の近くまで車道がついており、808段の石段を登る必要はなく、約100段の石段を上るだけでよい。この車道を徒歩で登ることも可能であるが、距離が長くなるので、石段を登るのとどちらが早く楽に登れるのかはよくわからない。
 車で来てもバス停の傍の駐車場に車を置いて808段の石段を上がる参拝者も多い。
 何れにしても、長命寺に参拝する際は身体が許す限り、著名な808段の石段を上りたい。

 近江鉄道バス[長命寺線]、「長命寺行き」又は「国民休暇村行き」の近江八幡駅発車時刻(7時〜17時の間について)は次の通り。(2006年1月現在)
 平  日 土・日・祝日
07 08 29 50 26 50
08 00 22 37 54 08* 22 37 54
09 07 26 40 10 22 40
10 05 25 40 00 22 40
11 05 20 40 05 20 40
12 05 20 40 05 20 40
13 05 20 51 05 20 51
14 20 40 20 40
15 05 20 40 05 20 40
16 05 20 40 05 20 40
* 日・祝日は運休(土曜日のみ運行)

宗派:天台宗(単立)

本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体

開基:聖徳太子

縁起:
朱印
 十二代景行天皇の代、武内宿彌(たけのうちのすくね)がこの山に上り、『寿命長遠諸元成就』の文字を柳の大木に彫り、長寿を祈願した結果、三百歳の長寿を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地を訪れ山に上り、武内宿彌が彫った柳の木を見、感嘆しているとそこに白髪の老人が現れ、『この木で仏像を刻み、寺を建立するように』と告げ立ち去ったという。太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、推古天皇27年(619年)に本尊として祀り、武内宿彌長寿霊験の因縁で長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされている。

 当寺は永正13年(1516年)に戦火に遭い、伽藍の殆どは焼失してしまい、現存する建造物は大永年間から慶長年間(1521-1614年)にかけて再建されたものといわれている。

見所など:
参道入口
 バス停の傍にある土産物屋の前を通り抜けると、直ぐ石段の参道(左の写真)が見える。

 参道の入口に『西国三十一番札所 長命寺』と彫られた石柱と長命寺本堂までの石段数を書いた立て札(下記参照)が立てられている。
長命寺への案内
 参道の上がり口に左の写真に見られるような立て札がある。この参道の石段は本堂まで808段あるというが、傾斜の大きい場所が多く、かなり厳しい。とても段数を数えながら登る気にはならない。ただ、段差が比較的そろっているので特別に登り難いということはない。

 余程の年寄りか、病人でもない限り、正規の参道であるこの石段を登りたい。
参道石段の途中にある結界
 参道の途中に左の写真のような山門風の建造物がある。おそらくこれは清浄な場所と俗な普通の場所とを区別するために設けられている「結界」と思われる。これが「結界」であれば、これより奥が清浄な領域ということになる。
駐車場にある石柱
 山門の直ぐ下に駐車場があり、自家用車やタクシーではここまで歩かずに来ることができる。駐車場から山門に上がる石段の傍には左の写真のような石碑が建てられている。

 写真左側に見える石碑に書かれている『健康長寿の観音さん』は長命寺のキャッチフレーズになっているようである。
山門
 西国札所の殆どの寺院には重厚な山門が建てられているが、長命寺の「山門」は左の写真にあるように極めて簡素である。

 駐車場と山門までの間の石段の中央に「聖徳太子礼拝石」と刻まれた石碑が建っているが、この石碑は見た目にはそう古いものには見えず綺麗すぎ感覚的にピッタリしない。
本堂南面
 「山門」をくぐり更に石段を上がると『西国三十一番札所 長命寺』と彫られた石柱がある。寺名が彫られた石柱はこれで三本目である。この石柱の背後に「本堂」の南面(左の写真)が見えるが、本尊は南向きに安置されているので、この南面が実際には「本堂」正面になるのであろう。
本堂
 左の写真は「本堂」の西面であるが、こちら側から本堂に入るので西面が正面のように見える。写真もこの西面を背景に記念撮影するのが一般的なようである。

 現存の「本堂」は大永4年(1524年)に再建されたものといわれている。
本堂正面
 左の写真は「本堂」内部正面(拝所)であり、この奥に本尊、千手十一面聖観世音菩薩三尊一体が安置されている。本尊は聖徳太子が刻んだもの、又は、一説には鎌倉時代の作ともいわれおり、何れであるかは明らかではないようである。

 本尊は秘仏であり直接の拝観はできない。


 「本堂」重要文化財に指定されており、本尊、千手十一面聖観世音菩薩三尊一体重要文化財に指定されている。
三重塔
 本堂の東側には「三重塔」(左の写真)が建てられている。この三重塔は桃山様式の建築で、現存のものは慶長2年(1597年)に建てられたものとされている。

 「三重塔」
重要文化財に指定されている
三仏堂
 「本堂」の西側、「本堂」に近接して「三仏堂」(左の写真)が建てられている。

 「三仏堂」は佐々木義秀の菩提を弔うため元暦元年(1184年)に造立したものと伝えられており釈迦、弥陀、薬師の三尊を祀っている。現存の建物は永正13年(1516年)の焼失後、永禄年間に再建されたものといわれている。

 「三仏堂」滋賀県指定の有形文化財になっている。
護法権現社拝殿
 「護法権現社拝殿」(左の写真)は「三仏堂」の西側、「渡廊下」で「三仏堂」に接して建てられている。写真右端に見えているのが「三仏堂」であり、両建物の間にあるのが「渡廊下」である。

 現存の「護法権現社拝殿」は永禄8年(1565年)の建立と考えられている。「渡廊下」も同時期の建築らしい。
護法権現社拝殿・本殿
 「護法権現社拝殿」を通して奥に見えるのが「護法権現社本殿」(左の写真)である。写真でもわかるように「拝殿」は極めて簡素な造りになっている。「本殿」には長命寺の護法神として開山、武内宿彌を祀っている。このことから、護法権現社を「開山堂」とも呼んでいる。

 現存の「本殿」は江戸時代後期の再建によるものと考えられている。

 「護法権現社拝殿」、「渡廊下」は何れも滋賀県指定の有形文化財になっている。
修多羅岩
 「護法権現社」の裏、山の斜面に大きな岩のあるのが目につく。これは「修多羅岩」(左の写真)と呼ばれており、開山、武内宿彌のご神体とされている。
鐘楼
 「護法権現社」の西側、一段高いところに「鐘楼」(左の写真)が建てられている。

 「鐘楼」の鐘は琵琶湖の龍神が長命寺の観世音に捧げたものである、という伝説がある。


 「鐘楼」重要文化財に指定されている。
境内伽藍
 「鐘楼」の建っている場所から東側を見たのが左の写真で、ここから主な伽藍を見通すことができる。この場所からの写真は長命寺の紹介用また観光宣伝用などに多用されているようである。

 写真奥から「三重塔」、「本堂」、「三仏堂」、「護法権現社拝殿」である。
太郎坊大権現社への道
 境内の西端に「太郎坊大権現社」及びその「拝殿」がある。左の写真はそちらに向かう参道である。
太郎坊大権現社
 左の写真で手前左側にある建物が「拝殿」、写真右上に見えるのが「太郎坊大権現社」である。

 ここには長命寺の修行僧で空を飛んだり、風雨を呼ぶ霊力をつけ、後に京都の愛宕山に移り住んだと伝えられている太郎坊を祀っている。愛宕山の太郎坊は神として信仰の対象となる大天狗の名がついている。

 「拝殿」と「太郎坊大権現社」の間には石段があり、その途中右側に大きな岩があるが(直上の写真では中央に写っている)、これが今にも落ちそうに見える。この岩は飛来石と呼ばれており、修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで飛ばしてきたものと伝えられている。

 長命寺はかなりの高所にあるので境内から琵琶湖を見渡すことができる。

御詠歌:八千年(やちとせ)や柳に長き命寺(いのちでら)運ぶ歩みのかざしなるらん

2006年1月4日最終更新
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Yukiyoshi Morimoto