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西国第二十七番
書写山 圓教寺

(しょしゃざん えんぎょうじ)
圓教寺所在地図所在地及びアクセス:

 兵庫県姫路市書写

 JR山陽本線姫路駅下車、駅前から姫路市バス[6]又は[8]系統「ロープウエイ書写駅」行きに乗車し、終点で下車する(バス乗車時間:約30分)。ロープウエイで「山上駅」まで上がる。「山上駅」から圓教寺摩尼殿までは徒歩で約25分。
 市バスの運行頻度は1時間に3〜4便。ロープウエイは通常15分毎に運行(いずれも1999年10月現在)。


宗派:天台宗

本尊:坐像如意輪観世音菩薩
朱印
開基:性空上人

縁起:

 九州の霧島山で修行した性空上人は霊地を求め、この地にきたところ、紫雲がかかっている書写山を見て、この山に入り康保3年(966年)に草庵を開いたとされている。
 性空上人の徳はこの地方のみならず、広く都にまで知れ渡り、花山法皇は二度もここを訪れ、圓教寺の名を賜ったという。後白河法皇、後醍醐天皇もこの寺を訪れたといわれている。
 また、武将の信仰も厚かったようで、本多、松平、榊原の姫路城主の墓もここに残されている。
 それだけに、寺の格式も高く、天台宗の三大修行道場の一つに数えられている。
山門
見所など:

 ロープウエイの山上駅から15分ほど歩くと「仁王門」(左の写真)に着く。

 この
「仁王門」兵庫県指定文化財である。

 山上駅から仁王門までの参道は主に登りの坂道で、かなり急勾配の部分もある。参道途中には西国三十三ヶ所各寺院の本尊のレプリカが安置されている。
本堂
 参道が終わると正面に巨大な舞台造りの「摩尼殿」が見える(左及び直下の写真)。

 摩尼殿は天禄元年(970年)の創建とされている。かつて、この場所に桜の木があり、その木に向かい天人が礼拝しているのを見た性空上人は、根のあるままの生木の幹に如意輪観世音菩薩を刻み本尊としたという。

 この本尊を安置する摩尼殿は、その桜の木の上に築いたため、山の斜面に寄りかかった舞台造りになったといわれている。
本堂舞台造り
 以前の摩尼殿は大正末期に火災に遭ったため、現存のものは昭和8年に再建されたものという。

 当初の本尊は焼失してしまったため、現在の「本尊、如意輪観世音菩薩」は、同じ桜の木で刻んでおいた試作品であるとする説があるようであるが、どうも
この説には納得しがたいものがある。摩尼殿には本尊の他に重要文化財に指定されている「木造四天王立像」が安置されているようである。

 本尊、四天王立像とも秘仏であり、毎年1月18日に開扉される以外、直接の拝観はできない。

 摩尼殿の下の道を西の方向に向かって進み、杉木立をぬけ、緩い坂を上がると、大きな三つの堂がコの字型に並んだ広場に出る。右から「大講堂」、「食堂」、「常行堂」である。


 圓教寺の境内で最も印象に残るのは、堂々とした大きな三つの堂が参拝者を圧倒するこの場所と、何ともいえぬ静寂感が支配し、敬虔な気持ちが自然に生ずる開山堂の周辺であろう。人によっては摩尼殿の方が印象的というかもしれないが・・・。
大講堂
 広場の向かって右側に「大講堂」(左の写真)が建っている。寛和2年(986年)に花山法皇の勅願により創建され、このときに、圓教寺の寺号を賜ったといわれている。

 ここは、お経の講義、論議が行われる学問と修行の場であったとされている。

 元徳3年(1331年)に全焼したがすぐに再建されたのが現在の建物で、昭和31年(1956年)に解体修理されたようである。
大講堂重要文化財に指定されており、ここに安置されている本尊、釈迦如来、脇侍、文殊菩薩と普賢菩薩何れも重要文化財である。
食堂
 広場中央には「食堂(じきどう)」(左の写真)が建っている。承安4年(1174年)に後白河法皇の勅願によって創建されたといわれている。

 ここは僧が勉強したり寝食をした寮として使われていたという。

 元徳3年(1331年)に全焼。以後、再建に着手したが、未完成のままで放置、昭和38年(1963年)の解体修理で完成したとされている。横に長い建物で、現在、二階は宝物館になっている。
食堂重要文化財に指定されている。
常行堂
 広場の向かって左側には「常行堂」(左の写真)が建っている。創建の年代は不詳らしい。

 常行堂は、常行三昧のための道場で、堂の北側、大講堂に面して舞台がつけられており、釈迦如来に奉納するために舞や雅楽が行われたという。

 常行堂も元徳3年(1331年)に全焼しすぐに再建されたのが現在の建物で、昭和40年(1965年)に解体修理されたようである。
常行堂及びここに安置されている本尊の阿弥陀如来重要文化財に指定されている。
開山堂他
 食堂の裏手を西側に進むと、開基、性空上人を祀っている「開山堂(奥の院)」の前に出る(左の写真中央の堂)。

 上人の没年、寛弘4年(1007年)に創建されたが焼失、現存の建物は寛文11年(1671年)に再建されたものといわれている。

 堂内厨子の中には上人の真骨を蔵した木像が納められているといわれているが、直接の拝観は出来ない。

 開山堂の北西隅を除く三隅の軒下に「力士の彫刻」がある(直下の写真)。これらの力士は屋根を支えているとされており、左甚五郎の作と伝えられている。
開山堂兵庫県指定文化財である。
開山堂力士像
 直上の開山堂の写真で、開山堂前の広場の右側に見えるのは「護法堂」、左側に見えるのは「弁慶学問所」である。

 護法堂には性空上人が修行中に何時も傍で仕えていたとされる乙天護法童子と若天護法童子を祀っている。


 護法堂は室町時代の神社建築の特徴をよく表しているとされており、重要文化財に指定されている。
和泉式部の歌塚
 開山堂の北側、斜面に「和泉式部の歌塚」が建てられている(左の写真)。

 平安時代の歌人、和泉式部は性空上人に教えを請うため圓教寺を訪れたが、上人は居留守をつかったという。和泉式部は「暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月」と詠んで立ち去ろうとしたが、性空上人はこれを聞き、「日は入りて月まだ出ぬたそがれに 掲げて照らす法の灯」と詠んで一行を呼び戻したといわれている。

 歌塚には天福元年(1233年)10月26日の銘が刻まれているようである。

 弁慶が少年時代に圓教寺で過ごしたことがあるといわれており、上述の「弁慶学問所」、大講堂の西側にある「弁慶鏡井戸」、入山料を徴収している場所の近くにある「弁慶のお手玉石」など、弁慶縁のものが数多く残されている。

 その他、重要文化財に指定されている建造物として、金剛堂、鐘楼などあるが、鐘楼は1999年10月の時点で改修中であった。

 圓教寺は西国三十三ヶ所霊場の西端に位置する寺である。東の比叡山に対して西の比叡山と称せられているとおり、寺域も広く立派な堂宇も多く建ち並んでおり、文化財も数多く所蔵されているようである。また、ここは紅葉の名所としても有名である。

御詠歌:はるばるとのぼれば書写の山おろし松のひびきも御法(みのり)なるらん
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Yukiyoshi Morimoto