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所在地及びアクセス: |
滋賀県大津市園城寺町246 |
京阪電車本線「三条」駅から京都地下鉄東西線に乗り換える。「浜大津」行きの場合は終点まで乗車する。「六地蔵」行きの場合は「御陵(みささぎ)」駅で「浜大津」行きに乗り換えて終点で下車する。 JRの場合は「山科」駅で下車し、京阪京津線の乗り場まで歩き「浜大津」行きに乗り換えて終点で下車する。 「浜大津」で石山坂本線の「坂本」行きに乗車し、次の「三井寺」駅で下車する。 「三井寺」駅を出て琵琶湖疎水に沿って山側の方に進み、信号のある最初の交差点を右折し北国橋を渡り、次いで信号のある交差点を左折し、直進すると園城寺の仁王門に着く。 |
宗派:天台寺門宗総本山 本尊:如意輪観世音菩薩 開基:大友与多王 縁起: |
壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うため、皇子の大友与多王が天武15年(686年)に寺を建立したのが創始と伝えられている。 当初は大友氏の氏寺だったが、平安時代に比叡山の智証大師が寺を復興して延暦寺の別院としたといわれている。伝教大師(最澄)の死後、比叡山の慈覚大師と園城寺の智証大師の対立が激しくなり、園城寺はしばしば焼かれたようである。 この対立が結果として、高僧の輩出、寺の発展を促し、東大寺、興福寺、延暦寺と共に園城寺は四大寺の一つに数えられるようになったという。 園城寺の名称は天武天皇から与えられたといわれているが、大友与多王が荘園城邑を寄進してできた寺であることによるという説もある。 園城寺の名よりも一般には三井寺の名でよく知られているが、この名称は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸があることに由来して、御井の寺とよばれ、これが後に三井寺と言われるようになったとされている。 |
境内諸堂配置: |
見所など: |
園城寺の正門に当たる「仁王門」(左の写真)は宝徳3年(1451年)の建築で、元は常楽寺にあった門を慶長6年(1601年)にここに移したといわれている。「仁王門」は大寺に相応しい堂々とした重厚な造りであるが、かなり老朽化の進行が見られるため、近く修復が行われるのではないかと思われる。 門に安置されている金剛力士像は運慶の作とされている。 この「仁王門」は重要文化財に指定されている。 |
「仁王門」の約200m南側に園城寺の「総門」(左の写真)がある。 西国札所の観音堂に直接参拝するには「総門」から境内に入る方が早いが、アクセスや諸堂拝観の面からみて「仁王門」から境内に入る参拝者が圧倒的に多い。 |
「仁王門」をくぐり参道を東の方に直進すると石段があり、石段を上がったところに「金堂(本堂)」の東側面が見える。 「仁王門」からこの石段までの間の参道は晩秋の季節には紅葉が美しい。 |
上述の石段を上がると「金堂」の東側面に着くので、そこを左に曲がると「金堂」(左の写真:2008年12月撮影)正面前に出る。 現存の「金堂」は慶長4年(1599年)に豊臣秀吉の夫人北政所によって建てられたといわれており、桃山時代の特色がよくでている代表的な名建築として知られている。単に見た感じからも、風格があり優美で印象的である。 |
平成16年(2004年)の台風23号により「金堂」の屋根の檜皮が飛散してしまった。このため、平成17年(2005年)2月から、金堂の屋根の全面葺き替え・大棟の鬼瓦の新調・飾り金具の修理などの改修工事が行われ、平成20年(2008年)9月に完了した。直上の写真は改修工事完了後の写真である。 |
左の写真は「金堂」正面の近景である。ここから外陣に入り、板敷きの脇陣、後陣を一周することができる。脇陣、後陣には仏像や絵画などが安置されており、拝観が可能である。外陣は板敷きになっているが、内陣は一段低い位置で土間になっており、天台密教寺院の特徴を表している。 「金堂」内陣に安置されている本尊、弥勒仏は天智天皇が信仰していた霊像とされており、秘仏であり、通常、直接拝観はできない。 「金堂」は国宝に指定されている。 |
「金堂」前の広場の南端に「天狗杉」と呼ばれている大きな杉の木がある。左の写真で右端に写ってるのが「天狗杉」で左奥に見えるのが「金堂」の一部である。 写真ではよく分からないが、地上まもないところで二つに分かれており、一方は先端の部分が枯れているが、他方はよく茂っている。 何故「天狗杉」と呼ばれるようになたか、については何か古い伝説があるらしいが詳しいことはわからない。樹齢は約千年とされており、目の高さの位置での幹周りは約4mあり、園城寺境内でも有数の巨木で、荘厳な「金堂」とよく調和している。 「天狗杉」は天然記念物、大津市指定文化財になっている。 |
金堂前の広場の東南側に「三井晩鐘」としてよく知られている「鐘楼」(左の写真)が建てられている。 この「鐘楼」は重要文化財に指定されている。 |
「鐘楼」に吊られている梵鐘は「三井晩鐘」(左の写真)といわれているもので、姿の平等院、銘の神護寺といわれている梵鐘と共に声(ね)の三井寺といわれ日本三銘鐘の一つとして有名である。 この「梵鐘」は慶長7年(1602年)に准三宮道澄が弁慶の引き摺り鐘(後述)を模して鋳造したものと伝えられている。 「三井晩鐘」は「近江八景」の一つに数えられ、また、「日本の音風景百選」に認定されており、声(ね)の三井寺といわれているように荘厳な音色は有名である。この音色を聞くために鐘を撞くことはできるが、一人一回について三百円を支払う必要がある。鐘の音を聞くのも金次第なのである。 この「梵鐘」は滋賀県の文化財に指定されている。 |
「金堂」に近接して西側に小さな建物、「閼伽井屋(あかいや)」(左の写真)が建っている。左の写真で右端に見えている建物が「金堂」の一部である。 「閼伽井屋」の中に、仏前に供えるための水をくむ霊泉「閼伽井(あかい)」がある。また、この水は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている。「閼伽井屋」は泉を護り覆っている建屋であり、慶長5年(1600年)に建立されたものといわれている。 「閼伽井屋」は重要文化財に指定されている。 |
「閼伽井屋」の格子を通して、内部の「閼伽井」(左の写真)を見ることができる。 泉から水の湧き出し方がそう激しくないにも拘わらず、「ゴボッ、ゴボッ」と大きな音を立てている。この音はどう考えても不自然な感じがする。本当に自然に水が湧き出ている音なのだろうか。 |
「閼伽井屋」の正面上部に左甚五郎の作と伝えられている「龍の彫刻」(左の写真)がある。 この龍は夜になると琵琶湖に出て暴れたため、甚五郎が自ら龍の目玉に釘を打ち込み鎮めたという伝説があるらしい。 |
「金堂」のやや南寄りの西側、小高い場所に「霊鐘堂」(左の写真)が建てられており、この建物の中には「弁慶の引き摺り鐘」(後述)と「弁慶の汁鍋」が置かれている。 |
左の写真は上述の「霊鐘堂」中に置かれている「弁慶の引き摺り鐘」である。 この梵鐘は奈良時代に鋳造されたものと考えられているが、佐藤太秀郷が龍神に頼まれ三上山の大百足を退治したお礼に竜宮からもらって、園城寺に寄進したという伝説がある。 園城寺と比叡山との間で争いが起こったときに、弁慶がこの鐘を分捕り比叡山まで引き摺って行ったが、比叡山で鐘をついてみると鐘の音がしなかったので、怒った弁慶が鐘を谷底に投げ捨てた。これを拾って園城寺に持ち帰ったとも言われている。これもこの鐘に関する伝説である。 写真で鐘の中部やや上側に擦れたような跡が見えるが、これは弁慶がこの鐘を引き摺ったときに出来た傷であるという。お話としては何となく出来過ぎている感じがする。 この「弁慶の引き摺り鐘」は重要文化財に指定されている。 |
「霊鐘堂」の南側に「一切経蔵」(左の写真)が建てられている。 この建物は室町時代の建築とされ、毛利輝元の寄進により慶長7年(1602年)に山口の国清寺から移築されたものといわれている。 この「一切経蔵」は重要文化財に指定されている。 |
「一切経蔵」内には「八角輪蔵」(左の写真)が置かれている。輪蔵というのは、まわる書架と言う意味で、一切経を納めた図書館といえる。この輪蔵には千鳥破風がついており珍しい形状といわれている。 |
「霊鐘堂」から「一切経蔵」にかけて植えられている楓が晩秋の季節になると見事に紅葉する。 左の写真は「一切経蔵」付近の紅葉の一風景で、背景の建物は「一切経蔵」である。 |
「一切経蔵」の前の参道を南に向かい、短い橋を渡ると「三重塔」がある。橋から南側には三重塔、灌頂堂、大師堂などがあり、これらは「唐院」と呼ばれている。一般には、「唐院」へは「一切経蔵」から橋を渡って訪れるが、本来は「金堂」から参道を真っ直ぐ100m程南に向かって歩くと「唐院」に通じる参道と石段があるので、ここから「唐院」を訪れるのであろう。 |
左の写真は上述した「唐院」へ通じる参道である。写真で見られるように、奥には石段があり、石段の上に「唐院」の入り口になる表門がある。 |
左の写真は「唐院」の表門、「唐院四脚門」である。 「唐院四脚門」は寛永元年(1624年)に建立され、当初は棟門形式だったのが、まもなく四脚門に変更されたと考えられている。 この「唐院四脚門」は重要文化財に指定されている。 「唐院」は園城寺の開祖である智証大師の廟所であり、最も神聖な場所とされており、一般観光客はこの門をくぐった場所と三重塔近辺から奥に入ることはできない。 |
「唐院四脚門」をくぐると、眼前に「灌頂堂(かんじょうどう)」(左の写真)が見える。その奥側に慶長3年(1598年)に再建されたという「大師堂」が建てられている。「唐院四脚門」、「灌頂堂」、「大師堂」は一直線上に並んで建てられている。 「灌頂堂」は密教を伝承する道場であり、「大師堂」の拝殿として建てられたものとされている。 「大師堂」には秘仏中の秘仏とされている「智証大師坐像」二躯が祀られている。 |
「唐院」の中には上述したように、「灌頂堂」、その左側(南側)に「長日護摩堂」、「灌頂堂」の奥にある「大師堂」、それに「三重塔」など、いくつかの建造物があるが、唐院の外から最も目につくのは「一切経堂」の南側にそびえている「三重塔」(左の写真)であろう。 この「三重塔」は室町時代初期の建築で、もとは奈良の比蘇寺にあったもので慶長6年(1601年)に徳川家康によって寄進されたといわれている。 「三重塔」を含む「唐院」内の建造物は重要文化財に指定されている。また、「大師堂」に祀られている「智証大師坐像」は二躯とも国宝に指定されている。 |
「金堂」の前から参道を南の方向へ真っ直ぐ130m程進むと「村雲橋」(左の写真)がある。 智証大師がこの橋を渡っているとき、中国の青龍寺が焼けているのを感知したので、大師が閼伽井の水を撒くと橋の下から村雲が湧き上がり、中国の方向へ飛んでいったという。翌年には青龍寺から鎮火のお礼が来たという伝説がある。 |
「金堂」の前から南の方に向かっていた「観音堂」(後述)への参道が「村雲橋」を渡って暫くすると、左(東)へ曲がる。 |
参道がカーブしている場所の近く参道右側に「微妙寺」(左の写真)が建てられている。 「微妙寺」は圓城寺五別所の一つで、正暦5年(994年)に慶祚大阿闍梨によって開基、本堂は安永5年(1776年)に再建されたとされている。本尊は十一面観世音菩薩で、病気、災難除け、減罪に霊験があらたかであるとされ、かつては参詣者が群れをなしたという。 本尊「十一面観世音菩薩」は重要文化財に指定されている。 |
「微妙寺」の前から参道は東の方向に向かっているが、参道は左の写真に見られるように晩秋は紅葉が見事である。 |
「微妙寺」から「観音堂」(後述)に向かう参道の途中に「衆宝観音」(左の写真)がある。 「衆宝観音」は三十三観音の一つで、衆宝とは人が求める財宝のことである。この観音を信仰すれば財宝がたまり、福徳を授けられ出世がかなうというが、殆どの人はチラッと見ただけで素通りしてしまう。 |
「衆宝観音」の近くに「童観音菩薩」像(左の写真)が置かれている。 福々しい童子の感じがよくでた像である。多くの人が素通りしてしまうことは前述の「衆宝観音」と同じである。 |
上述の「衆宝観音」や「童観音菩薩」を参拝し参道を進むと石段下に着く。 石段を上がると「観音堂」前の広場に出るが、左の写真に見られるように晩秋の季節には石段下の紅葉は素晴らしい。 |
上述の石段を上がると広場に出るが、そこにひときわ大きな建物「観音堂」(左の写真)が建てられている。「観音堂」は園城寺の寺域最南部に位置しており、西国十四番札所である。西国三十三所の札所になっていることから参拝者は多い。 現在の堂は元禄2年(1689年)に再建されたものといわれている。 「観音堂」は滋賀県の有形文化財に指定されている。 |
左の写真は「観音堂」正面である。堂内に安置されている本尊「如意輪観世音菩薩」は平安時代の作とされ、三十三年毎に開扉される秘仏である。本尊の他に、愛染明王坐像、蓮如上人木像が安置されている。 本尊「如意輪観世音菩薩」、「愛染明王坐像」は重要文化財に指定されている。 |
「観音堂」前の広場の隅にある石段を上ると展望台があり、大津市街や琵琶湖を遠望することができる。左の写真は展望所から見た観音堂札所伽藍である。 写真左端の大きな建物が「観音堂」、中央手前は「手水舎」、広場奥に見える左側の建物は「百体堂」、右側は「観月舞台」である。 |
左の写真は展望台から見た「観月舞台」である。 嘉永3年(1849年)の建立とされており、琵琶湖を眼前に見通すことのできる位置にあり、観月のための場所として好適である。 「観月舞台」は滋賀県の有形文化財に指定されている。 |
左の写真は展望台から見た「百体堂」である。 宝暦3年(1753年)の建立とされている。 「百体堂」は滋賀県の有形文化財に指定されている。 「観音堂」を中心とする札所伽藍には、上記の他に「鐘楼」、「絵馬堂」、「世継地蔵堂」、「手水舎」がある。 |
園城寺の境内には楓の木が多く植えられているので、季節になると奇麗な紅葉が見られ、紅葉の名所の一つになっている。 紅葉の情景は前述以外にも境内多くの場所で見ることができる。左の写真は「総門」から「水観寺」の前を通って「観音堂」に上る石段の途中に見られる紅葉風景である。 |
左の写真は「天狗杉」の横から鐘楼(三井晩鐘)の下(東側)を通って仁王門に出る参道の傍に見られる紅葉である。写真背後の建物は鐘楼である。この付近も季節には奇麗な紅葉を見ることができる。 |
国宝三井寺展: 宗祖智証大師帰朝1150年を記念して「国宝三井寺展」が開催された(される)。この展示会には三井寺所蔵の門外不出の秘仏・秘宝をはじめ国宝、重要文化財が多数展示されている。展示されている秘仏、秘宝のうち二度と見ることができないとされているものも多いが、その内、特に貴重と思われる4点をあげると: 1)秘仏中の秘仏として高名な国宝、「金色不動明王画像(黄不動尊)」 修行中の円珍の前に現れたという金色の不動明王像の絵画 日本三不動の一つとして極めて著名 2)秘仏中の秘仏とされている国宝、「智証大師坐像(御骨大師像)」 大師の遺骨を胎内に納めた仏像 3)秘仏中の秘仏とされている国宝、「智証大師坐像(中尊大師像)」 唐院、大師堂に祀られている秘仏 4)33年に1度しか開帳されない重要文化財、「如意輪観世音菩薩」 西国三十三所観音霊場第十四番札所観音堂の本尊 この展示会は大阪、東京、福岡で開催された(される)。 大阪会場:大阪市立美術館(期間:2008年11月1日〜12月14日) 東京会場:サントリー美術館(期間:2009年2月7日〜3月15日) 福岡会場:福岡市博物館(期間:2009年4月1日〜5月10日) |
御詠歌:いで入るや波間の月を三井寺の鐘のひびきにあくるみずうみ |
2009年1月26日最終更新 |
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