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新西国第十九番
鞍馬山 鞍馬寺
(くらまさん くらまでら)
所在地及びアクセス:
鞍馬寺所在地図
 京都市左京区鞍馬本町

 京阪電車「出町柳」駅下車、叡山電鉄に乗り換える。叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬線「鞍馬」行きに乗車し、終点の「鞍馬」駅で下車する。駅を出て土産物屋が軒を連ねる広い通りを北の方向へ数分間進むと左手に鞍馬寺の仁王門が見える。
 仁王門をくぐってしばらく行くとケーブルの山門駅があり、ここからケーブルで多宝塔駅まで上がることができるが、できればケーブルを利用せず、鞍馬寺まで歩いて上るべきであろう。
 仁王門から鞍馬寺本殿金堂まで徒歩約35分。

 なお、貴船神社と地理的に近接していることから、鞍馬寺に参拝の後、山道を通り貴船神社に参拝する人も多く、また、逆に貴船神社から鞍馬寺に廻る人もいる。

宗派:鞍馬弘教総本山

本尊(尊天):千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊

開基:鑑禎上人

縁起:
朱印
 鑑真(がんじん)和上の高弟である鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始であると伝えられている。

 その後、延暦15年(796年)に造東寺長官の藤原伊勢人が貴布禰明神のお告げにより、王城鎮護の道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされている。

 寛平年間(889〜898年)には峯延が入寺して真言宗の寺になったが、天永年間(1110〜1113年)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復したといわれている。更に、昭和22年(1947年)には鞍馬弘教が立教され、当寺が総本山となり、現在に至っている。

 なお、鞍馬寺は牛若丸(義経の幼名)がここで兵法修行したと伝えられていることでも著名であり、牛若丸(義経)縁の遺跡も多く見られる。

見所など:
仁王門
 「仁王門」は寿永年間(1182〜1184年)に建立されたものと伝えられているが、現存の「仁王門」(左の写真)は明治44年(1911年)に再建、昭和35年(1960年)に移築修理されたものといわれている。ただ、左側の扉一枚は寿永年間の頃のものとされているようである。

 「仁王門」に安置されている仁王像は湛慶の作と伝えられており、明治の再建時に丹波からここに移されたという。

 一般的に「仁王門」は俗界から浄域への結界とされている。
由岐神社拝殿
 「仁王門」をくぐり。坂道を上がると約10分で「由岐神社」(左の写真は由岐神社拝殿)に着く。

 この神社は」鞍馬寺の仁王門の内側にあるので、鞍馬寺の一部のように見えるが、天慶3年(940年)に平安京の北方の鎮めとして創建されたといわれ、祭神は大己貴命と少彦名命である。

 毎年10月22日に行われる有名な『鞍馬の火祭』はこの神社の例祭である。

 由岐神社の「拝殿」(直上の写真)は重要文化財に指定されている。
義経供養塔
 由岐神社の境内から少し進むと道の左手上方に「義経公供養塔」(左の写真)が見える。

 ここは「東光坊跡」とも呼ばれ、牛若丸が7歳から約10年間住んでいた場所といわれている。

 牛若丸はここから、奥の院(後述)まで毎夜兵法の修行に通っていた伝えられている。

 江戸時代には、かえりみられなくなり廃墟のようになっていたというが、昭和15年(1940年)に整備されこの供養塔が建てられたようである。
中門
 「義経供養塔」の下から更に坂を上ると、約5分間で「中門」(左の写真)に着く。

 「中門」はもとは「仁王門」の脇にあったもので、勅使が通った門といわれている。

 「中門」から「本殿金堂」前広場の石段下まで九十九
(つづら)折りの参道が続く。清少納言が枕草子の中で、この九十九折りの道のことを書いている。

 九十九折り参道が終わると石段があるが、石段中ほど左手に「寝殿」、右手に「転法輪堂」が建っている。石段を上がると「本殿金堂」前の広場に出る。
本殿金堂(1)
 左の写真は「本殿金堂」の正面であり、直下の写真は南西側から見たものである。

 鞍馬寺では通常寺院で使用されている本堂、金堂の用語を用いず、本堂に該当する建物を、神社と寺院を混合したような言葉である「本殿金堂」と呼んでいるようである。
本殿金堂(2)
 「本殿金堂」に祀られている「本尊」は「尊天」といわれている。「尊天」は、月輪の精霊であり慈愛の象徴である「千手観世音菩薩」、太陽の精霊であり光の象徴である「毘沙門天王」、大地の霊王であり活力の象徴である「護法魔王尊」の三身を一体としたものである。

 尊天は森羅万象あらゆるものの根源、宇宙エネルギーであり、真理そのものであるという。

 「本殿金堂」という呼び名、それに本尊「尊天」など、鞍馬寺は仏・寺院と神・神社の両雰囲気を併せ持っているように感じられる。
閼伽井護法善神社
 「本殿金堂」の右側に密接して「閼伽井護法善神社」(左の写真)がある。

 寛平年間(889〜897年)のこと、修行中の峯延上人を襲った雄の大蛇は倒されたが、雌の大蛇は魔王尊に供える水を永遠に絶やさないことを条件に命を助けられ、2匹の大蛇は閼伽井護法善神としてここに祀られたといわれている。

 6月20日に行われる有名な『鞍馬山竹伐り会式』は破邪顕正の精神と、この水神への感謝を表す古式であるという。
翔雲台
 「本殿金堂」の前、広場の南端に「翔雲台」(左の写真)がある。

 ここは平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされている。

 中央にある板石は本殿金堂の後方より出土した経塚の蓋石である。

 本殿金堂の後方から出土した経塚には平安時代から伝えられた200余点の遺物が納められており、これらは「鞍馬寺経塚遺物」として国宝に指定されている。

 「本殿金堂」の左手から石段を一寸上がった場所「霊宝館」が建てられており、ここには
国宝に指定されている「毘沙門天立像」をはじめ、「鞍馬寺経塚遺物」の一つである「銅宝塔」など、数多くの文化財が保管展示されている。月曜日以外は開館しているので是非見学しておきたい。
冬柏亭
 「霊宝館」の前に「冬柏亭」(左の写真)が建てられている。

 「冬柏亭」は昭和5年に建てられ、かつて東京荻窪にあった与謝野晶子の書斎であった。晶子の没後、昭和18年に門下生である岩野氏宅に移されたが、岩野氏と先代の信楽香雲管長とは同門の縁があったことから、昭和51年に岩野氏の好意により、ここに移築されたという。
息つぎの水
 「冬柏亭」の右側に「奥の院」に向かう石段がある。「冬柏亭」横から約3分間歩くと道の右手に「息つぎの水」(左の写真)と名付けられた場所がある。

 牛若丸が彼の住居である東光坊(既述)から奥の院へ毎夜剣術修行に通っていたとき、喉の乾きを潤したと伝えられている泉である。

 その真偽は別として、現在では、きれいな水がこんこんと湧き出ているようには見えない。
義経背比べ石
 「息つぎの水」から山道を道なりに10分弱歩くと「源義経公背比石」(左の写真)と彫られた石碑のある場所に着く。

 写真でははっきり見えないが、柵の中に石が置かれている。この石は牛若丸が16歳の時、藤原氏を頼って奥州に旅立つに際し背比べをしたと伝えられている石で、牛若丸の背はこの石と同じ高さだったという。

 この石の高さは決して高くはないので、牛若丸は案外小柄だったということになる。
僧正ガ谷不動堂
 「背比べ石」から歩いて5分ほどの場所に「僧正ガ谷不動堂」(左の写真)がある。

 堂内に安置されている「不動明王」は最澄(伝教大師)が刻んだものと伝えられているようである。

 また、牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだのもこの辺りであるという。
木の根道
 この付近の参道に「木の根道」(左の写真)と呼ばれている場所がある。

 この辺りは岩盤が地表近くまで迫っているので木の根が地中深く入り込むことが出来ず、従って根が地表に露出した状態になるといわれている。

 かつては、木の根道がかなりの距離にわたっていたが、最近は参道が整備されて石段がつけられ、木の根道が少なくなってきた。
奥の院魔王殿拝殿
 「僧正ガ谷不動堂」から約12分歩くと「奥の院魔王殿」に着く。

 左の写真は「奥の院魔王殿」の「拝殿」である。ここから奥の「本殿」を礼拝する。

 本殿の周りは柵に囲まれており、通常、「拝殿」より奥に立ち入ることはできない。
奥の院魔王殿本殿
 「拝殿」の奥に柵に囲まれた「奥の院魔王殿」の「本殿」(左の写真)がある。

 650万年前、金星より地球の霊王として天下り、地上の創造と破壊を司る「護法魔王尊」がここに奉安されているという。

 柵内は石灰岩が重なっている磐座で、日本庭園の源流といわれている。
西門
 「奥の院魔王殿」の前から下り坂の山道を約15分歩いて下りると「西門」(左の写真)に着く。

 ここから貴船神社は近いので、奥の院から鞍馬寺の方へ引き返す人は少なく、この「西門」をぬけて貴船神社に参拝する人が多い。

 また、逆に貴船神社に参拝した後、この「西門」から入り、「奥の院」を通り「鞍馬寺」に参拝するコースもあるが、こちらのコースを選ぶ人は少ないようである。

御詠歌:くらまやまむらだつ杉の木(こ)の間よりもるるや法(のり)のあかき燈灯(ともしび)
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Yukiyoshi Morimoto