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新西国第二十五番
三身山 太山寺
(さんしんざん たいさんじ)
太山寺所在地図所在地及びアクセス:

 神戸市西区伊川谷町前開

 JR神戸線、阪急神戸線、阪神本線の「三宮」駅から神戸市営地下鉄に乗り換え「伊川谷」駅下車。駅南側のバス停留所から神戸市営バス又は神姫バスの「名谷駅前」行き又は「太山寺」行きに乗車し「太山寺」で下車する。
 バス停の直ぐ傍に太山寺の仁王門があるので、それをくぐり、石畳の参道を道なりに約5分間歩くと太山寺中門の石段下に着く。
 「伊川谷駅前」発バス時刻は8:00〜18:00の間について下記の通り。()内は行き先とバス会社名を表す。(太)は「太山寺」行き、無記入は「名谷駅前」行き。(姫)は神姫バス、無記入は神戸市営バス。(2001年9月現在)
    平日・土曜日     日曜日・祝日
8 22(太姫)     52(姫) 52(姫)
9 37 42
10 47(姫) 47(姫)
11 32(太姫) 32(太姫)
12 02         47(姫) 02          47(姫)
13 32(太姫) 32(太姫)
14 02         47(姫) 02          47(姫)
15 42 47(太)
16 17(太)      42(太) 12          37(太)
17 02(姫)   17(太)  42  02(姫)  17(太)  57
 他のアクセスとして、神戸市営地下鉄「名谷」駅で下車し、「名谷駅前」から神戸市営バス又は神姫バス「明石駅前」行きに乗車し、「太山寺」で下車してもよいが、バスの運行頻度、乗車時間などからみて、上記の「伊川谷駅前」からバスを利用する方がよい。

宗派:天台宗

本尊:薬師如来、十一面観世音菩薩

開基:定恵和尚
朱印
縁起:

 太山寺は藤原鎌足の発願により、鎌足の子である定恵和尚が開基とされている。鎌足の孫の宇合が見た夢の中に薬師如来が現れ、定恵和尚が結縁した土地で和尚が願望を果たせず没したことを示現したという。宇合は薬師如来の教えに従い、霊亀2年(716年)に堂塔伽藍を建立したと伝えられている。

 元正天皇の勅願寺になってから、歴代の天皇から一般民衆まで広く信仰を集め、鎌倉時代には僧兵を養い、最盛期には塔頭41坊をもつ大寺院になったという。

 その後、戦火などにより興亡を繰り返してきたようで、現在は塔頭5坊を残すのみとなっている。

見所など:
仁王門
 バス停の直ぐ傍に古色蒼然といった感じの太山寺の「仁王門」が建てられている(左の写真)。

 この「仁王門」は他所にあったものを室町時代後期にここに移築されたものと考えられている。移築に際し、上層部を撤去し軒回りも縮小されたようで、これが昭和28年の解体修理の際に確認されたという。
仁王像
 「仁王門」の創建年代は明確ではないようであるが、組物などから鎌倉時代末期と推測されている。

 「仁王像」は菱欄間をつけた中に納められている(左の写真:向かって左側の仁王像)。

 なお、この
「仁王門」重要文化財に指定されている。

 「仁王門」をくぐると、中門前の石段下まで石畳の参道がついている。この参道途中に塔頭があるが、その他に一般の民家、酒屋、雑貨屋風の商店などがあり、一寸異質な感じがする。かつては、ここに多くの塔頭が建っていたのであろう。
中門から見た本堂
 石畳の参道の先の石段上に朱塗りの「中門」が建っており、中門を通して正面に本堂が見える(左の写真)。

 かつての「本堂」は鎌倉時代に創建されたといわれているが、弘安8年(1285年)の火災で焼失、その後、永仁年間(1293〜99年)に再建されたようである。
本堂
 「本堂」(左の写真)は昭和39年(1964年)に解体修理され、その際、瓦葺きであったものが銅板葺きに変えられ、朱も塗り直されたといわれており、そのためか一見新しい建物に見える。

 「本堂」の外観はかなり簡素な造りであるが、建物としては大きく寺の格式が高いことを表しているという。

 「本堂」内部(直下二枚の写真)は全て朱塗りで、柱は太く大きいものが使われている。本尊の薬師如来を安置している内陣と礼拝する外陣とは格子で仕切られており(直下左の写真)、密教寺院の本堂様式になっている。
本堂内部(1) 本堂内部(2)
 「本堂」国宝に指定されている。神戸市内で国宝に指定されている建造物は、この「本堂」だけである。
阿弥陀堂
 「本堂」前の石段を上がらずに左折すると「阿弥陀堂」の建っているのが見える(左の写真)。

 現存の「阿弥陀堂」は貞享5年(1688年)に再建されたものといわれており、宇治の平等院の阿弥陀如来坐像とほぼ同じ大きさの「阿弥陀如来坐像」が祀られている。

 この
「阿弥陀如来坐像」重要文化財に指定されている。
護摩堂
 「本堂」の左手(西側)やや奥まったところに「護摩堂」が建っている(左の写真)。

 現存の「護摩堂」は江戸時代中期、17世紀後半の建立と考えられている。

 写真でも分かるように、屋根は瓦葺き宝形造りになっている。
三重塔
 「中門」をくぐって直ぐ右に曲がると「三重塔」の建っているのが見える(左の写真)。

 この塔は一見して分かるが、各層の屋根の大きさがほぼ同じで、江戸時代中期の特徴をよく表しているという。建てられたのは貞享5年(1688年)と考えられており、昭和39年(1964年)に改装されたといわれている。

 塔の中には金剛界大日如来と四天王が祀られているようであるが拝観はできない。

 この
「三重塔」は大きさやまとまりの良さで近世の塔として貴重なものとされ兵庫県文化財に指定されている。

 その他、「護摩堂」の西側には「鐘楼」、「本堂」の右手奥には「羅漢堂」更に密接して奥側に「釈迦堂」、「本堂」の右手やや手前に「観音堂」などの堂宇が建てられている。
閼伽井橋
 「三重塔」の東側に伊川(太山寺川)が流れており、川上に向かって一寸進むと「閼伽井(あかい)橋」が架かっている(左の写真)。

 この橋を渡ると太山寺の「奥の院」になる。
奥の院は境内の中で最も寂しく、霊魂がさまよっていそうな感じのする場所である。
奥の院地蔵堂
 「奥の院」には「稲荷舎」と「地蔵堂」(左の写真)が建てられている。この付近は大小の岩石がゴロゴロしており歩きにくい。

 「地蔵堂」は白壁の新しい感じのする小さな堂であり、
寂しい「奥の院」には不似合いであるが、このアンバランスさがかえって、不気味さを醸し出している。

 太山寺バス停からバスの通る道を約300m東北の方向に進むと、右側に分岐した道があるので、それを道なりに進む。バス停から徒歩約15分で道路左手に『磨崖不動明王』と書かれた標識が立てられている。その位置から伊川(太山寺川)の対岸の岸壁に彫られた「磨崖仏」を見ることが出来る。
磨崖仏 説明板の磨崖仏
 左の二枚の写真の内、左側の写真が現状の「磨崖仏」である。かなり風化が進んでおり、よく見なければわからないような状態になっている。

 右側の写真は現地の説明板の写真であり、かつてはこの程度の鮮明さで見えていたのであろう。

 「不動明王」の像高は1.75mといわれており、ほぼ等身大に彫られている。鎌倉時代の作と推測されているようであるが、確かなことはわからないらしい。

 この像の数m下の川は淵になっており、かつて、ここは行場としていたため、ここに不動明王を刻んだものと考えられている。

 この
「磨崖不動明王」神戸市文化財に指定されている。

御詠歌:祈りなば三つの世やすし三身山(みつみやま)浮世のほかの月の照らして
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Yukiyoshi Morimoto