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新西国客番
南山 安岡寺
(なんざん あんこうじ)
所在地及びアクセス:

 大阪府高槻市浦堂本町
安岡寺所在地図
 JR東海道線(JR京都線)高槻駅下車。駅北側にある西武高槻ショッピングセンター前の道路を隔てて高槻市バス停留所「JR高槻駅北」があり、そこから[54]「上の口」、[58]「原大橋」、[58]「二料」、[58]「杉生」、[58]「中畑」の何れかの行き先のバスに乗車し、「浦堂」で下車する。
 「浦堂」バス停の傍の信号のある交差点を東の方向(バスの進行方向に向かって右手)に200m弱進むと北の方向に向かう(左折する)道があるので、それを道なりに進む。約200m進むと安岡寺の標識石柱があるので、指示された方向に進むと安岡寺の表門に着く。「浦堂」バス停から徒歩7〜8分。
 以上が表参道からのアクセス方法である。車を使って裏参道から訪れる方法もあるが、車を使わないで表参道を通り参拝する方法をお勧めする。

 「浦堂」を通る高槻市バスの「JR高槻駅北」停留所発車時刻は次の通りである(2003年9月現在)。下表でわかるようにバスの便数は多い。
平    日 土 曜 日 日曜日・祝日
08 07 15* 20 25 27 30 39* 45 53 57 03 06 14 19* 24 31 34 39 44* 54 02 09 15s 23 31* 39 47* 54
09 01 10* 22 34 39n 49 05* 17 29* 42n 45 50 56 00 06 12* 18 25 31* 36 42 48* 54
10 00 10* 20 32* 40 45 51* 57 06* 18 30* 36 42 54* 00 06n 12 18 24 30* 36 42 48* 54
11 05 12* 19 25 38s 45 53* 06* 12 18 24 30* 36 42s 48 54 00 06 12* 18 24 30 38# 40 46 50 54*
12 02 10* 20 25 30* 40 50* 00 06* 12 18 24 30* 36 42 48* 54 02 09* 17 23 28 33* 39 47 54*
13 01 10n 20 30* 40 50* 00 06n 12 18 24 30* 36 42 48* 54 02 09n 14 19 24 31* 38 46 54*
14 00 10* 20 30* 40 51* 02 09* 17 24 32* 39 47 54* 00 06 11* 17 24 32* 39 47 52* 57
15 00 10* 20 30* 40 49s 02 07* 12 17 25* 32 40s 47 55 02 09n 17 24 32* 37 42 47 54*
16 00 10* 20 25 30* 35 40 45 50* 55 02 08* 14 20 26* 32 38 44* 50 57 02 09* 17 24 32* 38 44 50* 56
17 00 05 10# 17 24 31 36* 40 45 50 56* 04# 12 21 28 34* 40 46 52* 57 02 08s 14 20 26 32* 38 44 50* 56
無印は「上の口」行き、*印は「原大橋」行き、n印は「中畑」行き、s印は「杉生」行き、#印は「二料」行き。

宗派:天台宗系単立

本尊:如意輪観世音菩薩

開基:開成皇子

縁起:
朱印
 安岡寺は第49代光仁天皇の子で第50代桓武天皇の兄にあたる開成皇子によって宝亀6年(775年)に創建されたと伝えられ、開成皇子が自ら一刀三礼の観音像を刻んで本尊とし、安置したといわれている。

 戦国時代に高山右近の兵火に遭い荒廃したようであるが、17世紀後半の寛文年間に復興され、4塔頭をもつ大きな寺となり大いに栄えたという。しかしながら、明治時代の廃仏毀釈の法難により現在の規模になったといわれている。

境内案内:
境内案内図
 安岡寺の各堂宇等の配置略図を左のコピー(本堂前広場の片隅にある安岡寺の説明板に書かれている案内図を写真撮影し修正したもの)に示した。

 この図では省略されているが、本堂裏の小山の頂上には般若塚(後述)がある。

見所など:
表門
 バス停から表参道を通って寺に着くと寺の表入口に当たる場所に寺名が書かれた石柱(左の写真)が建てられている。

 安岡寺の雰囲気は通る参道によって大きく異なる。この表参道から境内に入ると、安岡寺の古刹としての雰囲気を味わうことができる。一方、西側の裏参道を通って寺の境内に入ると、このような雰囲気は感じられない。
総門
 表入口を入ると、直ぐに「山門(寺の説明では総門)」(左の写真)が見える。

 古びた感じを漂わせている「山門(総門)」は周囲の木立によくとけ込んでおり、この寺の古刹としての雰囲気作りに大きな役割をはたしているように思われる。
表参道
 「山門(総門)」をくぐると「本堂」前の広場まで石段や石畳の「表参道」(左の写真)が続いているが、これは参道というよりも舗装された山道という感じである。
本堂
 参道を上がると広場があり、その奥に「本堂」(左及び直下の写真)が見える。
本堂近景
 「本堂」に祀られている本尊の「如意輪観世音菩薩」は開成皇子の作と伝えられているようで、秘仏になっている。また、本尊の他に、男山八幡宮から移された「愛染明王坐像」、弘法大師の作と伝えられている「不動明王像」などの仏像が安置されている。

 何れにしても、1000年以上も昔に作られた仏像が安置されていることになるが、これらは何故か文化財の指定を受けていない。古いということと文化財としての価値とは別かもしれないが、本当に1000年以上も前に作られた仏像なのだろうか、という疑問もわいてくるのである。尤もこういうことは安岡寺に限ったことではないが・・・。
弘紹不動明王
 「本堂」の東側(右側)にある広場の奥、山際に石仏の「弘紹不動明王」(左の写真)が祀られている。
 
 この「弘紹不動明王」は毎年2月1日に当寺で行われる節分会大護摩供の際の本尊となる。

 節分会大護摩供には多数の大峰山の行者たちが大護摩を焚き、行者たちや参拝に訪れた人々が焼けた丸太の上を素足で歩く火渡り式が行われる。

 大護摩は人の心の奥にある煩悩を浄火で焼き清め、無病息災、交通安全などを願う行であるという。
弘紹不動明王前広場
 この大護摩供には遠方から訪れた多くの人々で境内は埋めつくされるといわれている。さして規模の大きくない安岡寺に似合わないほどの広場(左の写真)が「弘紹不動明王」の前に設けられているのはこのためであろう。
青梅観音堂
 「本堂」の西側(左側)に隣接して「青梅観音堂」(左の写真)が建てられている。

 この「青梅観音堂」には「十一面千手観音菩薩坐像」が祀られている。

 この仏像はかつての高槻真上村の安正寺(青梅寺)の本尊であったが、同寺が廃寺になったため、安岡寺に移されたといわれている。
十一面千手観音坐像
 この「十一面千手観音菩薩坐像」(左のコピー:安岡寺発行のパンフレットより)は10世紀中頃、平安時代初期の作とされており、高さ約1.4mで、十一面千手観音坐像としては珍しく大きい坐像といわれている。一時、京都国立博物館に保管されていたようであるが、「青梅観音堂」の新築に伴い、ここに移されたという。

 「十一面千手観音菩薩坐像」重要文化財に指定されている。
叶観音堂 「青梅観音堂」の西側の石段を上ったところに「叶観音堂」(左の写真)が建っている(左の写真)。この堂はかつては「阿弥陀堂」と呼ばれていたという。

 「叶観音堂」には大阪の篤志家が奉納した「金銅聖観世音菩薩立像」が祀られている。この仏像には人々の願いを叶える霊験があるとして「叶観音さん」として親しまれているようである。
般若塚(1)
 「叶観音堂」、「開山堂」の前を通り「本堂」の裏手にある山に上ると、山頂に「般若塚」(左の写真)がある。
般若塚(2)
 写真ではよくわからないが、「般若塚」(左の写真)の上には大きな山桃の木が生え、この木に密接するするような状態で「五輪塔」が建てられており、妙に印象的である。

 「般若塚」は開成皇子が大般若経600巻を一石に一字書き写し、この場所に安置したとされている塚である。

 安岡寺には般若院という院号があるが、この由来は般若塚からきているという。

 旧暦の8月15日、中秋の名月の日には、この場所で万灯供養が行われるようである。
西山門
 「本堂」前の広場の西端に「西山門」(左の写真)がある。これは山門と呼ばれているが、写真でもわかるようにおよそ山門らしくない。

 この山門近くに駐車場があるので、車で参拝する人はこの門から境内に出入りすることになるので表参道を通らないが、これでは参拝の意義を半減させることになる。
西山門門柱
 「西山門」で境内内側から見て右側の門柱の境内側に、左の写真にあるように『西方浄土極楽入口』の文字が彫られている。

 この門を通って境内を出るときは確かに西の方角に向かっているので西方浄土の入口と言えないこともないが、この門から見た現実の西方は浄土や極楽とはおよそ関係のない風景が拡がっている。

御詠歌:如意の輪は願いのままにめぐりきて身を安岡の寺におかばや

2003年9月28日更新
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Yukiyoshi Morimoto