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西国第二十一番
菩提山 穴太寺

(ぼだいさん あなおうじ)
所在地及びアクセス:

 京都府亀岡市曽我部町穴太東の辻
穴太寺所在地図
 JR山陰本線(嵯峨野線)亀岡駅下車、駅前のバス停「亀岡駅前」から京都交通バスの「学園大学」行き、「余野」行き、「甘露寺前」行き、「太歳(おおとし)」行きの何れかに乗車し、「穴太口(あなおうぐち)」で下車する。約600m西の方向に進み、次いで北の方向に右折した後、直進すると穴太寺の仁王門に着く。「穴太口」バス停から寺まで徒歩約10分。

 「穴太口」を通る京都交通バスの「亀岡駅前」発時刻は8時〜18時の間について下表の通りである(2003年8月現在、2003年7月27日改正)
平   日 土 曜 日 日曜・祝日
08 20 20y 40 20 20y 40 20y
09 00 15 35 55* 00 15 35 55* 15t
10 10 30 35y 55 10 30 35y 55 35y
11 10 30* 55 10 30* 55 10 55
12 10* 30* 35y 55 10* 30* 35y 55 35y
13 10 10t 30* 55 10 10t 30* 55 10 10t 55
14 10y 30* 55 10y 30* 55 10y 55
15 10* 30 45 55t 10* 30 45 55t 55t
16 00 10* 30y 55 00 10* 30y 55 00 30y
17 10k 30 55k 10k 30 55k 10k 55k
*:学校休校日(春、夏、冬休み等)運休
y:余野行き、k:甘露寺前行き、t:太歳行き、それ以外は学園大学行き

宗派:天台宗

本尊:聖観世音菩薩

開基:大伴古麿

縁起:
朱印
 この寺は慶雲年間(704〜708年)に大伴古麿によって開創されたと伝えられており、当初の本尊は薬師如来だったらしい。

 応和2年(962年)、丹波在住の宇治宮成が京都の仏師感世に聖観音像の制作を依頼、造立したと伝えられているが、観音像の造立は寛弘7年(1010年)であるという説もある。観音像完成後、檀家が感世に礼(礼物は馬であったともいわれている)を渡したが、宇治宮成はその礼物が欲しくなり、待ち伏せして感世に向かって矢を射た。翌日、感世が生きているのを知り、観音像の胸に自分の放った矢が突き刺さっているのを見た宇治宮成は、自分の行いを悔い、仏門に入りその観音像を本尊として祀ったという。

 これは、観音の功徳を説く説話と思われるが、以後、この寺は身代わり観音の寺として信仰を集めてきたのは事実であろう。

見所など:
穴太寺遠望
 穴太寺の仁王門前から南の方向に真っ直ぐ道がついているが、この道のかなり南側からでも穴太寺を遠望することができる(左の写真)。

 寺を遠望すると二つの屋根が見えるが、手前の屋根は「仁王門」の屋根であり、その奥側に見る大きな屋根は「本堂」の屋根である。
仁王門
 穴太寺の「仁王門」(左の写真)は三叉路になった道の傍に面して建てられており、門の直前を車が通行するという、かなり珍しい場所にある。

 「仁王門」は江戸中期の建造といわれている。当然のことかもしれないが柱などは上部に比べ、下部の方が汚れや傷みが激しい。


 「仁王門」京都府の登録文化財になっている。
鐘楼
 「仁王門」をくぐると直ぐ右手に「鐘楼」(左の写真)が建っているのが見える。

 「鐘楼」は簡素であり古色蒼然としており、古寺の鐘楼らしい佇まいを見せている。写真でもわかるように「鐘楼」と白壁の築地壁との間には大きな椋の木があり、これが古寺に彩りをそえている。

 この
「鐘楼」京都府の登録文化財になっている。

 「仁王門」をくぐって直ぐ左側に「多宝塔」(直下2枚の写真)が建っている。
多宝塔(1) 多宝塔(2)

 現存の「多宝塔」は文化元年(1804年)に建てられたものといわれており、他の建造物と同様、古寺としての雰囲気によくとけ込んでいる。


 「多宝塔」京都府の文化財に指定されている。
本堂
 「仁王門」をくぐると正面に「本堂」(左の写真)が見える。

 寺は何回かの火災にあっており、現存の本堂は享保20年(1735年)に上棟、再建されたものといわれている。
寺名額付近
 左の写真は「本堂」の寺名額及びその周辺部である。これを見ると再建後二百数十年を経過したといわれている「本堂」がそれよりも遙かに長年経過しているように見えるのであり、これが古寺の風格をよく醸し出している。

 それにしても本堂には驚くほど多数の千社札が貼られている。高い位置にある寺名額の上部にまで貼られているが、こんな場所にどのようにして貼られたのであろうか。

 「本堂」京都府の文化財に指定されている。
本堂正面近景
 左の写真は「本堂」正面である。この奥に祀られている現存の「本尊」、聖観世音菩薩は仏師定慶の作といわれており、秘仏であり通常直接の拝観は出来ない。

 先代の本尊、
聖観音像重要文化財に指定されていた仏像であるが、昭和43年に盗難に遭い行方不明になっており、未だ発見されていないらしい。この先代の観音像は、宇治宮成が仏門に入るきっかけとなった矢の突き刺さった聖観音像(縁起の項参照)であるともいわれているようであるが、時代的に合わないともいう。

 本堂内陣の右手に鎌倉後期の作といわれている「釈迦涅槃像」がある。この像は「なで仏」としてよく知られており、悪病を治すという言い伝えがあり、多くの人に撫でられてきたようである。10年ほど前までは写真撮影が可能であったが、数年前から禁止になっているようである。

 「なで仏」に類するような霊験のある仏像は「びんずる」という名で多くの寺に見ることが出来るが、ここの「なで仏」は特別なのだろう。寺の人は「ご利益がありますよ。お詣り下さい」と勧めてくれた。
宮成の墓
 「仁王門」と「本堂」までの間、参道右手(東側)の境内片隅に「宇治宮成の墓」(左の写真)がある。

 説話では、宮成は当初、仏心のない人だったが、後に仏門に入り本尊を祀ったというから、宮成が実在の人物であるとすれば、穴太寺にとっては縁の深い人だったと思われる。そのような宮成の墓としては規模といい、場所といい冷遇されているような気がしてならない。特に、その場所は目につきにくい所にある。

 西国三十三ヶ所巡りのガイドブックにもこの墓についての記載はないようである。

御詠歌:
かかる世に生まれあう身のあな憂(う)やと思わで頼め十声(とこえ)一声

2003年8月17日更新
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Yukiyoshi Morimoto