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西国第二十六番
法華山 一乗寺

(ほっけさん いちじょうじ)
所在地及びアクセス:

 兵庫県加西市坂本町

 JR山陽本線「姫路駅」下車、駅前の神姫バスのバスターミナル、姫路駅(北口)停留所から、「法華山一乗寺経由社
(やしろ)」行きに乗車し、「法華山一乗寺」で下車する(バス乗車時間:約37分間)。一乗寺の境内入口はバス停のすぐ傍にある。

 他に、北条鉄道「法華口」で下車し、駅近くの神姫バス「法華口駅前」停留所より「法華山一乗寺経由姫路駅」行きに乗車し「法華山一乗寺」で下車するルートもある。このルートはバスの乗車時間が短いが、JR加古川線や北条鉄道沿線に交通が便利な方以外は姫路からのバスを利用する方がよい。

 上の地図でバルーン状のマーカーをクリックすると説明が出ます。

 姫路駅発社(やしろ)行き神姫バスの「姫路駅」発時刻は次の通り(平成23年6月1日改正、平成23年8月現在)。
平 日 土曜日 日祝日
 8 30    
 9   00 00
10 00 30 30
11 00 30  30 
12      
13 00 30 30
14 30 30 30

 姫路駅行きバスの「法華山一乗寺」発予定時刻は次の通り(平成22年4月1日改正。平成23年8月現在)。
平 日 土曜日 日祝日
10 07    
11 32 02 02
12    02 02
13 02 02 02
14        
15 22 02 02
16 27  32  32 

 バスの時刻は時々改訂されますので、利用に際しましては正確を期するために神姫バスの「姫路バスターミナル(TEL:079-285-2990)」又は「社営業所(TEL:0795-42-0057)」に問い合わせされることをお勧めいたします。

宗派:
天台宗

本尊:聖観世音菩薩

開基:法道仙人


縁起:
朱印
 この寺を開いたとされる法道仙人は念持仏、仏舎利と宝鉢だけを持ってインドから雲に乗って渡来したとされている伝説的な僧である。法道仙人は食べ物が欲しくなれば、宝鉢をとばして供養を受けたといわれている。
 この神通力が都にも聞こえ、孝徳天皇の病気治癒祈願を行ったが、治癒の功績が認められ、勅願により白雉元年(650年)に創建したのがこの寺と伝えられている。ただ、創建年については大化5年(649年)とも白雉2年(651年)ともいわれており、明確ではないようである。

境内諸堂配置:
境内諸堂配置図

見所など:
一乗寺境内入り口
 バス停のすぐ傍に境内への入り口(左の写真)が見える。普通、境内の入り口に当たる場所乃至は伽藍が立ち並ぶ寺域内に入る場所には山門があるが、一乗寺には、それらしき場所に山門が見られない。したがって一乗寺には山門がないように見えるが、地元加西市在住の増岡実靜さんから、現在の境内入り口からかなり離れた場所に山門のあることを教えていただいた。 
山門(西門)
 山門は二ヶ所に見られる。

 左の写真は現在の一乗寺境内の入口から西側に約550m離れた場所で車の通る道(県道206号線)のそばに建てられている門(西門)で、車道から撮したものである。門の傍には『二十六番法華山一乗寺』と彫られた石柱が見られる。写真でもわかるとおり、規模が小さく実に簡素な造りであり大寺の山門らしくない。これでは余程注意して見なければ見逃してしまう。

 左の西門及び直下の東門の二枚の写真は加西市在住の増岡実靜さんの撮影によるもので、同氏のご好意により提供を受けた。
山門(東門)
 もう一つの門は現在の境内入り口から東に約550m離れた場所で、これも車の通る道(県道206号線)のそばに建てられている。左の写真は参道(巡礼道)から見た門(東門)である。この門も西門と同様、規模が小さく実に簡素な造りである。この門も見逃すようなことがあっても不思議ではない。

 東西両門とも大寺に見られるような荘厳な門ではない。ただ、かつては東西両門に挟まれている地域が寺の境内であったとも考えられるので、一乗寺は東西1km以上にも及ぶ広大な寺域を有する寺であったのではないかと想像することができる。
山号寺号の石碑
 境内入り口の右側に『法華山一乗寺』と山号寺号が彫られた石碑(左の写真)が建てられていることから、近くに山門がなくても、ここが現在の境内への入り口と思われる。
石造笠塔婆
 寺への入山料を志納する受付の手前に「石造笠塔婆」(左の写真)が建っている。

 この塔婆は二重の基壇の上に建っており、総高は2.9mあるという。塔婆には正和5年(1316年)の年号が刻まれており、塔婆の位置が本堂から一町の距離にあることが示されている。頂部には蓮弁を刻んだ請花、宝珠がついている。塔婆の説明によれば、蓮弁、軒反りの状態など、よく時代の特徴を表しているという。

 建造された時期が明らかなことやこの種のものがあまり多くないことなどから、石造遺品として注目される存在であるという。一乗寺の境内にはこの他に、石仏など多くの石造遺品を見ることができる。

 この「石造笠塔婆」は兵庫県指定文化財になっている。
本堂への最初の石段
 入山料を支払って奥に進むと正面に石段が見える。この場所から本堂までは三つの石段を上がらなければならないが、これが最初の石段(左の写真)である。
常行堂
 一番目の石段を上がりきると左側にかなり大きな堂が見えるが、これが止観道場として使用される「常行堂」である。

 左の写真は二番目の石段の途中から「常行堂」をやや下方に見下ろしたものである。写真で左手前に見える建物は本年(2008年)4月まで金堂(本堂)改修(後述)のために造られたプレハブの臨時納経所だったが、金堂の改修が終わった現在は使用されていなようなので、その内に撤去されるものと思われる。

 常行堂は聖武天皇の勅願による建立と伝えられているようであるが、何回かの火災に遭遇し、現在の建物は明治元年(1868年)に建てられたものとされている。

 なお、金堂(本堂)改修中はこの「常行堂」が仮本堂となり、その期間中は本尊もここに移されていたようである。
三重塔
 常行堂を左に見て二番目の石段を上がると左側に「三重塔」(左の写真)の建っているのが見える。

 この三重塔は平安時代末期、承安元年(1171年)の建立とされており、建築年代が明らかであり、日本最古の塔の一つであるという。屋根は上にいくほど小さくなるように造られており、三重の逓減率がかなり大きいようである。そのためか他に類を見ないくらい安定感のある優美な塔になっている。なお、この塔は昭和16-18年(1941-1943年)に解体修理が行われたようである。

 この塔の建築様式に古代的な手法が見られるのと同時に、古代から中世への移行期の技法のあり方がうかがい知れるということから、建築史上著名であるという。
三重塔(2)
 左の写真は三番目の石段を上がりきった所から見た「三重塔」である。

 金堂(本堂)改修中はこの場所から三重塔を見ることが出来なかった(金堂の改修については後述する)。

 この「三重塔」は国宝に指定されている。
三番目の石段と本堂遠望
 「三重塔」が建てられている広場の北側から三番目の石段があり、その石段の上の場所に「金堂(本堂)」が建てられている。

 左の写真は三番目の石段の下から「金堂(本堂)」を遠望したものである。

 「金堂(本堂)」は平成11年(1999年)1月から翌年にかけて台風による被害の修理を行ってきたが、続いて、平成12年(2000年)5月から金堂全体の改修工事が始まり平成20年(2008年)4月に工事が完了した。改修工事はかなり大がかりなものになったようで、台風被害の修理の分まで含めると約9年の長年月を費やしている。この工事期間中、前述したように「常行堂」が仮本堂になり、この三番目の石段も閉鎖され上ることは出来なかった。
本堂南面
 石段を上がるとその途中から「金堂(本堂)」の南面全体(左の写真)が見える。

 「金堂(本堂)」は舞台作りで、「大悲閣」とも呼ばれており、正面の扁額にも『大悲閣』と書かれている。

 「金堂(本堂)」は縁起の項にも述べたとおり、白雉元年(650年)に創建され、寛永5年(1628年)に再建されたといわれている。
本堂南面近景
 左の写真は石段を上がりきったところから見た「金堂(本堂)」である。写真でもわかるように、「金堂(本堂)」は舞台作りで、その正面(南面)は石段を上がった場所からかなり高い位置にあり、ここから直接金堂(本堂)の中に入ることが出来ない。

 この場所から右に折れ、奥に進み裏側(北面)から「金堂(本堂)」に入ることになる。
本堂北面
 左の写真は「金堂(本堂)」の裏側(北面)である。参拝するためにはここから「金堂(本堂)」に上がる。
本堂外周廊下
 金堂(本堂)の裏側から上がり、左の写真に見られるように、金堂の外周の廊下を歩いて正面(南面)にまわり金堂(本堂)の中に入る。

 金堂の改修に際し、かなりの部分以前からの材料(木材)がそのまま用いられているようであるが、新しい材料に代えられている部分もあるのがわかる。
本堂を支える柱の一部
 左の写真は金堂(本堂)の外周廊下を支えている部分である。廊下を支えている柱を見ると基本的には古い木がそのまま使用されているのがわかるが、石に接している部分が古い木ではなく、防腐剤のようなもので処理した新しい木が使われている。写真で、石に接している暗褐色に写っている部分が新しい木である。古い柱で石に接している部分が大きく傷んでいたため、このような措置が執られたものと思われる。

 前述したように、多くの部分は改修前の木材がそのまま用いられており、これが本当の姿かと思われるが、傷んだ部分については新しい材料が使われているのは致し方がないところであろう。この柱はその一例である。
本堂内部
 左の写真は金堂(本堂)の内部であるが、内陣との間には格子の障壁が設けられている。内陣の宮殿には奈良時代前期の作品とされている本尊の「聖観世音菩薩」が安置されているが、秘仏であり開扉時以外直接の拝観は出来ない。

 金堂(本堂)天井には、改修前には多数の千社札がつけられていたようであるが、改修後はこれらが見られない。改修時に千社札を除去してしまったのであろうか。

 「金堂(本堂)」及び本尊の「聖観世音菩薩」は共に重要文化財に指定されている。
護法堂
 「金堂(本堂)」の北側に小さい社が南を正面にして建てられているのが見える。左の写真はその内の一つ「護法堂」で、やや小高い場所に建てられている。

 このような社が三社見られるが、何れも鎮守社であり、鎌倉時代の様式をとった室町時代の建築とされている。

 「護法堂」を含め、これらの鎮守社は何れも重要文化財に指定されている。
鐘楼
 「金堂(本堂)」の東側に「鐘楼」(左の写真)が建てられている。

 現存の建物は寛永6年(1629年)に建立されたといわれているが、これは金堂再建の翌年に当たる。江戸時代初期の特徴をよく表している建築とされている。

 この「鐘楼」は兵庫県指定文化財になっている。
奥の院への道標
 「三重塔」の前の広場から東の方向に石段を下りてしばらく進むと、奥の院への道標(左の写真)が見える。この道標を見て傍の道を北の方に進む。
開山堂遠望
 奥の院への道を進むと左の写真のように緩い石段の道となり、奥に「開山堂」の建物が見える。「開山堂」の手前には若干急な石段がある。

 奥の院への道標から約200mで奥の院の「開山堂」に着く。
開山堂
 左の写真は「奥の院」の「開山堂」である。

 「開山堂」には一乗寺の開基、法道仙人を祀っているといわれているが、堂の扉は閉められており、直接の拝観はできない。

 一乗寺にはもともと山の中の寺という雰囲気があるが、この「開山堂」は特にその傾向が強く、「三重塔」や「金堂(本堂)」付近に比べると「開山堂」の付近は参拝者もあまり訪れることはないようで非常に寂しい。
賽の河原への道
 「開山堂」に向かって左側(西側)から20mほど上ったところに「賽の河原」がある。

 左の写真は「開山堂」から「賽の河原」に至る道程である。写真でもわかるように道らしきものはあるが、大きな石が散乱しており道の形態をなしておらず、かなり歩きにくい。
賽の河原の石積
 道らしき場所の傍らには、左の写真に見られるように小石を数個積み上げた小さな石塔が作られているのが所々に見られる。また、小さな紙の幟のようなものが立てられているのも見ることができる。
賽の河原
 左の写真の中央上部に黒く写っている小さい洞窟状の場所で道が行き止まりになっており、この中に「地蔵菩薩」が祀られている。
賽の河原の地蔵菩薩
 洞窟状の場所に小さな「地蔵菩薩」(左の写真)が何体か置かれているが、その前には驚くほど多数の小石が置かれ、また、小石を積み上げた小さな石塔も数多く見られる。そのため、「地蔵菩薩」が小石の奥に隠れたような状態になっている。
地蔵菩薩
 左の写真は一体の「地蔵菩薩」であるが、これからもわかるように、姿から見て「地蔵菩薩」は何れも子供と思われる。「地蔵菩薩」の表情はどれも柔和ではあるがもの悲しげである。

 「賽の河原」は、子供を亡くした親が子供の菩提のために小石を積み、また、水子のために供養の石塔を積み、「地蔵菩薩」にお詣りする場所である。

 「賽の河原」は「開山堂」付近よりも更に寂しく一種の恐怖感を伴った雰囲気を漂わせている。小さい石塔などを見るとき、涙を流しながら石を積む親の姿が脳裏に浮かぶ。子を亡くした親の悲しみがこの周辺に渦巻いているのであろうか。
一乗寺には上記の他に数多くの文化財が所蔵されている。

 文化財の中でも、国宝に指定されている「聖徳太子及び天台高僧画像」は著名である。11世紀の作品で十幅あるが、何れも奈良、東京の国立博物館などに出品されているようである。

 その他、重要文化財に指定されている数体の仏像や画像がある。これらの多くは宝物館に保管されているようである。この中には本尊と同じ重要文化財に指定されている「聖観世音菩薩」がある。

御詠歌:春は花夏は橘秋は菊いつも妙(たえ)なる法(のり)の華山(はなやま)

2011年8月16日最終更新
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