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所在地及びアクセス:京都府舞鶴市松尾 JR小浜線「松尾寺」駅下車(小浜線の運転頻度は1時間に1便以下、運休日もあり、要注意)。南の方向へ少し進むと国道27号線に出る。国道の交通量は非常に多い。国道を東の方向へ約15分歩くと松尾寺への参道の標識が見える。それに従い、国道と別れ、北東〜北の方向に進む。松尾寺まで一本道である。JRの駅から寺まで徒歩約50分。 東舞鶴駅から京都交通バスを利用することもできる。8時〜17時の間で東舞鶴駅前発の高浜方面行きバス時刻は次の通り(2000年5月現在、平日休日とも)。9:58(高)、11:58(高)、13:28(吉)、14:28(吉)、15:28(高)、16:28(吉)。(高)は「高浜」行きであり、「松尾寺口」で下車し、以後、松尾寺まで徒歩約35分。(吉)は「吉坂」行きなので終点まで乗車し、以後、松尾寺まで徒歩40分弱。 |
上記方法による交通の便が悪いので、殆どの参拝者は自家用車で来るか、又は、東舞鶴駅前からタクシーを利用しているようである。JR松尾寺駅は無人駅であり、客待ちのタクシーはない。宗派:真言宗醍醐派 本尊:座像馬頭観世音菩薩 開基:威光上人 縁起: 中国から渡来した威光上人が青葉山中の松の大木の下で修行中に馬頭観音像を感得し、慶雲5年(708年)にこの松の木の下に草庵を造り、観音像を安置したのが松尾寺の創始とされている。 この霊験が都に伝わり、8世紀初頭に元明天皇(707〜715年)は藤原武智麻呂に命じ、本堂を建立させ、馬頭観音を刻ませたという。 |
一方、10世紀末に海難に遭った漁師が馬頭観音の化身といわれた流木にすがって救われ、この木で馬頭観音を刻んだという説もあるようである。以来、信仰を集め大寺になったらしいが、織田信長の兵火により全焼、その後、復興し現在の寺観になったのは享保15年(1730年)という。 見所など: 国道27号線から府道564号線に入ると松尾寺の参道となる。参道といっても道幅は広く舗装されており、山門下まで車が入ることができる。 参道は寺まで登り路であるが、急勾配の場所は少なく、路が舗装されていることでもあり、あまり苦労を要しない。 |
![]() 歩いて登ると、直上の写真にあるように、参道途中所々に昔の「石の道標」の立っているのを見ることができる(写真で左端の草むらの中に立てられているのが道標)。 上記、アクセスの項にも記載したがこの参道を車で登る人が殆どである。ここを歩いて登ったことに寺の人は感心していたが、余程の老人か病気の人でない限り歩いて登るべきであろう。 左の写真は「仁王門」である。現存の仁王門は江戸中期、享保15年〜享和2年(1730〜1802年)に建てられたものといわれ、風格のある建物である。柱、天井などには隙間のないくらい千社札が貼られており、見ようによっては汚れた感じがする。 「仁王門」は京都府の文化財に指定されている。 |
![]() 仁王門をくぐって直ぐ右手に進むと「烏蒭渋摩(うすしま)明王殿」と表示された、およそこの寺に不釣り合いな新しい建物が建っている(左の写真)。 一見してトイレであることはわかるが、それにしても見慣れない表示である。 「うすしま明王」は全ての汚濁を清める働きをもっているとされ、便所の守護仏とされているようである。用便できることの感謝と清浄に保つことの誓いを新たにするよう、トイレが「うすしま明王殿」と名付けられているようである。 |
![]() 仁王門をくぐり直進し、石段を上がると目前に「本堂」及び「手水所」が見える(左の写真)。 本堂は二重屋根の特異な形状をした宝形造りであり、非常に珍しく、印象的である。本堂正面にある「手水所」の屋根も宝形造りである。 現存の「本堂」は享保5年に着工し、10年の歳月をかけ享保15年(1730年)に完工したものといわれており、京都府の文化財に指定されている。 |
![]() 左の写真は「本堂拝所」である。 本尊は8世紀初頭(縁起の項に記載したように10世紀末という説もあるが)に刻まれた馬頭観世音菩薩で、その胎内に威光上人が感得したとされる馬頭観音像が納められているという。 現存の本尊は松尾寺創建時の本尊そのものであるかどうかは定かでないが、現本尊は10世紀末に馬頭観音の化身といわれた流木で刻まれたものとされているようである。 なお、本尊は秘仏であり、直接の拝観は出来ないが、前立ちの馬頭観世音菩薩像は本尊とそっくりに造られているという。 胎内仏を含め本尊は約千年もの昔に造られたものということになるが、造られた当時のままの形で現存しているのだろうか。そうだとすれば、どのようにして保存をしてきたのであろうか。 |
![]() また、それだけの由緒のある仏像が何故、国宝乃至重要文化財に指定されていないのであろうか。 この辺のところが素人である私の疑問であり、知りたいところでもある。 本堂前の石段を上がって直ぐ右手の方に進むと「鐘楼」が建っており、その傍に大きな「銀杏の木」がある(左の写真)。 この木は元永2年(1119年)に鳥羽天皇が手植えした銀杏と伝えられている。 この「銀杏の木」は舞鶴市の文化財に指定されている。 |
![]() 本堂前の石段を上がってすぐ左手に土蔵のような建物、「経蔵」が建っている(左の写真)。 「経蔵」も仁王門と同じく江戸中期、享保15年〜享和2年(1730〜1802年)に建てられたものとされており、京都府の文化財に指定されている。 本堂の前左手に「馬の像」が置かれている(直下の写真)。 ここに馬の像が置かれている意味はよくわからないが、本尊が馬頭観世音菩薩であることと関係があるのだろうか。 |
![]() 西国第四番の施福寺の境内にも馬の像が置かれているが、こことは若干意味が違うとしても、当時は馬が主要な交通手段であったこと。従って、交通の守護仏とされたことに由来しているのではなかろうか。 松尾寺には上記文化財のほか、数点の重要文化財と一点の国宝が所蔵されているという。 それらの内、著名なものは国宝に指定されている「普賢延命像」であろう。これは12世紀前半に制作されたといわれている絹本著色画である。但し、このものは京都国立博物館に寄託されているようである。 |
御詠歌:そのかみは幾世(いくよ)経ぬらん便りをば千歳もここに松の尾の寺 |
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Yukiyoshi Morimoto