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新西国第十一番
二上山 當麻寺
(にじょうざん たいまでら)
當麻寺所在地図 所在地及びアクセス:

 奈良県葛城市當麻

 近鉄南大阪線「當麻寺」駅下車(特急、急行は停車しない)。駅南側の道路を西の方向に道なりに進む。駅から當麻寺仁王門まで徒歩約15分。


宗派:高野山真言宗・浄土宗

本尊:蓮糸大曼荼羅

開基:役小角(えんのおづぬ)
朱印
縁起:

 當麻寺の創始は用明天皇の皇子、麻呂子王が推古天皇20年(612年)に河内の国に建てた万宝蔵院禅林寺であるとされている。その後、白鳳11年(681年)に(他に朱鳥6年(692年)という説もあるらしい)麻呂子王の孫、當麻真人国見の手により現在の地に移され、當麻氏の氏寺としたと伝えられている。

 當麻寺は当初、三論宗の寺院であったとされているが、弘法大師が参籠してから真言宗に変わり、鎌倉時代になって浄土信仰の流行とともに、浄土宗が加わり、それ以降現在まで真言宗と浄土宗の両宗に属する珍しい形をとっている。

 治承4年(1180年)には平氏によって創建時の建物の多くは焼失破壊されたようであるが、鎌倉時代に再建され、當麻氏の衰退後は庶民の阿弥陀信仰に支えられて寺は栄えたとされている。
仁王門
見所など:

 當麻寺境内の最も東側に位置しているのが「仁王門」(「東門」とも呼ばれている)であり(左の写真)、近鉄當麻駅から徒歩できた場合、この門から寺の境内に入ることになる。

 「仁王門」は18世紀中頃の建造といわれ、風格のあるかなり大きな建物である。

 「仁王門」をくぐり、西の方向に進むと「金堂」が見える(直下の写真)。「金堂」の北側には「講堂」が建てられている。いずれも南側が正面になっている。
金堂
 「金堂」、「講堂」共に重要文化財に指定されている。

 「金堂」、「講堂」には重要文化財に指定されている何体かの仏像が安置されているが、中でも「金堂」に安置されている
国宝「弥勒仏坐像」が有名である。この「弥勒仏坐像」は當麻寺がこの地に創建された白鳳11年(681年)と同時期に造像されたと考えられており、日本最古の塑像の一つとされている。

 「金堂」、「講堂」共に内部が公開されている時期には是非拝観しておきたい。
本堂
 「金堂」と「講堂」の間を西に進み短い石段を上ると「本堂(曼荼羅堂)」(左の写真)に着く。

 現存の
「本堂」は永暦2年(1161年)の建造といわれており、国宝に指定されている。現在までに当然何回かの修理が行われているが、最近では昭和32年(1957年)から35年間もの長時間をかけて解体修理が行われたようである。
中将姫像
 本尊は仏像ではなく、「蓮糸大曼荼羅」(正式名は「綴織阿弥陀浄土変相図」又は「綴織當麻曼荼羅図」であり、俗に「當麻曼荼羅」とも呼ばれている)であり珍しい。 この「蓮糸大曼荼羅」は「中将姫」によって織られたものという言い伝えがある。

 「中将姫」(左の写真は境内に立てられている中将姫の像)は奈良時代の右大臣、藤原豊成の娘で、本人の願いで當麻寺に入り称讃浄土経一千巻を写経し、17歳で中将法如として仏門に入ったとされている。姫は蓮糸を集め井戸に浸し、五色に染まった蓮糸を使い、一夜で一丈五尺(約4m四方)の「蓮糸曼荼羅」を織り上げたという。姫が29歳の時、阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土に向かったと伝えられている。これに因み毎年5月14日には練供養が行われているようである。

 姫の織ったと伝えられている
「綴織當麻曼荼羅図」は7世紀後半〜8世紀に織られたものと考えられており、国宝に指定されている。ただ、原本は破損が激しいため、別に保存されているようである。
金堂前石灯籠
 現在、「本堂」の正面厨子内に納められているのは文亀2年(1502年)に模写された「文亀本當麻曼荼羅」といわれている。模写されたものといっても原本とはかなり図相が違っているらしい。この「文亀本當麻曼荼羅」重要文化財に指定されている。

 「金堂」の前(南側)には木の柵で囲われた「石灯籠」が立てられている(左の写真)。

 この「石灯籠」は白鳳時代に松香石で造られたものといわれており、日本最古の石灯籠とされ、重要文化財に指定されている。

 灯籠の頂部が、比較的単純な傘形の形状をしているのが特徴と思われる。

 當麻寺には「東塔」、「西塔」の二つの三重塔が建てられており、古代の東塔と西塔が共に現存しているのは唯一、當麻寺だけであり貴重な存在とされている。

 「東塔」(直下左側の写真)は「金堂」の前を南の方向に進み念仏院に上がる石段の手前を左折した場所、丘陵の斜面に建てられている。

 「東塔」は奈良時代末8世紀の建立と考えられており、以来何回かの修理が行われ、その都度、かなりの部分が当初と比べ変更されているらしいが、建設には奈良時代の最新の技術が用いられているという。
東塔 西塔
 「西塔」(直上右側の写真)は「本堂」の南側に、「東塔」と同じように丘陵の斜面に建てられており、それだけに敷地は狭く窮屈な感じがする。

 「西塔」は「東塔」より遅れ、平安時代初期8世紀後半の建立と考えられており、塔の建立には複雑な事情があったようで、完成にかなりの長年月を要したのではないかといわれている。「西塔」も修理の度に改造されているらしい。


 「東塔」、「西塔」共に国宝に指定されている。
奥の院本堂
 當麻寺「本堂」の裏手を西の方に進むと「奥の院」がある。左の写真は「奥の院」の「本堂(御影堂)」である。

 「奥の院」は當麻寺の塔頭であるが、当初は當麻寺の寺院ではなかったようである。「奥の院」は応安3年(1370年)に京都の知恩院から法然上人坐像を移して本尊とし、知恩院の奥の院として建立されたといわれている浄土宗の寺である。

 現存の
「奥の院本堂」は慶長9年(1604年)に建てられたものといわれ、重要文化財に指定されている。 
浄土庭園
 「奥の院本堂」の西側に「浄土庭園」が拡がっている(直上の写真)。写真でははっきりわからないが、庭園には十三重石塔、阿弥陀如来像、仏の像を写す極楽の池とされている宝池を配し浄土の地を表しているという。

御詠歌:極楽をいずくととはば大和なるまるこのさとにゆきとたずねよ
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Yukiyoshi Morimoto