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新西国第三十二番
いかるが 斑鳩寺
(いかるが いかるがでら
所在地及びアクセス:

 兵庫県揖保(いぼ)郡太子町鵤(いかるが)
斑鳩寺所在地図
 JR山陽本線「姫路」駅又は山陽電鉄「姫路」駅下車。駅前より神姫バス[39]番「鵤
(いかるが)経由竜野」行きに乗車する。このバスは山陽百貨店一階にある神姫バスのバスターミナルからではなく、百貨店に密接しているキャスパの前の道路南側にあるバス停「キャスパ前」から発車している。
 「鵤
(いかるが)」バス停で下車し(乗車時間:約35分間)、国道179号線を北の方向へ約200m進み、斑鳩小学校の南側で西の方向に曲がり(左折)、約200m進むと右手に「斑鳩寺」がある。

 「鵤(いかるが)経由竜野」行き神姫バスの「キャスパ前」発車時刻(8:00〜17:00の間について)は次の通りである(2002年2月現在)。
平日 土曜日 日・祝日
8 15 45 15 15
9 30 50 00 30 00 30
10 10 30 00 30 00 30
11 00 40 00 40 00 40
12 20 20 20
13 00 30 00 30 00 30
14 20 20 20
15 00 30 00 30 00 30
16 00 30 00 30 00 30

 なお、JR山陽本線「網干」駅前からも「鵤(いかるが)」バス停を通るバスが出ているが、運行頻度から見て、上記のアクセス方法による方が便利と思われる。

宗派:天台宗

本尊:如意輪観世音菩薩

開基:聖徳太子

縁起:
朱印
 推古天皇14年(606年)、35歳の聖徳太子は天皇に請われ三日間にわたり勝鬘経を講じたといわれている。天皇はその妙味に感動し、賞として聖徳太子に対し播磨国揖保郡の土地360町歩を与えたという。

 聖徳太子は当時住んでいた大和国斑鳩宮からこの地に来て斑鳩莊と名付け、伽藍を建設したと伝えられており、これが、斑鳩寺の創始とされている。

 かつては、七堂伽藍をならべた大寺で壮麗を極めたとされていたようであるが、天文10年(1541年)に赤松・山名の争乱により尽く焼失したという。その後、赤松氏などの発願で円勝寺の昌仙法印によって漸次再建されたといわれている。

 当寺は創建から約千年間は法隆寺の支院であったが、火災再建後は昌仙法印が天台宗の僧であったため、天台宗の寺院になったようである。

見所など:
仁王門
 境内南側の入り口が「仁王門」(左の写真)になっている。

 「仁王門」はかなり大きな規模であり、かつては壮麗を極めた大寺であったことが偲ばれる風格を持っている。
三重塔
 「仁王門」をくぐると右手に「三重塔」(左の写真)が見える。塔の高さは約25mである。

 「三重塔」は室町末期に建造されたものといわれているが、当初の塔は天文10年(1541年)の争乱で焼失したようである。後に時の領主、赤松政秀により再建され、永禄8年(1565年)に完成したといわれ、その後、宝暦4年(1754年)に修理が行われたとされている。

 更に、昭和25年(1950年)に解体大修理が始められ昭和27年(1952年)に竣工し、現在に至っている。

 この
「三重塔」重要文化財に指定されている。
聖徳殿正面
 「仁王門」をくぐって左手に見える建物が「聖徳殿」(左の写真)である。

 「聖徳殿」に祀られている本尊は、聖徳太子自身の像といわれ、聖徳太子の父、用明天皇が病気になった時、7日間断食して回復を祈り、常行三昧の作法により太子自らが刻んだものとされている。
聖徳殿内
 「聖徳殿」の正面から昇段すると直ぐ、左の写真に見られるように格子状の障壁があり、これより「聖徳殿」の内部に入ることはできない。

 正面から見た「聖徳殿」はそう大きな建物には見えないが、左の写真の場所から障壁を通して見れば非常に奥行きのある建物であるのがわかる。
聖徳殿奥殿
 「聖徳殿」に密接して奥側(西側)に「奥殿」(左の写真)が建てられている。「聖徳殿」と「奥殿」とは繋がっているようであり、「奥殿」は「聖徳殿」の一部と見るべきかと思われる。

 「奥殿」は八角円堂であり、大和法隆寺の夢殿に似せた造りである。これは、当寺の開基が聖徳太子であることに由来しているのであろう。

 前述の「聖徳殿」の本尊、聖徳太子像はこの「聖徳殿」の一部である「奥殿」の部分に祀られているものと思われる。

 「聖徳殿」の本尊である聖徳太子像は聖徳太子自身の作であれば、当然文化財の指定があって然るべきと考えられるが、何故かその指定がない。
講堂
 「仁王門」をくぐって正面に見える建物が「講堂」(左の写真)である。

 当寺の「講堂」は一般的に本堂とか金堂とか云われているものに相当しているようである。

 「講堂」に入ると直ぐに格子状の障壁(直下の写真)があり、通常、これより中に入れない。
講堂内
 この障壁は「聖徳殿」の障壁と形状は若干異なるが、目的は同じなのであろう。

 「講堂」内には本尊である釈迦如来坐像・薬師如来坐像・如意輪観音坐像が祀られているようである。

 本尊は秘仏になっており、毎年2月22日、23日の春会式にのみ開扉されるようである。

 本尊、「釈迦如来坐像・薬師如来坐像・如意輪観音坐像」は止利仏師が一刀三礼の作法で刻んだとされており、重要文化財に指定されている。
赤松氏供養塔
 「講堂」の東側に赤松政秀・赤松広英の供養塔(左の写真)がある。

 縁起の項にも述べたとおり、当寺は天文10年(1541年)の争乱により焼失したと伝えられているが、後に、赤松氏が当寺の再建に努力したとされている。

 御詠歌:かみつ代の聖の徳はいかるがの蓮(はちす)の花とかをるなりけり
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Yukiyoshi Morimoto