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新西国第五番
天音山 道成寺
(てんのんざん どうじょうじ)


所在地及びアクセス:

 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738

 JR紀勢本線(きのくに線)「道成寺」駅下車。駅を出て直ぐの道路を西の方向(左折)に数十メートル進み、突き当たりの道路を北の方向(右折)に進むと正面に道成寺の石段と仁王門の一部が見える。駅から道成寺石段下まで徒歩5〜6分。
 「道成寺」駅の一つ和歌山寄りの「御坊」駅には特急が停車するが「道成寺」駅には特急は停車しない。「道成寺」駅に停車する各駅停車の電車の運行頻度は少ないので時刻をあらかじめ確認しておく方がよい。

宗派:
天台宗

本尊:千手観世音菩薩

開基:文武天皇勅願、義淵僧正

縁起:
道成寺朱印
 当寺は大仏殿を造った聖武天皇の生母であり文武天皇の夫人である宮子姫の願いで、文武天皇の勅願により大宝元年(701年)に開創されたといわれている。

 建立は紀大臣道成によって行われたため道成寺と名付けられたと伝えられている。また、千手観音は義淵僧正によって造られたといわれているようで、そのことから開山は義淵僧正とされている。

 道成寺は創建以来8世紀後期まで大いに栄え大伽藍を備えた大寺院となったようである。その後いったん衰退したが、10世紀には再び繁栄し、現在に残る諸仏を配置して寺観を新たにしたとされている。

道成寺境内諸堂配置:
境内諸堂配置図
 念仏堂の東側の道を北の方向へ進み、上り坂道を上がると徒歩約5分で「奥の院」に着く。

道成寺と安珍清姫伝説:


 清姫に思いをかけられた熊野詣での修行僧安珍が、清姫から逃れるために道成寺の鐘の中に身を隠したが、日高川を渡るために蛇に化身した清姫がその鐘に巻き付き鐘もろとも安珍を焼き殺してしまった。延長6年(928年)のことと伝えられている。道成寺はこの有名な安珍清姫伝説で著名になったと言っても過言ではないであろう。

見所など:
仁王門遠望
 左の写真に見られるように、道成寺仁王門前の正面石段(段数は62段)下の参道には何軒かの土産物屋や食堂が軒を連ね、一寸した門前町を形成している。
仁王門
 左の写真は「仁王門」である。現存の「仁王門」は元禄7年(1694年)に再建されたものといわれており、昭和38年(1963年)には解体修理されている。

 「仁王門」は重要文化財に指定されている。
石段と土手の造り
 正面石段は上りやすく降りやすいといわれている。これは石段の両脇に作られている土手の作り方にある。左の図は石段とその両脇にある土手の関係を表したもので、石段下から見て左右の土手が逆八の字形に開いている。これは遠近法を逆に利用したもので、石段の上り降りを気分的に楽に感じるようにしている。

 「仁王門」をくぐると正面に「本堂」が見え、正面やや右手に「三重塔」が見える。「三重塔」の南側、「仁王門」の右側(東側)に「二代目鐘楼跡」がある。
鐘楼跡
 左の写真は「二代目鐘楼跡」である。初代の釣鐘・鐘楼は安珍と清姫の事件で焼けてしまったと伝えられている。

 それから約400年後の正平14年(1359年)に二代目の釣鐘が作られ鐘楼を再興しようとしたが、供養に際し清姫の怨霊が現れ法会を妨害したという。

 二代目の釣鐘は戦国時代、秀吉の紀州攻めの時に没収されて、現在、京都の妙満寺にある。
閻魔の廳
 「二代目鐘楼跡」の南東側に、正面に「閻魔の廳」の表示のある「えんま堂」が建てられており、中には何体かの閻魔像が安置されている。

 この「えんま堂」は宝永4年(1707年)に建立された建物で、見るからに古く、何となく不気味な雰囲気を醸し出している。
三重塔
 「二代目鐘楼跡」の直ぐ北側、本堂から見て東南側に「三重塔」が建てられている。現存の「三重塔」は創建時の塔跡に、宝暦13年(1763年)に再建されたものといわれている。総桧造りでその高さは約20mである。

 この「三重塔」の大黒柱に使う良材が近くに見つからず、隣町の妙見神社にあった桧の木を切って心柱に使ったといわれている。「三重塔」の軒先を支える垂木は一層と二層では普通の平行垂木になっているが、三層だけが何故か扇垂木になっている。塔を建てた棟梁は完成後に、全部を扇垂木にしたら良かった、と後悔して三階から飛び降り自殺したという言い伝えが残っているが、そんな事実はなく、おそらく飲み過ぎで命を落としたというのが真実らしい。

 内部には三重塔の本尊、大日如来が安置されているようである。

 この「三重塔」は県の文化財に指定されている。
安珍塚と鐘巻の跡
 「三重塔」の西側に「安珍塚」、それに隣接して南側に「鐘巻の跡」がある(左の写真)。
安珍塚
 左の写真に見られるように「安珍塚」には安珍塚と彫られた石碑とその傍に塚のしるしとされている「榁(むろ)の木」が植えられている。「榁の木」は立ち枯れた大きな木の幹で、その横には生木がでている。初代の榁の木は約600年間生きた後枯れ、二代目は約400年間生きた後枯れたという。枯れた木の横からでている生木は三代目の榁の木であろうか。

 榁の木は枯れて「蛇榁」といわれているようで、ここには安珍と安珍が隠れ焼かれた鐘が埋められていると伝えられている。
鐘巻の跡
 「安珍塚」の直ぐ南側に「鐘巻の跡」と書かれた石碑が建てられている(左の写真)。

 『鐘巻』というのは能『道成寺』の原曲にあたるといわれているが、鐘巻という言葉は安珍が隠れた鐘を蛇に化身した清姫が巻いて焼き殺したという説話に基づいていると推測される。

 安珍が焼き殺されたのがこの場所であるとされているのであろう。
本堂(1)
 「仁王門」をくぐると北側に「本堂」が見える(左の写真は本堂正面)。

 大宝元年(701年)頃に創建された講堂を本堂として約650年間使われていたようであるが、承平12年(1357年)に本堂が建立されたといわれているが、現存の建物は天授4年(1378年)に再建されたものとの説もある。その後、老朽化が進んだため、昭和63年から平成3年にかけて解体修理が行われている。
本堂(2)
 左の写真は「本堂」を南西側から見たものである。

 「本堂」は重要文化財に指定されている。
本堂内の本尊お前立ち
 左の写真は「本堂」正面中央に祀られている千手観音像であるが、これは本尊ではなく、お前立ちの仏像である。本尊の「千手観世音菩薩」は秘仏であり、この奥に祀られている。

 本尊は33年毎にご開帳されるだけで通常は直接拝観できない。次のご開帳は平成50年の予定とされている。

 秘仏の本尊は像高2.4m、奈良時代後期に作られた仏像で重要文化財に指定されている。他に、像高3.64m、作られたのは14世紀という記述もあり、何れが本当か不明であるが、おそらく前者が正しいのであろう。

 本尊の「千手観世音菩薩」は重要文化財に指定されている。
本堂(3)
 「本堂」を裏側(北面)から見たのが左の写真である。写真に見られるように通常は閉鎖されているが、通常の正面(南面)と同様に北面も正面になっている珍しい構造で、両正面裏なし堂といわれているらしい。北正面は奈良に向かうように建てられているという。

 かつて、「本堂」には北面と南面にそれぞれ別の本尊が安置されていたようである。南面の本尊、千手観音像は宝仏殿(後述)に移され保管されているが、北面に安置されていた千手観音像は北向観音と呼ばれ、現在、本尊として既述したように33年毎に開扉される秘仏で本堂に安置されている。
念仏堂
 本堂の北側に「念仏堂」が建てられている。左の写真に見られる現在の「念仏堂」は2代目にあたる。

 初代の「念仏堂」は宝永6年(1709年)に建立されたが、老朽化のために大正4年(1915年)に解体された。その後、70年以上経過し、念仏堂の再建に取り組み、2代目の「念仏堂」が平成17年に完成している。この「念仏堂」の内部には納骨堂も設けられている。
念仏堂内本尊
 左の写真は「念仏堂」内部で、中央には宝永5年(1708年)に制作された本尊の「五劫思惟阿弥陀如来」像が安置されている。

 若い頃の阿弥陀如来は、全ての人が救われる道を求めて五劫(数億年〜数十億年)の長い間瞑想を続け、その間髪が伸び放題になった姿を表したのが、この「念仏堂」の本尊、五劫思惟阿弥陀如来像であるといわれている。

 本尊の傍には当寺を建てた文武天皇をはじめ、歴代紀州藩主、当地方の戦没者等の位牌が祀られている。
護摩堂
 本堂の西側に「護摩堂」が建てられている(左の写真)。

 弘化4年(1848年)の建築といわれており、意匠を凝らした幕末期の意欲作として評価されているようである。
入相桜
 左の写真は「護摩堂」の南側に植えられている「入相桜
(いりあいざくら)である。現在の「入相桜」は二代目で初代が折れた後、その根元から自生した桜である。初代は樹齢数百年といわれていた桜であり、昭和の初期に台風で倒れるまでは天然記念物に指定されていた。

 千年前、清姫が安珍を追いかけてきて安珍が隠れていた鐘楼ごと焼き尽くしたという伝説があるが、鐘楼がこの場所にあったことが発掘調査により知られている。焼けた土もこの桜の周りで出土しているようである。
宝仏殿
 広場を隔てて本堂の南寄り西側に「宝仏殿」(左の写真)が建てられている。

 「宝仏殿」は昭和57年(1982年)に建てられ、中には二十数体の仏像が収蔵、祀られている。その中に、国宝3点、重要文化財11点、県指定文化財4点などが含まれ、年中参拝が可能である。

 「宝仏殿」に収蔵されている国宝3点のうち一つは道成寺本尊の千手観音菩薩で像高3.2m、平安時代初期(800〜850年頃)の作でヒノキの一本造りである。あと二つの国宝は脇侍の日光菩薩と月光菩薩である。日光菩薩は像高2.5m、平安時代初期の作でヒノキの一本造り、月光菩薩は像高2.4m、同じく平安時代初期の作でカヤの一本造りである。
道成寺縁起の一部
 「法仏殿」の南側に密接して「縁起堂」があり、ここで1日に数回「道成寺縁起」の写本を用いての「安珍清姫の絵とき説法」が行われている。この説法は道成寺名物として有名であり、実際聞いてみるとこれが実に面白い。

 左のコピーは「道成寺縁起」の一部で、清姫の化身の大蛇が安珍を追っかけて日高川を渡っている場面である。

 「道成寺縁起」の原本は重要文化財に指定されており、非公開である。

御詠歌:
紀の国や峰より明けて日高川てらすは法(のり)の道成(みちなり)の寺

新規収載:2001年12月22日
最終更新日:2015年9月5日

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