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西国第二十三番
應頂山 勝尾寺

(おうちょうざん かつおうじ)
勝尾寺所在地図所在地及びアクセス:

 大阪府箕面市粟生間谷

 北大阪急行電鉄千里中央駅下車、阪急バス北摂霊園行[54系統]に乗車し、勝尾寺で下車すぐ(バス乗車時間:約40分)。途中、阪急千里線北千里駅を経由するので、北千里駅からでもバスに乗車可。但し、秋の紅葉シーズンは非常に混雑するので、始発の千里中央駅から乗車する方が確実。
 千里中央発バス時刻(2001年1月現在)
 平日及び土曜日(1日3便);
  9:25(土曜日は9:20), 11:50, 14:35
 日曜祝日(1日6便);
  9:20, 10:20, 11:35, 12:35, 13:50, 14:50
 バスを利用しない場合は阪急箕面線箕面駅で下車、勝尾寺まで徒歩約1時間50分。


宗派:高野山真言宗

本尊:十一面千手観世音菩薩
朱印
開基:開成皇子と善仲、善算

縁起:

 双子の兄弟、藤原善仲と善算が神亀4年(727年)に庵を結び修行しているとき、一人の修行者に出会う。この修行者は光仁天皇の皇子、開成皇子であったという。
 兄弟は般若経の書写を開成皇子に託し、相次いで世を去る。開成皇子は宝亀6年(775年)に書写を完成し、堂を建てて経を納め、十一面千手観世音菩薩を安置し、この寺を『弥勒寺』と命名したとされている。
 その後、行巡上人の代に、清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたことから、寺の法力が王に勝ったということで、天皇が『弥勒寺』を『勝王寺』に改名したという。しかし、寺側はあまりにも畏れ多いとして、『王』を『尾』に変え『勝尾寺』としたと伝えられている。

見所など:

 勝尾寺は箕面国定公園内にあり、春は桜、秋は紅葉で有名な観光名所でもある。直下の写真は晩秋の境内風景である
勝尾寺境内
山門
 それだけに、観光シーズン、特に休日は勝尾寺周辺の道路は狭いこともあり車は渋滞する。バスでの所要時間も延び、車を使っての参拝も容易ではない。

 楼門様式で『応頂山』の額が掲げられている「山門」(写真)をくぐると、本堂など各堂宇まで参道が続いている。晩秋にはこの参道の両側の楓が見事に紅葉する。

 参道の突き当たり左手前方石垣の上に本堂が建っているのが見える。
勝ちダルマ納め所
 石垣の上に本堂を見ながら石段を上がると「勝ちダルマ奉納場所」(左の写真)がある。

 この場所には大小いろいろと実に多くのダルマが納められている。

 選挙に立候補し当選した人、競馬や競輪で儲けた人、スポーツでライバルを制した人など、勝ったときには勝ちダルマを奉納するという。勝ちダルマ奉納場所以外にも、境内にはあちこちに置かれたダルマを見ることができる(直下の写真:土塀の上に置かれたダルマ)。
境内に置かれたダルマ
 勝尾寺が勝利祈願の寺として有名になったのは、源氏、足利氏など歴代の武将が勝運祈願をしたことに由来しているらしい。

 本堂は約2年前の1997年11月に参拝したときは改修中であり、全体が覆われていたが、今回(1999年12月初)は朱塗りも鮮やかな改修直後の「本堂」(直下の写真)を拝観することができた。
本堂
 しかしながら、新しい堂宇は何となく重々しさを感じないのである。やはり、時代を経過したものの方が好ましい。

 本堂の西側、やや奥まった小高い場所に「薬師堂」(直下の写真)が建っている。

 現存する「薬師堂」は源頼朝が建立したといわれている堂で、勝尾寺の中で最古の建物である。勿論、源頼朝が建てた堂そのものが現存しているとは考えられないので、その後、何回かの修理が行われているのであろう。
薬師堂
 弥勒寺といわれていた時代の「薬師堂」は金堂だったようであるが、現存する「薬師堂」と同じ場所に建っていたかどうかはわからない。

 開成皇子の作と伝えられている
薬師如来像と脇侍像は本尊として「薬師堂」に安置されていたという。現在、これら仏像は重要文化財に指定され「宝物館」に保存されているようである。

 「薬師堂」の持つイメージは廃寺の本堂といったところであるが、上述したように、由緒ある寺の堂宇は古色蒼然としたものがふさわしい。勝尾寺の中で最も印象に残ったのはこの「薬師堂」である。
大師堂
 本堂の西側、通路の一寸上に「開山堂」があり、ここには、善仲、善算、開成皇子の像が安置されている。

 本堂の西側、本堂に近接して「大師堂」(左の写真)が建っている。ここには四国八十八ヶ所のお砂踏みがある。

 勝尾寺は真言宗の寺でありながら、浄土宗の開祖とされる法然上人と深い関係がある。法然上人は既成の宗教集団から迫害を受け、四国に流されたが、有力な帰依者が多かったことから、約1年で配流が解かれたが、直ちに京に戻ることは許されなかったという。
二階堂
 勝尾寺は心の広いところがあったようで、法然上人は京都に戻るまでの約4年間を「二階堂」(左の写真)で過ごしたといわれている。

 法然上人は建暦元年(1211年)に許され京都に戻ったが、翌年、当時としてはかなりの高齢である79才で死去しているようである。

 「二階堂」は本堂の東側やや小高い場所に建てられている。
現存の建物は比較的新しく、法然上人が4年間念仏三昧に入られた様子を想像することは難しい。
多宝塔
 「本堂」の東側、「二階堂」の下西寄りに建っている朱塗りも鮮やかな塔が「多宝塔」(左の写真)である。

 10月下旬から11月下旬の紅葉の季節には周囲の紅葉にとけ込んで美しい。

御詠歌:重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら)ほとけを頼む身こそやすけれ
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Yukiyoshi Morimoto