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西国第二十八番
成相山 成相寺
(なりあいさん ないあいじ)
成相寺所在地図 所在地及びアクセス

 京都府宮津市成相寺

 北近畿タンゴ鉄道(KTR)天橋立駅(大阪及び京都から特急列車が乗り入れている)で下車。文殊堂の境内を通り、徒歩約5分で天橋立桟橋に出る。丹後海陸交通の遊覧船で一の宮桟橋まで乗船する。天橋立桟橋からの船便は通常のダイヤで9〜10時は1時間に3便、11〜14時は1時間に4便、15時は1時間に3便、16時は1時間に2便。
 一の宮桟橋から一の宮籠神社の境内を抜け、徒歩約5分で傘松ケーブルの府中駅に着く。府中からケーブル(1時間に4便)又はリフト(連続運転)でケーブル傘松駅まで登る。ケーブル傘松駅から成相寺まではバスが運行しており、約6分の乗車で成相寺の山門前に着く。バスは通常、9〜16時は1時間に4便。ケーブル、バス共に運賃はかなり割高である。
 北近畿タンゴ鉄道天橋立駅前〜ケーブル下の間、バスが運行されているが便数は少なく(1時間に約1便)、また、所要時間からみても、船便を利用する方がはるかに便利である。(船便、ケーブル便、バス便とも2000年7月現在)


宗派:高野山真言宗
朱印
本尊:聖観世音菩薩

開基:真応上人

縁起:

 真応上人が霊地を求め諸国を旅していたが、この地の風景に惹かれて庵を結び修行していたところ、慶雲元年(704年)のある日、老人が現れ観世音菩薩像を置いて立ち去った。上人はこの像を安置するための堂を建てたのが寺の創始とされているようである。
 大雪の続いた冬のある日、食べ物はなくなり上人は餓死寸前であったが、そこに一頭の傷ついた鹿が現れた。肉を食べてはならないという戒律があったが、命には代えられず、その鹿の肉を煮て食べた。上人は食べてから、鹿の肉と思ったのは本尊の腿の木片であることに気付き、観世音菩薩が身代わりになり助けてくれたことを知った。
 上人は喜び、木片を観世音菩薩の腿につけると像は元通りになったという。これが成相(合)寺の寺名の由来とされている伝説である。

見所など:
傘松公園から見た天橋立
 傘松ケーブルで上がった場所にある傘松公園から日本三景の一つであり、股覗きで知られている「天橋立」を見ることができる(直上の写真)。ここまでは観光客も多いが、ここからバスに乗り成相寺を訪れる人は多くはない。
山門
 傘松からのバスの終点は成相寺の山門の前である。

 「山門」(左の写真)には見事な彫刻が施されているが、門の規模はそう大きなものではない。

 当初の成相寺は現在の地より更に山の上方にあったといわれており、応永7年(1400年)に起こった山崩れのために、現在の地に移されたという。

 山門から本堂までは約300mあり、この間に幾つかの堂宇が建てられており、それらの内の一つとして「五重塔」がある。
五重塔
 「五重塔」(左の写真)は山門から本堂までの参道左側の広場の上側やや小高い場所に建てられている。

 この五重塔は「平成五重塔」とも呼ばれており、平成12年に復元完成されたようであるが、完成しているのは外部だけで塔の内部は未完成であり、現在工事中である(2001年10月、内装彩色担当者からの情報による)。なお、平成15年秋の完成をめざし外装も再度、朱の塗り直しが行われるとのことである。


 完成してから時間も経過していないだけに綺麗であるが、古刹の堂宇には古色蒼然たるものがないと何となく物足りなさを感じるのは私だけだろうか。

 五重塔の西側に天橋立を見ることができる展望所があり、傘松公園から見るよりも、はるかに高い位置から天橋立が遠望できるようになっている。

 五重塔の北側に池があり、左甚五郎が彫刻のモデルとした龍(後述)がここに住んでいると伝えられ、「底無の池」と名付けられている。底無の池とか底無の沼とか呼ばれている池は世に多いから別に驚くにあたらないが・・・。
撞かずの鐘
 本堂までの石段を一寸上ったところ右側に有名な「撞(つ)かずの鐘」を納めた鐘楼が建っている(左の写真)。

 慶長14年(1609年)山主賢長は、新しい鐘を鋳造するため浄財の寄進を募ったとき、裕福そうな家の嫁が、子供は沢山居るが寺に寄付する金はない、と言って断った。鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の嫁も子供を抱えて見物に来ていたが、誤って子供を坩堝(るつぼ)の中に落としてしまった。出来上がった鐘をつくと、子供の泣き声、母を呼ぶ悲しい声が聞こえ、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、以後、一切この鐘をつくのを止めたという。

 これが、「撞かずの鐘」にまつわる有名な伝説である。

 鐘楼の中にスピーカーが仕掛けられており、上記の
伝説とお経が聞こえてくるが、これがかえって鐘楼の持つ不気味さを消してしまっている。
一願一言地蔵
 撞かずの鐘の横の石段を上がった場所、本堂のちょっと下の左側に「一願一言地蔵(ひとことのじぞう)さん」が安置されている(左の写真)。

 この地蔵は今から約620年前に造られたとされているようであり、何れにしてもかなり古い地蔵らしい。

 この地蔵にただ一つの願いを一言でお願いすれば、どんなことでも必ず叶えてくれると伝えられている霊験あらたかな地蔵と言われている。また、安楽ポックリの往生も叶えられると伝えられているようである。


 尤も、このての霊験があるという地蔵さんは各地にあるので別に珍しいものではないかもしれない。

 地蔵さんの前の石段を更に上がると本堂の前に出る。
本堂(1)
 左の写真は本堂前にある石段の途中から見た「本堂」の正面であり、また、直下の写真は「本堂」正面の近景である。

 「本堂」は入母屋造りで正面は千鳥破風で飾られており、安永3年(1774年)の建築といわれている。


 「本堂」京都府文化財に指定されている。

 本尊の聖観世音菩薩は厨子の中に安置されており、秘仏になっていて直接拝観することはできない。
本堂(2)
 本尊は真応上人が老人からもらった観世音菩薩像であるという説もあるようであるが、そうだとすれば、1300年もの長い間どのようにして保存してきたのだろか。また、そのような古い由緒ある仏像ならば、少なくとも重要文化財に指定されていてもおかしくないのだが・・・。

 この本尊は美人になれる観音様、美人観音ともいわれているようである。美人観音の由来については御伽草子梵天国に詳しく書かれているという。
真向の龍
 本堂内陣の右側頭上に左甚五郎の作といわれる「真向(まむき)の龍」の彫刻(左のコピー:成相寺発行のパンフレットより)が掲げられている。

 この彫刻は観光スポットとしての成相寺の目玉の一つになっているようである。
鉄湯船
 本堂の前、西南側に鉄製の円筒形の水槽が置かれている(左の写真)。

 これは「鉄湯船」と呼ばれているもので、かつて成相寺の湯屋で湯船として使用されていたものといわれている。湯船といっても、これに直接入るものではなく、沸かした湯をこれに入れ、かかり湯をするために用いられたものと考えられているようである。後には、薬湯を沸かし、怪我や病気の人を治療するためにも用いられたという。

 この
「鉄湯船」は鋳物師山河貞清によって鎌倉時代、正応3年(1290年)に作られたものとされ、重要文化財に指定されている。

 鉄湯船には金属製の龍の飾りが付けられており、その口から水が流れ出ている。この水は成相寺創始当初の本堂のあった場所から湧き出ているものをここまで引いてきているといわれ、名水とされている。

 本堂の下、撞かずの鐘の西側にはシャクナゲの木が多数植えられている。このシャクナゲの花を見るのも兼ねて季節には多くの参拝客が訪れるようである。

御詠歌:波の音松のひびきも成相の風ふきわたす天の橋立
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Yukiyoshi Morimoto