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西国第七番
東光山 龍蓋寺(岡寺)

(とうこうざん りゅうがいじ(おかでら))
所在地及びアクセス:

 奈良県高市郡明日香村岡806

 近鉄南大阪線・橿原線「橿原神宮前」駅で下車する。
 奈良交通バス「橿原神宮駅東口」停留所から[23]系統「飛鳥駅」行き又は[16]系統「飛鳥駅」行き([16]系統は期間限定で土曜日及び日祝日のみ運行)に乗車し、「岡戎前」停留所又は「岡寺前」停留所で下車する。
 「岡戎前」で下車した方がバスの乗車時間が短いが、龍蓋寺(岡寺)までの歩く距離が若干長い。
 バス停から東の方向に進む。道程は全体に上り坂で、寺の近くはかなり勾配が急である。バス停から龍蓋寺(岡寺)まで徒歩10〜15分。

 バスの便は少ないので、貸自転車(レンタサイクル)を利用するのもよい。

 「橿原神宮駅東口」発の奈良交通バス「飛鳥駅」行きの「橿原神宮駅東口」発車時刻は8時〜17時の間について下表の通り。17時以降のバスの運行はなし。この時刻は2008年4月1日改正、2008年10月現在のもの。
 平 日  土曜日・日祝日 注)#:岡寺前止
  *:3月第三土曜日〜5月末日(土曜日)の間及び
    9月第三土曜日〜11月末日(土曜日)の間運行
08 41 41
09 37 11* 37
10 37 11* 37
11 37 11* 37
12 37 11* 37
13 11# 11* 37
14 20 11* 37
15 20 11* 37
16 37 37

宗派:
真言宗豊山派

本尊:二臂如意輪観世音菩薩

開基:義淵僧正

縁起:
龍蓋寺朱印
 両親が観音に祈願して生まれてきたのが義淵であるということから、義淵は観音の申し子といわれた。この話を聞いた天智天皇は義淵を引き取り、草壁皇子と共に岡宮で育てたとされている。後に、天智天皇は仏教の指導者となっていた義淵に岡宮を与えたという。天智天皇2年(663年)に義淵がこの宮を寺としたのが当寺の創始であるとされているが、創建年については明確ではないようである。
 近くの山に住む龍が村の人々を苦しめているのを見て、義淵は法力でその龍を池に封じ込め石で蓋をしたという。これが龍蓋寺という名称の由来になったといわれている。

 この寺は「龍蓋寺」という正式名称よりも「岡寺」の名でよく知られており、日本最初の厄除け霊場である。

龍蓋寺境内堂宇配置略図:
境内堂宇配置略図

見所など:
仁王門
 アクセスの項に記載したように、急勾配の坂を上がると龍蓋寺の「仁王門」(左の写真)に着く。写真でもわかるように、仁王門の前には寺名を彫った石標が立てられているが、これには『龍蓋寺』という正式名ではなく通称名の『岡寺』の文字が刻まれている。

 「仁王門」は華麗な桃山様式の建築で、重要文化財に指定されている。
仁王門の寺名額
 「仁王門」の上部には「寺名額」が掲げられているが、これには寺の正式名称である『龍蓋寺』が書かれている。
仁王門の龍
 門内側の屋根庇の下に白い「龍の彫刻」が見えるが、これは後述するように義淵によって閉じ込められたという龍の伝説と関係があるのだろうか。
開山堂
 「仁王門」を通り石段を上がり広場に出ると、大きな造りの「本堂」が目に入る。「本堂」に比べると小ぶりでありあまり目立たないが、「本堂」の西側に密接して「開山堂」(左の写真)が建っている。

 「開山堂」は1999〜2008年の間にかなり大きく改修されているようで、1999年以前の屋根は瓦葺きだったが改修後変わっている。
本堂(1)
 上述したように「仁王門」を通り抜け石段を上がると、大きな「本堂」(左の写真)が見える。

 「本堂」から受ける印象は他の堂宇と比較して、とにかく大きいということで、造りよりもその大きさが印象的である。

 現存の本堂は文化2年(1805年)に造られたものといわれている。

本堂(2)
 「本堂」を正面から見たのが左の写真である。本堂への階段を上がって直ぐ左手に『びんずる尊者』が安置されている。心身に痛み悩みのある人は、自分の悪い部位と『びんずる尊者』の同じ部位を交互に撫でてお祈りすれば、痛み悩みが治癒するいわれている。尤も『びんずる尊者』はこの岡寺に限らず、多くの寺院で見ることができる。

 「本堂」には本尊、如意輪観世音菩薩が安置されている。
本尊如意輪観音像
 本堂に安置されている「本尊」、如意輪観世音菩薩(左の写真:岡寺発行の参拝パンフレットより)は自由に拝観可能である。

 この本尊は弘法大師が日本、インド、中国の三国の土を混ぜ合わせて造ったといわれているようで、日本で現存する塑像では最大で、高さは約4.6mといわれ、その大きさに圧倒される。

 「本尊」、如意輪観世音菩薩は重要文化財に指定されている。

 本尊には「銅造如意輪観音半伽像」が胎内仏として納められていたようで、この胎内仏は龍蓋寺創建時の本尊といわれている。

 「銅造如意輪観音半跏像」は重要文化財に指定されている。
本堂(3)
 左の写真は義淵僧正廟所(後述)の近くから見た「本堂」である。この場所は高台になっており、「本堂」を俯瞰することが出来る。この場所から見ると「本堂」の全体像が良く把握できる。
龍蓋池
 「本堂」の前の広場東側に、義淵僧正が龍を閉じ込めたと伝えられる「龍蓋池」(左の写真)がある。

 写真でもわかるように、池の中には縄で囲われた石があるが、これは龍を閉じこめたあと、蓋をした石であろう。

 龍は付近の農地を荒らしたというから、かなり大きいものだったと推定されるが、それにしても、龍を閉じこめた池は想像していたよりも小さく、蓋の石も小さく頼りない。こんな場所に大きな龍を閉じこめられるのも法力のなせる業という。伝説として面白いお話しである。
稲荷社
 「本堂」前の広場から東の方向へ上り勾配の細い道が「稲荷社」(左の写真)までついている。寺には守護神として神を祀ることが多いようであるが、この「稲荷社」もそのような目的でここに祀られているものと思われる。
奥之院石窟(1)
 「稲荷社」から南側に向かって少し石段を上がったところに「奥之院石窟」(左の写真)がある。

 奥之院といえばそれなりの大きさを持った堂宇が普通であるが、この奥之院は山の斜面に掘られた石窟である。見た目には奥之院のイメージから程遠い。

奥之院石窟(2)
 左の写真は「奥之院石窟」内部である。石窟の奥には石仏が安置されている。石窟の奥、石仏が安置されている場所には電灯が点灯されているが、かなり奥深いため外からは石仏の様子など詳細はよくわからない。写真で石窟の入口付近、石窟内右側に見られるものは蝋燭を立てるための用具と思われる。
義淵僧正廟所
 「奥之院石窟」から細い道を南西の方向に上がって行くと「本堂」の南側に位置する小高い場所にでる。この場所に左の写真のように石造宝篋印塔が建てられており、これは開基、「義淵僧正の廟所」と伝えられている。

 義淵僧正は非凡な才能の持ち主といわれ、その門下に、行基、良弁、道慈など高名な僧を輩出した人であり、天智天皇に目をかけられた開基の墓としては規模、宝篋印塔共に思ったより小さい。
三重塔
 「本堂」の西南側、義淵僧正廟所から細い道を西側へ坂を少し下りながら歩くと「三重塔」(左の写真)の建っている場所に出る。ここは「本堂」の西南側にあたり、「本堂」から見てやや小高い場所になる。「三重塔」へは本堂前の広場西端に建てられている大師堂の前から石段を上がっても行くことができる

 以前の三重塔は文明4年(1472年)に大風で倒壊して以来、約510年間三重塔がなかったが、昭和61年(1986年)に弘法大師記念事業として塔が再興された。これが現存の「三重塔」である。建造されてから約20年しか経過していないため、見た目にも新しい。

 龍蓋寺には上記の他に何点かの重要文化財が所蔵されているとのことである。また、奈良時代末に制作され、国宝に指定されている木心乾漆造り「義淵僧正坐像」>が所蔵されていることが知られている。

御詠歌:けさ見ればつゆ岡寺の庭の苔さながら瑠璃(るり)の光なりけり

最終更新:2008年10月18日
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