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西国第二十九番
青葉山 松尾寺

(あおばさん  まつのおでら)
所在地及びアクセス:

 京都府舞鶴市松尾

 JR小浜線「松尾寺」駅下車(小浜線の運転頻度は1時間に1便乃至それ以下、下記の時刻表参照)。南の方向へ少し進むと国道27号線に出る。国道を東の方向へ約15分歩くと松尾寺への参道の標識が見える。それに従い、国道と別れ、北東〜北の方向に進む。松尾寺まで一本道である。JRの駅から寺まで徒歩約50分。
 東舞鶴駅から京都交通バスを利用することもできるが、便数は非常に少ない。東舞鶴駅前から高浜方面行きのバスに乗車し、「松尾寺口」で下車する。バス停から松尾寺まで徒歩約40分弱。
 公共交通機関の便が悪いので、殆どの参拝者は自家用車で来るか、又は、東舞鶴駅前からタクシーを利用しているようである。JR松尾寺駅は無人駅であり、客待ちのタクシーはない。
 国道から別れ松尾寺に向かう道路は車が通行できない状況になっている可能性があり、その際は迂回しなければならない。状況詳細は松尾寺に問い合わせて下さい(電話:0773-62-2900)。

 上の地図でバルーン状のマーカーをクリックすると説明が出ます。

 松尾寺参拝の際、利用する公共交通機関、JR小浜線及び京都交通バスの「東舞鶴」発時刻を下表に示す。何れも8時〜17時の間について記載した。両交通機関とも平日、土曜、休日何れも発車時刻は同じである。
  JR小浜線「東舞鶴」駅発車時刻
(東舞鶴発敦賀行き)
 8:55
11:04
13:35
14:34
15:34
16:42
2011年12月現在
(平成23年3月12日改正)
 京都交通バス「東舞鶴駅前」発車時刻
(東舞鶴駅前発高浜駅前行き)
 
 8:45
12:05
15:55
2011年12月現在
(平成20年10月21日改正)


宗派:
真言宗醍醐派

本尊:座像馬頭観世音菩薩

開基:威光上人

縁起:
朱印
 中国から渡来した威光上人が青葉山中の松の大木の下で修行中に馬頭観音像を感得し、和銅元年(708年)にこの松の木の下に草庵を造り、観音像を安置したのが松尾寺の創始とされている。
 一方、10世紀末に海難に遭った漁師が馬頭観音の化身といわれた流木にすがって救われ、この木で馬頭観音を刻んだという説もあるらしい。
 元永2年(1119年)には鳥羽天皇の行幸があり、信仰をあつめ大寺として繁栄したようである。
 その後、何回かの火災に遇い、また織田信長の兵火による全焼もあったが、細川幽斎や京極家の援助で復興し、現在の寺観になったのは享保15年(1730年)という。

境内諸堂配置図
境内諸堂配置図

見所など:
松尾寺までの道路
 国道27号線から府道564号線に入ると松尾寺への道となる。道幅は広く舗装されており、山門下まで車が入ることができる(アクセスの項にも記載したが、この道路は車が通れなくなっている可能性がある。その際は迂回路を通る必要がある)。 

 歩いて登ると、左の写真に見られるように、途中所々に昔の「石の道標」の立っているのを見ることができる(写真で左端の草むらの中に立てられているのが道標)。

 この道路は寺まで登り路であるが、急勾配の場所は少なく、路が舗装されていることでもあり、あまり苦にならない。

 上記、アクセスの項にも記載したが松尾寺まで車で登る人が殆どである。ここを歩いて登ったことに寺の人は感心していたが、余程の老人か病気の人でない限り歩いて登りたい。
仁王門
 左の写真は「仁王門」である。現存の仁王門は江戸中期、享保15年〜享和2年(1730〜1802年)に建てられたものといわれ、風格のある建物である。門には『青葉山』の山号が書かれた額が掲げられている。

 「仁王門」は京都府文化財に指定されている。
仁王門内
 「仁王門」内の柱、天井それに壁面などには左の写真に見られるように多くの千社札が貼られている。どのようにしてあんな場所に貼ることが出来たのであろうか、と思われるような所にも千社札が見られる。

 「仁王門」内にも恐らく『青葉山』と書かれていると思われる(浅学である私にはよくわからない)扁額が掲げられている。
便所
 「仁王門」をくぐって直ぐ右手に進むと「烏蒭渋摩
(うすしま)明王殿」(左の写真)の表示がある比較的新しい感じのする建物が見える。

 この建物はトイレであることは分かるけれども、それにしても見慣れない表示である。
うすしま明王
 トイレの中には左の写真に見られるようなトイレの仏様「烏枢瑟摩
(うすしま)明王」(何故か表の表示とは文字が異なっている)の像が掲げられている。「烏枢瑟摩明王」は全ての汚濁を清める働きをもっているとされ、便所の守護仏とされているようである。用便できることの感謝と清浄に保つことの誓いを新たにするよう、トイレが「うすしま明王殿」と名付けられている。

 左の写真の明王像は男性用のトイレに掲げられている明王である。女性用のトイレにも明王像が掲げられているが、男性用トイレのものとは異なったものである。
内側から見た仁王門
 「仁王門」をくぐり、霊宝殿を右手に見て参道を直進すると、本堂の前に石段があるが、石段の途中で振り返えると「仁王門」の内側(裏側)(左の写真)が見えるが、こちらから見た仁王門も風格がある。
本堂遠望
 左の写真は本堂前の石段下から、奥に見える「本堂」を遠望したものである。「本堂」の屋根が見えるが、この場所からでも、かなり特異な形状をしているのが分かる。
本堂
 石段を上がると眼前に「本堂」及び「手水所」(左の写真)が見える。本堂は二重屋根の特異な形状をした宝形造りであり、印象的である。写真で本堂正面の手前に見える「手水所」の屋根も宝形造りである。
本堂(2)
 真正面から見た写真では「本堂」と手水所の位置関係がわかりにくいが、左の写真のように正面から右側にややずれた位置から見ると分かりやすい。

 現存の「本堂」は享保5年に着工し、10年の歳月をかけ享保15年(1730年)に完工したものといわれており、京都府文化財に指定されている。
本堂近景
 左の写真は「本堂」の正面近景(拝所)である。

 本尊は8世紀初頭(縁起の項に記載したように10世紀末という説もあるが)に刻まれた馬頭観世音菩薩で、その胎内に威光上人が感得したとされる馬頭観音像が納められているという。現在の本尊は松尾寺創建時の本尊そのものであるかどうかは定かでないが、現本尊は10世紀末に馬頭観音の化身といわれた流木で刻まれたものとされているようである。

 なお、本尊は秘仏であり、直接の拝観は出来ないが、お前立ちの馬頭観世音菩薩像は本尊とそっくりに造られているという。

 胎内仏を含め本尊は約千年もの昔に造られたものということになるが、造られた当時のままの形で現存しているのだろうか。また、それだけの由緒のある仏像が何故、重要文化財に指定されていないのであろうか。
大師堂
 「本堂」の東側にあり、本堂から渡り廊下様でつながっている建物が「大師堂」(左の写真)である。
鐘楼
 本堂前の石段を上がって直ぐ右手の方向に「鐘楼」(左の写真)が見える。
銀杏の木
 「鐘楼」の傍に大きな「銀杏の木」(左の写真)がある。この木は元永2年(1119年)に鳥羽天皇が手植えした銀杏と伝えられている。

 銀杏はジュラ紀に栄えた植物であるが、ヨーロッパやアメリカでは3世紀末に絶滅し、現在残っているのは日本と中国だけという。

 この「銀杏の木」は舞鶴市文化財に指定されている。
経蔵
 本堂前の石段を上がってすぐ左手、「本堂」から見て西南側に土蔵のような建物、「経蔵」(左の写真)が建っている。

 「経蔵」も仁王門と同じく江戸中期、享保15年〜享和2年(1730〜1802年)に建てられたものとされており、京都府文化財に指定されている。
馬の像
 本堂の前左手に「馬の像」が置かれている。

 こに馬の像が置かれている意味はよくわからないが、本尊が馬頭観世音菩薩であることと関係があるのだろうか。西国第四番の施福寺の境内にも馬の像が置かれているが、こことは若干意味が違うとしても、当時は馬が主要な交通手段であったこと。従って、交通の守護仏とされたことに由来しているのではなかろうか。

 松尾寺には文化財に指定されている建物等のほか、数点の重要文化財と一点の国宝が所蔵されているという。

 それらの内、著名なものは国宝に指定されている「普賢延命像」であろう。これは12世紀前半に制作されたといわれている絹本著色画である。但し、このものは京都国立博物館に寄託されているようである。

御詠歌:そのかみは幾世(いくよ)経ぬらん便りをば千歳もここに松の尾の寺
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