ホーム > 新西国三十三ヶ所一覧 > 天上寺 サイトマップ

新西国第二十二番
摩耶山 天上寺
(まやさん てんじょうじ)
天上寺所在地図 所在地及びアクセス:

 神戸市灘区摩耶山町

 JR東海道線(JR神戸線)「六甲道」駅下車。駅前のバス乗り場から神戸市営バス[18]系統「摩耶ケーブル下経由三宮」行きに乗車し、「摩耶ケーブル下」で下車する。このバスは阪急神戸線「六甲」駅を経由するので、阪急電鉄を利用し、「阪急六甲」バス停から乗車してもよい。
 バス停「摩耶ケーブル下」の傍、石段を上がったところに摩耶ケーブルの「摩耶ケーブル」駅がある。ケーブルに約5分間乗ると終点「虹の駅」に着く。坂道を一寸上がると摩耶ロープウエー「虹の駅」があり、ここからロープウエーに乗ると約5分間で「星の駅」に着く。
 「星の駅」から緩い坂を一寸下るとバス停「摩耶ロープウエイ山上駅」があり、ここからバスを利用してもよいが、バスの運行頻度が少ないこと、バスの運行は夏季以外は休日のみであること、天上寺まで近いこと等から、徒歩が現実的である。広い道路を北〜北西の方向に道なりに進むと、徒歩約10分で右手に「天上寺」の門が見える。
 「六甲道」駅から[18]系統バスの運行頻度は、9〜17時の間について、平日:10,12,13,16時台は1時間に1便、それ以外の時間帯は1時間に2便。土日祝日:13時台は1時間に1便、9,12時台は1時間に2便、その他の時間帯は1時間に3便(2001年8月現在)。
 摩耶ケーブルの始発は9:20で、通常20分毎の運転、摩耶ロープウエーの始発は9:30で、通常20分毎の運転。但し、ケーブル、ロープウエー共に夏季を除き毎月第1・3火曜日、及び1月下旬〜2月上旬は運休する(2001年8月現在)。
 上記の他に、JR「六甲道」駅から神戸市営バス[16]系統で「六甲ケーブル下」まで乗車し、六甲ケーブルで「六甲ケーブル山上駅」まで上がり、次いでバスで「摩耶山天上寺前」まで乗車する方法もある。[16]系統のバス便数は非常に多いが、「六甲ケーブル山上駅」から「摩耶山天上寺前」までのバス便は夏季以外は極めて不便であり、バス乗車時間も1時間半程度になるため、このルートは避けたい。

宗派:
高野山真言宗

本尊:十一面観世音菩薩、仏母摩耶夫人尊

開基:法道仙人
朱印
縁起:

 この寺は孝徳天皇の勅願により、大化2年(646年)にインドから渡来したと伝えられている伝説的な僧、法道仙人によって開創されたといわれている。
 最も栄えた頃は三千の僧を擁する摂津地方第一の大寺だったとわれ、宗派を越え皇族、武将なども含め、広く信仰されてきたという。また、花山天皇、正親町天皇の御願所でもあったとされている。
 かつて、天上寺は摩耶山の九合目のあたりにあったようであるが、昭和51年(1976年)に賽銭泥棒の失火で七堂伽藍が全焼したため、その後現在地、摩耶山頂に再建したとされている。
 本寺には女人守護の摩耶夫人尊が祀られていることから、女人守護の本山・女人高野といわれ、特に女性の信仰を集め、安産腹帯発祥の霊場として知られているようである。

見所など:
境内入り口
 天上寺境内への入口には通常見られるような山門がなく、左の写真にあるように二本の門柱が建っているだけである。これが山門の役割を持っているのであろう。

 写真左端に見える石碑には『孝徳天皇勅願寺』の文字が彫られている。また、右端に見えている木は千年杉と呼ばれている杉の巨木である。
金堂
 石段を上がり山頂に着くと、いくつかの建物が見えるが、最も大きな建物である「金堂」が目をひく(左の写真)。

 縁起の項にも記載したとおり、昭和51年(1976年)に伽藍全てが全焼したため、その後再建に努め、現在の「金堂」は昭和60年(1985年)に完成したものである。

 直下の写真は「金堂」正面であるが、この奥に二体の本尊の他、多くの仏像が祀られている。
金堂正面近景
 天上寺の縁起によれば、本尊の「十一面観世音菩薩像」はお釈迦様が42歳の時に自ら造ったいわれる一寸八分(約6cm)の仏像で、法道仙人が持参してきたものとされている。

 この「十一面観世音菩薩像」は秘仏であり、通常は拝観できない。開帳は三十三年毎に行われるという。

 この本尊の由来が寺の縁起の通りであるとすれば、立派な由緒のあるものということになるが、文化財の指定がない。ただ、法道仙人自体が伝説的であるし、まして、今から2500年も前のお釈迦様が造ったものが現在、無事に存在しているということになると随分怪しい感じがする。
寺名額
 後に、弘法大師が唐に渡ったとき、女人守護の仏として崇拝されていた梁の武帝作の摩耶夫人尊を持ち帰り、当寺に祀ったという。

 摩耶夫人はお釈迦様の生母であり、仏教の聖母とされている。以来、当山を『佛母摩耶山』、寺名を『とう利天上寺』と号するようになったといわれている(左の写真)。

 この元来の山号寺号を書いた額は「金堂」の正面上に掲げられている。

 もう一つの本尊、「仏母摩耶夫人尊像」は極彩色等身大の仏像であり、「金堂」内に祀られているが、
一見したところかなり新しいものに見えるし、文化財の指定もない。はたして、これが弘法大師が中国から持ち帰ったものであろうか、という疑問を持つのは不遜だろうか。
法道仙人像
 「金堂」の左側(西側)に、当寺の開基である「法道仙人の石像」が建てられている(左の写真)。

 法道仙人は伝説的な僧であり、インドから中国経由で雲に乗って日本に渡ってきたとされている。一説によれば、インドから仏舎利と宝鉢だけを持って渡来したとされているが、天上寺の縁起に従えばお釈迦様の造った十一面観世音菩薩像も持ってきたことになる。

 法道仙人はとんでもない神通力を持っていたらしく、食べ物がほしくなったときは、宝鉢を飛ばせば食べ物がそれに乗って戻ってきたという。

 やたらと誇張された話になっているが、法道仙人はかなりの高僧だったのだろう。
仏足石
 「金堂」の正面右寄りの場所に「仏足石」が置かれている(左の写真)。

 「仏足石」はお釈迦様(仏陀)の足の裏の形を石に彫ったもので、仏陀がそこに立っている標幟とされており、これを礼拝すれば生身の仏陀を拝むのに等しいといわれている。

 この「仏足石」は元治元年(1864年)の作とされ、形の良さで全国の仏足石の中で屈指の名品の一つであるという。

 仏足石は多くの寺に置かれているが、これが全て非常に大きいのである。仏足石が仏陀の足の等倍の大きさに造られているとすれば、お釈迦様の足は異常に大きかったとなるが、仏足石は誇張されて造られているのではなかろうか。これに対する的確な解答を見たことがない。
小石仏群
 一般に寺院には小さい石仏が多く置かれているが、この天上寺には特に多いようで、境内至る所に赤い前掛けをかけた石仏を見ることが出来る。

 左の写真は「金堂」に近接してその右側にずらりと並べられた見事な「小石仏群」である。
蕪村句碑 句
 天上寺は昔から俳人に親しまれてきたようで、蕪村とその一門の俳人をはじめ、多くの俳人がしばしば訪れてきたといわれている。

 また、摩耶詣(摩耶参)
(まやもうで)が俳句の季題に選ばれたことから、摩耶山が俳句の山として有名になったようである。

 天上寺の境内には幾つかの句碑が建てられており、左の写真はその内の一つで、蕪村の『菜の花や月は東に日は西に』の句が彫られている。これは蕪村の代表的な句の一つであるが、彼が摩耶詣での帰り道に摩耶山の中腹あたりで詠んだ句といわれている。

 現在(2001年8月)、天上寺では摩耶夫人堂を建設(計画)中である。摩耶夫人堂は昭和51年の火災以前には天上寺にあったが、火災後、再建されず現在に至っている。堂が出来れば、ここに仏母摩耶夫人尊が祀られることになるという。

御詠歌:ちぬの海わたるもも船あけくれにあふぐや摩耶の法(のり)の燈火(ともしび)
新西国三十三ヶ所一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto