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西国第四番
槇尾山 施福寺(槇尾寺)

(まきのおさん せふくじ(まきおでら))
所在地及びアクセス:

 大阪府和泉市槙尾山町
施福寺所在地図
 泉北高速鉄道「和泉中央」駅で下車し、「和泉中央駅」から南海バスに乗車し「槙尾中学校前」でおりる(乗車するバスの行き先、系統番号は下記の時刻表参照)。「槙尾中学校前」からオレンジバスに乗り換え、終点の「槙尾山」まで乗車する。
 なお、南海バスは上記「和泉中央駅」の他、南海電鉄本線泉大津駅前のバス停「泉大津駅前」及びJR阪和線和泉府中駅近くのバス停「和泉府中車庫前」からでも乗車可能であるが(但し、系統番号[83]は「和泉中央駅」からのみの運行)、「和泉中央駅」から乗車するのが便利である。
 バス停「槙尾山」から施福寺まではかなり急な上り勾配が続く参道で、所要時間は徒歩30〜40分。

 以前はオレンジバスが運行していなかったので、南海バスの「槙尾山口」から歩くか、又はタクシーを利用して施福寺に参拝しなければならなかったが、便数は少ないがオレンジバスの運行により、参拝が楽になった。

 「槙尾中学校前」を通る南海バスの「和泉中央駅」停留所発時刻及びその便に連絡しているオレンジバス「槙尾中学校前」の発時刻は次の通り(2008年7月現在)。南海バスの時刻はオレンジバスに連絡している便のみ記載。但し、オレンジバスは12月30日から翌年1月3日まで運休。
  和泉中央駅発
(南海バス)
槙尾中学校前発
(オレンジバス)
和泉中央駅発
(南海バス)
槙尾中学校前発
(オレンジバス)
平日・土曜 日曜・祝日
 8     7* 40
 9 7* 40 7* 40
10     7$ 40
11     7* 40
12 7& 40    
13     7* 40
14 36#   7* 40
15   13 7$ 40
16 36#      
17   13    
*印:「室堂」経由「槙尾山口」行き、系統番号[31][37]。
$印:「室堂」経由「父鬼」行き、系統番号[33]。
&印:平日は「室堂」経由「槙尾山口」行き、系統番号[31][37]。土曜は「室堂」経由「父鬼」行き、系統番号[33]。
#印:「はつが野」経由「槙尾山口」行き、系統番号[83]。
「室堂」経由はA番のりば、「はつが野」経由はB番のりばから発車。

 オレンジバス「槙尾山」の発時刻及びそれに連絡している南海バス「槙尾中学校前」の発時刻は次の通り(2008年7月現在)。南海バスの時刻はオレンジバスに連絡している便のみ記載。但し、オレンジバスは12月30日から翌年1月3日まで運休。
  槙尾山発
(オレンジバス)
槙尾中学校前発
(南海バス)
槙尾山発
(オレンジバス)
槙尾中学校前発
(南海バス)
平日・土曜 日曜・祝日
10 00 17 00 17
11     00 17
12     00 17
13 00 17    
14     00 17
15 28 43 00 17
16     00 17
17 28 43 00 17

宗派:
天台宗

本尊:千手千眼観世音菩薩

開基:行満上人

縁起:
朱印
 この寺は欽明天皇の時代(550年頃)に、天皇の病気治癒の勅願により行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが草創とされている。
 行基菩薩もここで修行したと伝えられ、また、弘法大師はここで剃髪したとされている。
 かつて、寺は非常に栄えたらしい。しかし、織田信長の兵火に遭い、殆ど破壊されたようである。その後、豊臣秀頼によって再興されたといわれているが、ただ、以前のような隆盛はなくなったという。

見所など:
仁王門
 バス停前から直ぐに急勾配の参道になるが、この辺りは舗装されており比較的歩きやすい。

 約10分歩くと「仁王門」(左の写真)に着く。仁王門の階段前左側に「迎え観音」が建てられている。

 仁王門に付けられている人型をした小さい木柱に、多数の「開運招福/手づくりお願いわらじ守」が掛けられているのが目を引く。
参道
 仁王門をくぐると、参道は再び急勾配の、自然石で造られた石段になり、道幅も狭くなって歩きにくくなる(左の写真)。

 このような状態の参道が約20分間続く。
登りはかなり厳しく、西国三十三ヶ所霊場の中で難所の一つに数えられているのも分かるような気がする。ただ、今では、便数は少ないがバスも通っており、車でもバス停の所までは登ることが出来るので、車道のなかった昔に比べるとずっと楽に参拝出来るようになったのではないか。

 参道途中には所々に小さな石仏が安置されており、硬貨が入れられた小さな賽銭箱が側に置かれている。

 この小さな石仏は誰かに持ち去られることもあると聞く。
愛染堂
 本堂の下には、「愛染堂」(左の写真)が建っている。

 かつて、勤操僧正がこの寺に住んでいるとき、空海(弘法大師)が訪れてきて、寺で修行し、この場所で剃髪し得度したという。愛染堂の前には、「弘法大師御剃髪所跡」と銘のある石碑、「弘法大師報恩感徳の為」と書かれた灯籠が建てられている。

 弘法大師は唐から帰朝後、再び施福寺を訪れ、大同2年(807年)から2年間、寺に籠もり真言宗を開くための思索を行ったといわれている。何れにしても、施福寺と弘法大師との縁は深いようである。

 愛染堂の中には愛染明王、勤操僧正、弘法大師の像が安置されている。
弘法大師髪堂
 愛染堂と本堂の間の階段の途中、本堂に向かって左側に「弘法大師御髪堂」(左の写真)が建っている。

 この堂には、弘法大師の剃髪した髪が納められているという。

 御髪堂の石碑、堂などは見た目に新しく、造られたてからあまり年月は経過していないものと思われる。
本堂(1)
 寺の規模はそう大きくはなく、「本堂」(左及び直下の写真)も特に大きいようには見えない。

 施福寺は、かつては真言宗の寺として栄えたとされているが、江戸時代初期には天台宗に改宗したようである。

 本尊も当初、弥勒菩薩であったのが、後に、行基の弟子である法海が観世音菩薩を刻んで本尊としたという。

 現在、本堂に安置されている本尊は法海が刻んだものかどうかはわからないが、秘仏になっており、年に1回だけ開扉されているようである。
本堂(2)
 本堂に向かって左側、本堂の傍に「西国第四番霊場槇尾山施福寺/十一面千手千眼観世音菩薩」の銘のある仏像が安置されている。銘からみて本尊を連想するが、これは本尊を模して造られたものなのだろうか。それとも、本尊とは全く関係のないものだろうか。それに、銘に和泉チャイルド幼稚園の添記があるが・・・。

 このことについて確かめたかったが、残念ながら寺の関係者に聞きそびれてしまった。
馬銅像
 本堂の裏手、本尊と背中合わせの位置に「馬頭観音」が祀られている。このことと、寺の境内に馬の銅像(左の写真)が建てられていることとは関連性があると思われる。

 徳道上人によって創始された西国霊場を再興した花山法皇が、粉河寺からこの施福寺に向かっていたとき、日が暮れ道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説がある。馬が崇められているのはこれに基づいているのではなかろうか。

 境内の規模は大きくはないが、本堂の前の広場は比較的広くとられており、広場の端からは葛城山、金剛山などの山並みを望むことができ、眺望は素晴らしい。

御詠歌:深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)松原わけゆけば槇尾寺(まきのおでら)に駒ぞいさめる

2008年7月14日最終更新
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