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新西国第三十番
七種山 金剛城寺
(なぐさざん こんごうじょうじ)
所在地及びアクセス:

 兵庫県神崎郡福崎町田口 
金剛城寺所在地図
 JR姫路駅から播但線の列車に乗車し福崎駅で下車する。駅から金剛城寺まではバス等の公共交通機関はなく、タクシーを利用するか又は徒歩によらねばならない(無料で運行されている町内巡回バス「サルビア号」があるが奇数日のみの運行であり、一日の運行便数は極めて少なく、事実上利用価値はない)。
 駅を出て、駅南側の踏切を渡り県道406号線を北西の方向に進む。道は広くアップダウンも殆どなく、交通量も多くないので歩きやすい。右手に高岡小学校を見てしばらく歩くと交差点があるが、広い道を直進する(交差点で左手の道に進まないこと)。この交差点で注意する以外に道程を誤ることはない。福崎駅から金剛城寺まで徒歩約50分。

宗派:高野山真言宗

本尊:十一面観世音菩薩

開基:恵灌法師

縁起:
朱印
 現在の寺の場所より約5キロ奥にある七種山に修行僧の滋岡川人が住んでおり、ここに高麗の僧、恵灌が訪ねたところ、川人に十一面観音像を刻んで安置せよと命ぜられたという。これが当寺の創建であり推古天皇5年(597年)と伝えられている。

 創建当時は寺は七種山にあり、滋岡寺と呼んでいたようである。その後、金剛城寺と改めたと云われているが、次いで作門寺と称しこの寺号が約四百年間続いたという。作門寺と呼ばれていた慶応年間に寺を現在の場所に移したようである。寺号を金剛城寺に戻したのは昭和3年(1928年)とのことである。

見所など:
寺遠望
 金剛城寺は県道406号線沿いの西側、一寸奥まった場所にある。周囲は山と田園地帯であり、その中で寺はかなり目立っているのでわかりやすい。

 左の写真は県道から見た「金剛城寺」であり、写真中央に見えるのが山門である。
寺号石碑
 県道から金剛城寺の方に少し進んだところ道路右手に「七種山金剛城寺と彫られた石碑」(左の写真)が建てられている。写真でもわかるように独特の形状の石碑であるが、風化されたためかそれとも単に汚れているためか、よくわからないが彫られた字が読みにくくなっている。

 写真中央やや左側奥に見える建物が寺の山門である。
山門(表側)
 県道から別れて金剛城寺への道を進むと短い石段があり、石段を上がると直ぐに「山門」(左の写真)がある。

 「山門」は規模が大きく荘厳で圧倒される。申しわけないが、こんな田舎の寺にこのような立派な山門があるとは想像していなかった。
山門(裏側)
 「山門」を境内内側から撮影したのが左の写真である。内側から見た「山門」は荘厳というよりも華麗と云った表現があてはまる。
「鐘を突いてください」の石碑
 山門をくぐると直ぐ右手に「鐘楼」があり、「鐘楼」の傍に左の写真のような「石柱」が建てられている。

 この「石柱」には『宝印される方は鐘つき堂の鐘を先についてから納経所においで下さい 当山』と彫られている。

 鐘をつかずに納経所に行って声をかけても誰も出てこない。朱印をいただきに来る人は殆ど居ないようで、お寺の人は別の所にいるらしく、鐘の音を聞いて納経所の方に出てこられるのである。つまり、鐘が玄関のチャイムの役割をしているのである。私が訪問したときは鐘をついても誰も出てこられなかった。二度ついたが無駄だった。やむを得ず、電話をかけ、かなり長い間呼び出し音を鳴らした結果、やっと寺の人を呼び出すことができた。何とものんびりした環境に囲まれた寺である。
本堂
 「山門」をくぐると正面に「本堂」(左の写真)が見える。「本堂」は九間四面の立派な建物であり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。内陣に入ると更に落ち着いた厳粛な気持ちになる。本尊は「本堂」内陣に祀られている。

 現存の「本堂」は明治45年(1912年)に建てられたといわれている。
本堂側面
 左の写真は「本堂」の南面を撮影したものである。この側面から見ると「本堂」は華麗な造りであるのがわかる。
御詠歌の額
 「本堂」正面の上部には新西国第三十番の御詠歌の書かれた「額」(左の写真)が掲げられている。額は風化をうけ木目が浮き上がっており、それだけに風格が感じられる。

 この「額」には『高野山門主隆心』の銘があるが、当寺の宗派は高野山真言宗であるのでその関係でこれが掲げられているのであろう。
阿弥陀堂
 「本堂」に向かって左側(南側)に建てられている堂が「阿弥陀堂」(左の写真)である。
護摩堂
 「本堂」の後、右手奥の高い場所に「護摩堂」(左の写真)が建てられている。「護摩堂」は山の斜面をくずして平らな場所を作り、その狭い場所に建てられているためか、一見して山の斜面にへばりついているように見える。
護摩堂から見た本堂
 左の写真は「護摩堂」の建っている場所から「本堂」を見たものである。この場所からは「本堂」の屋根が見えるだけであるが、その屋根は想像していたよりも壮大であり、「本堂」は立派な建物であることが再認識できる。
四国八十八ヶ所霊場本尊レプリカ
 「阿弥陀堂」の左側(南側)のやや離れた場所に左の写真に見られるような四国八十八ヶ所の本尊を小さく表し複製された石仏が並べられている。このように整然と並べられると壮観、見事であるがもう少し自然さがあってもよいのでは・・・。
石造地蔵菩薩像
 「本堂」前広場の南側隅に「石造地蔵菩薩像」(左の写真)が安置されている。

 地蔵菩薩像は写真でもわかる通り、高さ約1.2mの三角形状の石英粗面岩の中央付近に刻まれており、応永6年(1399年)の銘がある。福崎町内では最も古い在銘石仏とされ、福崎町文化財に指定されている。
石造地蔵菩薩像近写
 「地蔵菩薩像」を近写したのが左の写真である。かなり風化をうけており、地蔵像であることはわかるが、細かい部分は不明瞭になっている。

 金剛城寺には著名な文化財はないが、田園と山に囲まれ落ち着いた雰囲気でお参りのできる古刹であり、是非参拝しておきたい寺院である。

御詠歌:金剛のをしへの城のみめぐみのつゆ滋岡(しげおか)や七(なな)ぐさのさと

2005年11月12日新規収載
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Yukiyoshi Morimoto