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新西国第十五番
新京極 誓願寺
(しんきょうごく せいがんじ)
誓願寺所在地図 所在地及びアクセス:

 京都市中京区新京極三条下ル桜之町

 JR「京都」駅から京都地下鉄烏丸線に乗車し、「烏丸御池」駅で京都地下鉄東西線「醍醐」行きに乗り換え、「京都市役所前」駅で下車、寺町通を南の方に向かい三条通から新京極通に入り南の方に進むと左手に誓願寺の山門が見える。駅から徒歩約5分。
 京阪「三条」駅下車、三条通を西の方向に約500m進み、新京極通を南の方に進むと左手に誓願寺の山門が見える。駅から徒歩約10分。
 阪急京都線「河原町」駅下車、四条通を西の方向に約100m進み、新京極通を北の方向に約500m進むと右手に誓願寺の山門が見える。駅から徒歩約10分強。


宗派:浄土宗西山深草派総本山
朱印
本尊:阿弥陀如来、聖観世音菩薩

開基:天智天皇勅願

縁起:

 誓願寺は今から約千三百年の昔、天智天皇の勅願により奈良に恵陰が開創したと伝えられており、後に、平安遷都に際し伏見深草に移されたといわれている。寺は10回も火災に遭っているといわれ、また、移転は再々行われているようで、現在の地に落ち着いたのは天正13年(1585年)という。
 当時は広大な寺地を有し、七堂伽藍が建ち並び、塔頭17(18ともいわれている)ヶ寺を所有する大寺だったとされているが、現在の寺の様子からはそれらを想像することすらできない。
山門遠望
見所など:

 誓願寺は新京極の繁華街の中にある。左の写真は誓願寺の「山門」の遠望で、写真中央に見えるのが「山門」である。

 誓願寺には西門と東門の二つの門があり、写真は「西門」である。西門は繁華街に面しており、その前は一寸した広場になっており、多数の若者がたむろしている。

 二つの門の内、西門が繁華街に面しているが、東門は比較的人通りの少ない道路に面している。
山門と本堂
 「西門」(左の写真)は寺の表門にあたる所謂「山門」になっているようであるが、通常の寺院で見られるような山門とは若干趣が異なっている。ただ、この寺のように繁華街に建てられているような場合は、このような形態の門になるのが当然かもしれない。

 「山門」の奥には階段が見えるが、この階段を上がると「本堂」である。写真で山門の奥に三角形に写っている屋根は本堂の屋根である。
本堂近影
 左の写真は「本堂」の入口部分である。

 現存の「本堂」は昭和39年(1964年)に建造されたものといわれており、見た目にも新しい。造りも普通に見られる寺院の本堂とは異なっており、鉄筋コンクリート造りで、かなりモダンな感じがする。

 本堂内部は広大で明るい。
普通見られる大きな寺院の本堂は薄暗いものと相場が決まっているので何となく違和感がある。ここは内部が明るいせいか仏具装飾などの金ピカがやたらと目につくので、これが違和感につながっているのであろうか。
本尊阿弥陀如来
 本堂内正面には本尊の「阿弥陀如来」が祀られている(左の写真)。かなり大きな坐像である。聖観世音菩薩像もこの本堂に安置されているというが、直接の拝観はできなかった。

 当初の本尊阿弥陀如来の胎内には五臓六腑があったという言い伝えがあるとされているが、これは元治(1864〜65年)の大火で焼失したようなので、現在の本尊はそれ以降に祀られたものであろう。
扇塚
 山門を入って直ぐ右手に一寸奇妙な形の「扇塚」が建てられているのが見える(左の写真)。

 誓願寺の五十五世住職策伝日快上人が所司代板倉重宗の求めに応じて『醒酔笑(せいすいしょう)』を著したといわれており、これが落語を書いた本の先駆として高く評価されているようである。

 これに因み、策伝日快上人にゆかりの深い扇の塚が建てられたとされ、芸道に励む人は日常使っていた自分の扇をこの塚に納め芸道精進を祈願するようである。山門前には「芸道上達祈願扇塚誓願寺」と書かれた石碑が建てられている。

 また、本堂の傍らには芸道上達の願いが書かれた扇子が奉納されており、それを見ることができる(直下の写真はその内の一つ)。
祈願扇
 このように、誓願寺は芸道上達祈願の寺としてもよく知られているようで、関西は言うに及ばず関東からも祈願に訪れているようである。

 また、この寺で枕草子の作者である清少納言が髪を落として尼さんになり、仏門に入ったことでも知られている。

御詠歌:人波におされながらも誓願寺心にふかく頼みきにけり
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Yukiyoshi Morimoto