ホーム > 西国三十三ヶ所一覧 > 清水寺

西国第十六番
音羽山 清水寺
(おとわさん きよみずでら)
所在地及びアクセス:

 京都市東山区清水一丁目
清水寺所在地図
 JR「京都」駅から京都市バス[206]系統(東山通・北大路バスターミナル行き)又は[100]系統([急行]清水寺・祇園・銀閣寺行き)に乗車し、「五条坂」で下車。五条通(五条坂)を上り東の方向へ徒歩約15分。
 阪急京都線「河原町」駅から京都市バス[207]系統(祇園・九条車庫行)に乗車し、「五条坂」又は「清水道」で下車。東の方向へ徒歩約15分。
 京阪電車「五条」駅で下車、地上に出て、国道1号線(五条通)を東の方向へ進み、東山五条交差点を北の方向に曲がり、直ぐ北東の方向に向かって五条通(五条坂)を上がる。駅から徒歩約25分。

 寺院の多い京都の中でも清水寺は最も有名な寺の一つで、観光客も非常に多い。観光バス、自家用車、タクシーや人々で混み合った五条通(五条坂)を登り、松原通との合流点を過ぎると通りはビッシリと土産物屋が軒を連ねている。人通りが多く余程のオフシーズンでもない限り混雑で歩行困難な状況になることも多い。


宗派:北法相宗(大本山)

本尊:十一面千手観世音菩薩

開基:延鎮上人

縁起:
朱印
 大和の国(今の奈良県)、子島寺の僧延鎮上人が夢に見た観音のお告げにより、音羽の滝を探し当て、宝亀9年(778年)にここに庵を結んだのが清水寺の創始と伝えられている。

 延暦17年(798年)のある日、延鎮は猟をしていた坂上田村麻呂に出会うが、その時延鎮は彼に殺生を戒めた。これを契機として坂上田村麻呂は延鎮に帰依したという。延暦24年(805年)に勅により坂上田村麻呂は寺地を賜り、私費で仏殿を建立し、寺域を整えたとされている。弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅願を得て、国家鎮護の道場になったといわれている。

 後に、興福寺・延暦寺の抗争に巻き込まれたり、その他の紛争等により焼失と再建の歴史を繰り返してきたようである。

見所など:
仁王門(山門)
 坂を登りつめると、正面に堂々とした造りの「仁王門(山門)」(左の写真)が見える。西に面したこの門は清水寺の正門になる。

 「仁王門」は室町時代の建築であるが、応仁の乱で消失し、15世紀末に再建された。現在の「仁王門」は平成15年(2003年)に解体修理が完了したもので、見た目に新しい。この門は室町時代の特徴をよく表している。門の軒下に掲げられている「清水寺」と書かれた額は平安時代の書家、藤原行成の筆と伝えられている。

 「仁王門」の両脇に安置されている「仁王像」は鎌倉時代の作で、京都では最大級の像といわれている。

 「仁王門」重要文化財に指定されている。
西門
 仁王門の右手(東南側)、石段の上に八脚門の「西門(さいもん)」(左の写真)が建てられている。

 「西門」は江戸時代初期に創建されたものとされている。現存のものは寛永8年(1631年)に再建された門といわれており、平成5年(1993年)に塗装復元の工事が完了したようで、朱塗りや文様が鮮やかに復元されている。

 「西門」はかつては勅使門にも使われたようである。一見して拝殿風に見えるこの門から見る夕日の素晴らしさに西方極楽浄土を夢想し、拝所にもなったのではないかと考えられている。

 「西門」重要文化財に指定されている。
三重塔
 「西門」の奥(東側)に「三重塔」(左の写真)が建てられている。写真で「三重塔」の手前右側に写っているのが「経堂」である。

 「三重塔」は承和14年(847年)、嵯峨天皇の皇子の誕生にあたり創建されたと伝えられている。現存の塔は寛永9年(1632年)に再建されたものといわれ、昭和62年(1987年)に解体修理、彩色復元の工事が完了したようである。この修理で彩色、各種文様など寛永の再建時の姿に復元されたという。

 塔の一層内陣中央には大日如来坐像が安置され、四面天井などは仏画、文様が極彩色で描かれているらしいが、通常は開扉されておらず、拝観することはできない。


 「三重塔」重要文化財に指定されている。
経堂
 「三重塔」の東側に「経堂」(左の写真)が建てられている。

 「経堂」は寛永10年(1633年)に再建されたもので、平成12年(2000年)に解体修理の落慶が行われている。

 もとは講堂でもあり、正面に釈迦三尊像が祀られている。その名の通りここには仏教の一切経が所蔵されている。

 「経堂」重要文化財に指定されている。
田村堂
 「経堂」の東側に「田村堂(開山堂)」(左の写真)が建てられている。

 この建物は寛永10年(1633年)の再建といわれている。写真でもわかるように彩色が鮮やかで、最近解体修理が行われた。

 堂内中央の厨子内には坂上田村麻呂夫妻の像が安置されており、他に行叡居士、延鎮上人の木像が祀られているようであるが通常公開されていない。

 「田村堂」重要文化財に指定されている。
轟門
 「田村堂」の東側に「普門閣」の扁額がかかった「轟門(とどろきもん)」(左の写真)がある。

 この門は本堂への中門で、寛永8〜10年(1631〜33年)に再建されたといわれ、持国天と広目天が安置されている八脚門である。この門をくぐり奥に入り廻廊を通って本堂に向かうためには、拝観料を支払わなければならない。

 「轟門」重要文化財に指定されている。

 「轟門」をくぐり廻廊を通ると、「本堂」の舞台に出る。清水寺の「本堂」は舞台造りで有名である。直下の写真は「奥の院」の舞台から見た「本堂」で、「奥の院」の舞台は「本堂」を撮影する格好の場所になっており、多数の観光客がこの場所でカメラを構えている。
本堂(1)
本堂(2)
 左の写真は「子安塔」の近くから見た「本堂」である。舞台造りはこちらから見た方がよくわかる。

 現存の本堂は徳川家光の援助により、寛永10年(1633年)に再建されたものといわれており、舞台組みの状況は再建時のままという。

 『清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・』という言葉で知られているように、清水寺で最も有名なスポットは本堂の舞台であろう。ここは本来、本堂に祀っている本尊に舞楽を奉納する場所で、現在でも重要な法要には舞楽、芸能など奉納しているといわれ、名実共に舞台である。舞台の両袖に翼廊が見えるが、これは楽舎である。舞台に立つと、それが外側に若干傾斜しているように思える。そのためか、舞台の端に立つと妙に引き込まれるような気がするのである。時には、ここから飛び降りる人がいるようであるが、その気持ちが何となくわからないでもない。
本堂(3)
 舞台は観光客で雑然としているが、一歩「本堂」の中(左の写真)に入ると雰囲気はガラリと変わり、厳粛なムードが漂っている。

 写真でもわかる通り、堂内は巨大な柱で内陣と外陣が区分されている。本尊「十一面千手観世音菩薩立像」は内陣の最奥中央の厨子内に安置されている。本尊の42臂(手)の内、2本が頭上で組まれており、普通見られる千手観音像とは異なっている。

 本尊は秘仏であり、通常は直接拝観できないが、33年ごとに開扉される。2000年は開扉の年にあたり、3月3日〜12月3日の間公開され、直近から拝観することが出来た。

 「本堂」国宝に指定されており、本尊「十一面千手観世音菩薩立像」重要文化財に指定されている。
釈迦堂
 本堂の東側には「釈迦堂」、「阿弥陀堂」、「奥の院」の建物が並んでいる。

 左の写真は「釈迦堂」である。寛永8年(1631年)に再建されたといわれている建築物である。昭和47年に豪雨禍にあったが、昭和50年(1975年)に復旧された。


 「釈迦堂」重要文化財に指定されている。

 直下の写真は本堂の舞台から「阿弥陀堂」(写真左側の建物)と「奥の院」(写真右側の建物)を見たものである。「奥の院」も本堂と同じように舞台造りである。
阿弥陀堂及び奥の院
 「阿弥陀堂」は寛永8〜10年(1631〜33年)に再建されたものといわれており、内陣に阿弥陀如来坐像が安置されている。またここは法然上人が日本で最初の常行念仏を修行した場所とされている。

 「奥の院」は寛永10年(1633年)の再建とされ、本尊として「千手観音」が祀られているためか「奥の千手堂」とも呼ばれている。「奥の院」は「音羽の滝」の真上に建っており、行叡居士と清水寺を開いた延鎮上人の旧草庵跡と伝えられ、由緒ある場所とされている。

 「阿弥陀堂」、「奥の院」は何れも重要文化財に指定されている。
子安塔
 「奥の院」の前を通り南の方向へ約200m進むと、木立の間から舞台造りの本堂を望むことが出来る場所があり、その近くの一寸した広場に「子安塔」(左の写真)が建てられている。

 「子安塔」は坂上田村麻呂の娘春子が皇子葛井親王の誕生を祝って建てたと伝えられている。光明皇后がここで祈願して孝謙天皇を安産したということが言い伝えられており、安産の霊験があるといわれているようである。

 「子安塔」は寛永年間に再建されたものといわれており、明治末年までは仁王門の傍に立てられていたようである。写真でもわかるように「子安塔」は古色蒼然とした独特の雰囲気を持つ建物であるが、近く解体修理が行われるのではないかと推測される。


 「子安塔」重要文化財に指定されている。
音羽の滝
 「奥の院」の崖下に「音羽の滝」(左の写真)がある。滝といっても樋から流れ落ちる三筋のチョロチョロとした落水であり、滝というイメージからはほど遠い。

 「清水」の名称はこの水に由来すると云われている。また、この水は黄金水とか延命水とも呼ばれ、いろいろな病気に効くと伝えられており、備え付けの柄杓を差し出して水を受け、口に含む人も多い。このための行列ができることも珍しくはない。勿論、病気に効くとは思えないのであるが、それよりも霊水といえども生水であるから、むしろ衛生上問題があるのではないか。

 「音羽の滝」の背後に祠があるが、ここには不動明王、行叡居士が祀られている。 
石仏群
 仁王門の北側にある鐘楼の横を通り、成就院の方向に向かうと、途中に「石仏群」(左の写真)がある。明治時代に捨てられていた石仏をここに集めたものだという。

 「成就院」には国名勝に指定されている「月の庭」があるが、常時公開はされていない。

 清水寺は紅葉の名所としても著名であり、秋の季節になると多くの観光客を集める。
本堂舞台から見た紅葉
 左の写真は本堂の舞台から南東の方向を見た紅葉風景である。写真左端に奥の院の舞台が、右端遠方に子安塔の上部が見える。
三重塔下の紅葉
 音羽の滝から本堂の南側、舞台の下を通って西側の仁王門に向う通路の両側は秋になると紅葉で埋め尽くされる。左の写真は三重塔の南側の紅葉風景である。
境内の紅葉
 左の写真は上述の通路の南側に見られる紅葉風景である。

 「清水寺」は西国霊場という雰囲気に乏しい。世界文化遺産に登録されている寺であり、重要文化財も多数あり、殆どの人はお詣りというよりも観光気分で訪れているようである。

御詠歌:松風の音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん

2006年12月27日最終更新
西国三十三ヶ所一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto