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西国第五番
紫雲山 葛井寺

(しうんざん ふじいでら)
所在地及びアクセス:

 大阪府藤井寺市藤井寺

 近鉄南大阪線藤井寺駅下車。南出口を出て東の方向へ約100m進み、右折、商店街を南に向かって約150m進むと左手に寺の西門が見える。

宗派:
真言宗御室派

本尊:
十一面千手千眼観世音菩薩


開基:行基

縁起:
朱印
 この寺は7世紀代に、百済から渡来した葛井氏の氏寺として建立されたと伝えられている。その後、神亀元年(724年)に聖武天皇は十一面千手観音の造立を命じ、翌年の神亀2年に天皇臨席のもと行基が導師となって開眼法要が行われたといわれている。この時をもって葛井寺の創始とされているようである。
 葛井寺に所蔵されている室町時代の「葛井寺参詣曼陀羅図」によれば、当時は薬師寺式伽藍配置をとっていたと推定され、その規模は2km四方に及んでいたといわれている。このように、葛井寺は奈良時代から平安時代にかけて大いに栄えていたらしい。
 明応2年(1493年)には戦火に遭い、更に永正7年(1510年)の大地震で寺の諸堂がすべて倒壊したようである。そのあと修復には様々な苦労が重ねられ、18世紀後半には次々と再建され、現在の規模になったといわれている。

境内諸堂配置図:
境内地図
 寺の周辺は住宅などが近接しており、境内は比較的こじんまりしている。

見所など:
四脚門(西門)
 商店街のアーケードを抜けると左手(東側)に寺の西門にあたる「四脚門」(左の写真)が建っているのが見える。この門から境内に入ると本堂の横に達する。

 「四脚門」は慶長6年(1601年)に豊臣秀頼により建立された旧南大門を天明5年(1785年)にここに移築したものといわれており、葛井寺で現存する最古の建物であり、国の重要文化財に指定されている。
南大門
 「四脚門」から境内に入らずその前を更に100m弱南の方向に進み、最初の交差点を左折し50m強東の方向に進むと左手に「南大門」(左の写真)が見える。「四脚門」は小ぶりであるが、これに比べ、「南大門」は大きく堂々とした造りである。

 「四脚門」と同様に赤い色に塗られているが、「南大門」の方はかなり退色して色が薄くなっているためか赤というよりもむしろピンク色に近い。葛井寺に限ったことではないが、寺の山門は赤く塗られていることが多い。赤い色は死者を護るといわれているが、この言い伝えに由来しているのであろうか。

 「南大門」も国の重要文化財に指定されている。

青銅鳥居
 「南大門」をくぐり「本堂」の方に進むと、左の写真に見られるような灯籠様の建築物に出会う。一見青銅製の灯籠の様であるが、これは何故か「青銅鳥居」と呼ばれているようである。この名称の謂われについてはよくわからない。
弘法大師修行像
 「青銅鳥居」のすぐ右手に「弘法大師堂」が見え、その南側に「弘法大師修行像」(左の写真)が建てられている。真言宗の寺には何らかの形で弘法大師の像が建てられていることが多い。

 「本堂」(詳細は後述)の手前本堂に向かって左手に「手水舎」があるが、これは「弘法大師手掘り井戸」とも呼ばれている。弘法大師の手掘りということは伝説と思われるが、葛井寺は弘法大師と特別な因縁があると考えられないこともない。
礎石
 「弘法大師修行像」の東側に十三重石塔があり、その傍に約1400年前に葛井氏の氏寺として創建された当時の「塔の礎石」 (左の写真)が置かれている。

 写真でもわかるように礎石の天面には直径90cm弱の円形の痕跡が見えるが、これはかつて建てられていた塔の柱跡と言われている。
紫雲石灯籠
 「青銅鳥居」を越えて更に石畳を本堂に向かって進むと『聖武天皇御寄附 寫紫雲石燈篭』と銘のある「紫雲石灯篭」(左の写真)に会う。

 ここに置かれている灯篭は明治時代に造られた複製品ということで、本物は裏庭に置き管理されているようである。かつて花山法皇が本尊を参拝したとき本尊の眉間から光が射し、この灯籠から紫雲がたなびいたと伝えられている。なお、本物の「紫雲石灯籠」は大阪府美術品に指定されている。
旗掛けの松
 「紫雲石灯籠」の右側に「旗掛けの松(三鈷の松)」(左の写真)がある。この松の木は南北朝の動乱期、楠正成が本尊に戦勝祈願をしたとき、菊水の旗を掛けた木とされている。

 楠正成が戦勝祈願をしたとき、三人の息子(正行、正時、正儀)に、この松葉(三葉になっている、後述)のように三人が力を合わせ一つになって武士道に励むよう誓わせたという。以来、この松葉を持つと力が付くという言い伝えがあり、珍重されているようで、三葉の松葉の落ち葉を探している参拝者をみかける。
三鈷の松
 左の写真は旗掛けの松の松葉である。上述したように三葉になっている。
本堂
 石畳の参道を進むと「本堂」(左の写真)に着く。「本堂」は30年余りの時日をかけて安永5年(1776年)に再建されたものといわれ、国の重要文化財に指定されている。

 本堂内に祀られている春日仏師作の「本尊」十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音坐像)は上述の縁起の項にも記載したように、神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願により安置されたものといわれ、現存最古の千手観音像として貴重であり国宝に指定されている。
本堂正面近写
 本尊は毎月18日に開扉、公開されている。これに合わせて本堂内部も公開されており、寺宝も拝観することが出来る。

 左の写真は本尊開扉日の本堂正面で、「国寶本尊千手千眼観世音菩薩開扉」の掲示が出ている。

 本尊は厨子の奥に安置されており、厨子内部は暗いため見にくいが、できるだけ近くに寄り、ジッと眼をこらすと本尊の姿を拝観することが出来る。ただし、本尊の写真撮影は勿論、双眼鏡の使用も厳禁とされている。

 仏像自体は大きいものではないが、像には多数の脇手がビッシリと出ている。脇手の数は1039本あるという。これらの脇手の内、38本あるという比較的大きい脇手は仏具らしきものを持っているが、これらは経典に定められたものらしい。また、全ての手の掌には眼が描かれていたという。まさに言葉通りの千手千眼観音坐像であり、約1300年もの歴史を経た仏像故か非常に印象的である。

 それにしても、寺は戦火や大地震に遭遇しているが、これらの災害から仏像を護ってきた人々に敬意を表すべきであろう。

御詠歌:
まいるより頼みをかくる葛井寺花のうてなに紫の雲

2010年3月22日最終更新
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