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西国第二十二番
補陀洛山 総持寺
(ふだらくさん そうじじ)
所在地及びアクセス:

 大阪府茨木市総持寺
総持寺所在地図
 阪急京都線「総持寺」駅下車(「総持寺」駅に停車するのは各駅停車のみ)。西北の方向へ徒歩約7分。駅から総持寺までの近道はやや分かり難いので、その場合は次の道をとるとよい。
 駅を出て広い道を西側に向かい、約300m進むと右手(北側)に寺の山門が見える交差点があるので、その道を真っ直ぐ北に進むと総持寺の山門下に着く。

宗派:高野山真言宗

本尊:千手観世音菩薩

開基:山蔭中納言政朝卿

縁起:
朱印
 承和年間(834-847年)、高房が任地の太宰府に向かう途中、息子の政朝が川に落ちてしまったが、翌朝、政朝が大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。この亀は高房が前日に漁師から買い取り、川に放した亀であった。

 喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。数十年後、『高房卿の求めに応じて海を渡す』と刻まれた香木が流れ着いたが、この時、高房は既に亡くなっていた。

 中納言になっていた政朝は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかったので、長谷寺に行き観音に祈ったところ、童子が現れた。童子はこの香木を材とし、亀に乗った千手観音を刻んだという。

 仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。

 亀について一言: 2世紀頃中国で生まれた道教では仙人が住むという蓬莱山を背負っているのが亀といわれ、中国では亀は竜と共に神聖な動物とされてきたようである。また、亀は神仙思想の世界と現世を繋ぐ動物とも言われているという。

見所など:
山門遠望
 現在の総持寺の規模は特に大きいとはいえないが、元亀年間(1570-72年)に織田信長によって焼き尽くされるまでは非常に規模の大きな寺だったらしい。

 左の写真は総持寺の南側の道路から遠望した「山門」であるが、遠目にもかつての大寺の面影を偲ぶことができる造りであるのがわかる。
山門
 「山門」(左の写真)は楼門形式の堂々とした立派な建物である。

 山門の中央通路の両側には一見いわくありげな仁王像が安置されているが、これらは特に文化財として認知されているものではないようである。
山門の千社札
 「山門」の柱は言うに及ばず、仁王像が安置されている場所の壁面や天井まで千社札が貼られている(左の写真)。尤もこのような情景はここ総持寺だけでなく、名刹や古刹でよく見られることであるが・・・。
池の亀
 山門をくぐると直ぐ左手に小さな池があり、ここには多数の亀が泳いでいる(左の写真)。

 総持寺の縁起や本尊は亀と関係があるが、この池に多数の亀が飼われていることもこのことと何らかの関連性があるのだろうか。
本堂(1)
 「山門」内側の広場奥正面に豊臣秀頼が再建したといわれる「本堂」(左の写真)が建てられている。

 「本堂」を離れた位置で正面から見ると屋根の大きさが目立ち、全体として背の高い建物に見える。
本堂(2)
 全体として見た「本堂」(左の写真)は特別に巨大な建物ではないが、歴史を感じさせる風格を持っている。

 「本堂」と「山門」を結ぶ線上に大きな「灯籠」(左の写真)が建っているが、これが印象的である。
本堂近景
 「本堂」の内側と外側は格子状の障壁で遮られ、本堂正面中央はガラスがはめ込まれており、通常は本堂内部に立ち入ることはできないようである(左の写真)。

 「本尊」は、織田信長の焼き討ちに遭ったとき、その下半身は焼け焦げたが、上半身は焼けずに金色に輝いていたという。このことから、以後、「火伏観音」と呼ばれ崇敬を集めたといわれている。

 本尊の観音像は亀の背の上に立っているといわれている。そのことから、他に類を見ない珍しい仏像とされているようである。現存の本尊は長谷寺の童子が刻んだと伝えられている総持寺創始のときの仏像と類似の姿をしているとものと想像されるが、両者が同一のものとは思えない。

 「本尊」は秘仏であり通常は直接拝観することはできないが、毎年4月15日〜4月21日の間は開扉されているようである。
包丁塚拝所
 総持寺の開基、政朝は料理の名人でもあったといわれており、魚に直接手を触れないで箸と包丁でだけで魚をさばくという山蔭流庖丁の元祖であり、日本料理中興の祖とされている。

 それに因んで、本堂の左側裏手(西北側)に「庖丁塚」(左の写真)がある。
包丁塚
 毎年4月には山蔭流庖丁式の披露が行われるという。

 左の写真は「包丁塚」の近景である。

 山門をくぐった左手、池の傍に『日本包丁道元祖山蔭中納言』の額のかかった堂が建っている。ここには総持寺の開基である山蔭中納言政朝が祀られているものと思われる。そうであればこの堂は「開山堂」ということになるのであるが、一般に開山堂は山門から離れた場所に建てられていることが多いので、総持寺の場合、一寸例外的なのかもしれない。
普悲観音堂
 総持寺は、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場の第六番札所になっており、本堂裏手に「普悲観音堂」(左の写真)が建てられている。
普悲観音像
 「普悲観音堂」の入ったところ中央に、独特の金属光沢を持ったぼけ封じ観音の「普悲観音像」(左の写真)が安置されている。この像からうける印象と『ぼけ封じ観音』という名前の間に何となく違和感がある。

 「普悲観音像」の周囲、堂の壁面に沿って西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所の各札所の本尊を刻んだ小さな石仏像がとり囲んでいる。
金堂
 「本堂」の西側には薬師如来像を安置している「金堂」(左の写真)が建てられている。金堂と呼ばれている建物は普通、かなり規模の大きいものが多いようであるが、当寺の「金堂」の規模は大きくはない。
大師堂
 また、「本堂」の東側には弘法大師を祀っている「大師堂」(左の写真)が建てられている。
神社風の建物
 また、境内には「稲荷社」や左の写真に見られるような一見神社風の建物も多く見ることが出来る。この建物などは造りは神社風であるが、屋根は寺院風であり一寸奇妙な感じがする。

 総持寺は住宅に囲まれた町なかにあり、駅からも近いので西国巡礼の人々の他、ふらりと気軽に訪れる参拝者や観光客、それに散歩の途中に立ち寄る人も多いようである。それに、若いカップルがデートの途中で一寸立ち寄る風景も見られるようで、一般庶民によく馴染んでいる。

 なお、周辺の道路は狭いので、参拝には電車を利用する方が無難であろう。

御詠歌:おしなべて老いも若きも総持寺のほとけの誓い頼まぬはなし

2003年6月27日更新
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Yukiyoshi Morimoto