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新西国客番
有栖山 清水寺
(ありすざん きよみずでら)
所在地及びアクセス:

 大阪市天王寺区伶人町
清水寺所在地図
 大阪市営地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅下車、南側の5番又は4番出口を出る。4番出口を出た場合は谷町筋東側に出るので谷町筋西側に渡らなければならない。谷町筋を南の方向に進み、大阪星光学院の南側の道路(大阪星光学院と特許情報センターの間の道路)を西に入ると清水寺の石碑(標識)が見える。
 境内が広くないこともあり、寺までの道は入りくんでおり若干わかりにくい。

宗派:和宗

本尊:十一面千手観世音菩薩

開基(中興):延海大阿闍梨


縁起:
朱印
 この寺は、かつては有栖寺といってかなり古くからあったようである。寛永17年(1640年)に延海大阿闍梨が観世音菩薩のお告げをうけ、京都の清水寺から聖徳太子の作といわれる十一面千手観世音菩薩を遷して本尊として祀り、享保年間(1716〜36年)に新清水寺に寺号を変えたとされている。新清水寺の寺号が清水寺に変わった経緯などわからない。
 寺のもともとの創始はわかっていないようで、中興が上述のように寛永17年(1640年)とされており、その意味では歴史は浅い。
 清水寺は四天王寺の支院であり、院号を清光院という。

 この寺は平成17年2月から改修により大きく変貌した。それ以前あった本堂は石段を下りた所、「玉出の滝」の傍にある納経所の2階に仮本堂として移され、旧本堂の場所は全て墓地になってしまった。本堂は現在、納骨堂、地蔵堂のある場所に新築を予定しているとのことであり、再建後の本堂外観も図に表されているが、この場所はかなりの傾斜地なのでどのような形で本堂が再建されるのか想像することができない(2006年7月現在)。

見所など:
清水寺への標識
 大阪星光学院南側の道路を西の方向に進むと「清水寺の標識」(左の写真)が見える。この標識の左側の道を進むと清水寺に着く。

 写真右端に見える下り坂は清水坂であり、西側から清水寺に登る坂道である。
清水寺入口
 清水寺には門が東と西の二ヶ所あるが、東側にある門が「山門に該当する表門」(左の写真)と思われる。

 この門は通常の寺院で見られる山門とは形状が異なっている。

 この門は通常閉められているようであり、この門の左手にある通用門から境内に入る。
境内の墓地
 「境内」に入ると堂宇は殆ど見られず、一面の墓地(左の写真)であり、以前、本堂のあった場所も墓地になっている。

 写真の右端奥に納骨堂が見える。墓地の西端(写真奥側)の舞台から西側に大阪の市街地を望むことができる。
舞台と市街
 左の写真は墓地の西端にある「舞台」である。寺は高台にあるため、写真でもわかるように市街地が展望でき、大阪南のシンボル、通天閣も見える。

 写真左手奥に見えるのは「鐘つき堂」である。
鐘楼
 舞台の南隅に「鐘つき堂」(左の写真)がある。この「鐘つき堂」は写真でもわかるように普通には見かけない珍しいもので、およそ「鐘つき堂」と云う言葉が似合わない建造物である。覆屋がなく4本の鉄柱で支えられた枠の中央に吊り下げられた釣鐘が雨ざらしの状態になっている。
納骨堂
 舞台の北側、やや低い場所に「納骨堂」(左の写真)が建てられている。この「納骨堂」は平成17年の清水寺の改修前からこの場所にあった堂で、建物自体も元のままであるが、見た感じでは古くからある建物とは思えない。
地蔵堂
 「納骨堂」の北側で更に低い場所に「地蔵堂」(左の写真)がある。この堂も平成17年以前からあった建物であるが、「納骨堂」と同様、建築してから大きく経日しているとは思えない。

 上述したように「納骨堂」と「地蔵堂」のあるこの場所に新本堂を建設する予定という。
子育地蔵尊
 墓地の片隅に「子育地蔵尊」(左の写真)が安置されている。かつては子育地蔵尊の近くに無声地蔵尊も安置されていたが、平成17年の改修時に他に移転されたのか、近くに無声地蔵尊を見かけなかった。

 昔、毎夜のこと、水面に浮かび上がる木があり、その木から赤子の泣き声が聞こえた。ある人は、これは人々を救うために現世にあらわれた地蔵尊であると考え、その木で地蔵尊を刻みこの場所に安置した、という伝説があるという。

 この地蔵尊は病気の平癒、除災招福、また、子供の守護や子授けに霊験があるとされている。

 墓地の南西側に下に降りる石段がある。これを下りると納経所があり、その2階が現在(2006年7月)、仮本堂になっている。
仮本堂内
 「仮本堂」祭壇(左の写真)は古刹の持つ一種独特の荘厳さには欠けるが、仮本堂全体が明るくスッキリしており親近感があり感じは悪くない。

 写真でははっきりしないが、正面三体の仏像の内、中央の仏像は十一面千手観音であり「本尊」と思われるが、或いは前立ちかもしれない。

 本尊は延海大阿闍梨が京都の清水寺から遷したものとされているようであるが、これが真実であるかかどうかは不明である。ただ、具体的にはよくわからないが、この本尊は数多くの不思議な霊験を現すという。

 現存の本尊が京都の清水寺から遷された十一面千手観世音菩薩であるのが事実とすれば、この仏像は長い歴史を経てきた由緒ある仏像ということになるが、それにしては歴史の持つ重みで迫ってくるものを感じさせないのである。これが本尊は後ろの厨子の中に安置されており、直接拝観できる仏像は前立ちではないか、と考えた所以である。
玉出の滝(1)
 納経所(現在、2階は仮本堂)に続いて東側に建物があるが、これと石垣の間の細い通路を東の方に進むと、三筋の水が落ちている場所に出る。

 見た目には全く滝らしくないが、これは「玉出の滝」(左の写真)と呼ばれているもので、四天王寺の金堂の下にある青竜池から湧き出ている霊水がここに滝となって流れ出ているものといわれている。これは大阪市内では唯一の天然の滝とされている。

 この「玉出の滝」とそれに付随する建物はこの寺が変貌する平成17年以前と全く変わるところはない。
玉出の滝(2)
 左の写真は「玉出の滝」を斜め右側から撮影したものである。この場所からのほうが三筋の滝(落水)がはっきりとわかる。

 この滝は、京都清水寺の「音羽の滝」とよく似ている。もっとも「音羽の滝」で滝にうたれ行をする人はいないが、「玉出の滝」を見たときには「音羽の滝」を真っ先に連想した。この清水寺は京都の清水寺とかつて浅からぬ関係があったとされているので、こんなところにも因縁があるのだろうか。
玉出の滝(3)
 左の写真は滝の奥にある祠で、ここには不動明王が祀られている。この不動明王は観世音菩薩の化身とされ、滝にうたれ真言を唱え礼拝することにより抜苦与楽、福寿増長、心願成就の霊験がえられるという。

 滝の手前の建物には銭湯の脱衣箱のようなものが備えられており、ここで、白い衣に着替えて滝にうたれながら経を唱え行をする人が多いようである。
滝の修復記念碑
 滝の手前、建物の裏手やや奥まった場所に左の写真のような「滝の修復記念碑」が建てられている。

 これによると、「玉出の滝」は昭和24年10月に修復されているのがわかる。修復という表現から考え、それ以前に滝が何らかの理由で破壊されていたことが推測される。修復の時期から見ておそらく太平洋戦争の戦禍によって破壊されていたのであろうか。

御詠歌:たふとしや大江の岸の観世音滝も玉出の名にかがやきて

2006年7月21日最終更新
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Yukiyoshi Morimoto