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新西国第三番
雲松山 鶴満寺
(うんしょうざん かくまんじ)
所在地及びアクセス:

 大阪市北区長柄東1丁目
鶴満寺所在地図
 大阪市営地下鉄堺筋線、谷町線、又は阪急電車の「天神橋筋六丁目」駅で下車する。2番出口(長柄国分寺方面)を出て直ぐ北の方に向かい20〜30m進んだ後右折する。国分寺の前を通り、そのまま道なりに進むと広い通りに出るので交差点を渡ると直ぐ「鶴満寺」に着く。
 又は、2番出口(長柄国分寺方面)を出てそのまま広い通り(都島通)を東南の方向へ250mほど進み、樋之口町交差点を渡た後、北の方向へ約150m進むと右手に「鶴満寺」がある。
 上記二つのルートの内、距離は若干長くなるが後者の方がわかりやすい。
 地下鉄2番出口から鶴満寺まで徒歩約5分。

宗派:天台真盛宗

本尊:子安観世音菩薩

開基:道元法親王

縁起:
朱印
 鶴満寺は奈良時代に大和で創建されたと伝えられているが、大和の何処であったかは明確ではないようである。宝暦3年(1753年)に当時の豪商上田宗右衛門の発願によって現在の地に移転してきたといわれている。

 移転に際し、忍鎧上人を中興の祖とし、七堂伽藍の美を尽くした寺院であったと伝えられている。再建された観音堂の本尊を開眼したのが道元法親王であり、これにより、道元法親王が鶴満寺の開基とされている。

 ただ、現在の寺の規模からは七堂伽藍が建ち並んだ大寺院を想像することは難しい。

見所など:
鶴満寺遠望
 鶴満寺は交通量の多い道路に面した街の中に建てられている。左の写真は鶴満寺西側の道路を隔てた場所から見た「鶴満寺」であるが、この写真に見られるように、寺の東側(写真では奥側)には高層アパート群がビッシリと並んでおり、鶴満寺境内の規模は大きくはない。
鶴満寺山門
 当寺の「山門」(左の写真)は車の通行が激しい道路に面して建てられている。写真でもわかるように「山門」の規模は大きなものではなく簡素である。

 この「山門」は通常、閉められているようで、境内へは境内の北側の一角にある特別養護老人ホームの傍にある入口から入ることになる。
本堂
 境内に入ると右手やや奥側に「本堂」(左の写真)が見える。「本堂」は特別変わったところがない普通一般に見られる感じの建物である。

 「本堂」には慈覚大師の作といわれている阿弥陀如来、それに地蔵菩薩が安置されている。
本堂に掲げられている山号額
 「阿弥陀如来」及び「本堂」大阪府有形文化財に指定されている。

 左の写真は本堂正面に掲げられている当寺の山号である「雲松山の額」である。建物にくらべてこの額は新しく作られたもののように思われる。
鐘楼
 「本堂」の右側手前に「鐘楼」(左の写真)が建てられている。この鐘楼も一般的によく見かけるもので見た目には特異なものではない。
銅鐘
 「鐘楼」には「銅鐘」(左の写真)が吊り下げられている。

 この「銅鐘」は山口県の普済寺(現、宗隣寺)にあったものといわれ、土中に埋もれていたが何かの工事の時に発見され、鶴満寺に寄進されたものという。「銅鐘」は高麗時代初期に製造された朝鮮銅鐘であり、中国年号で太平10年(1030年)の銘がある。

 「銅鐘」重要文化財に指定されている。
観音堂と鐘楼
 「本堂」、「鐘楼」の南側に「観音堂」(左の写真)が建てられている。左の写真で中央手前に写っているのが「鐘楼」で、その奥側中央の建物が「観音堂」であり八角塔形の楼閣造りになっている。

 現存の「観音堂」は昭和8年(1933年)に再建されたもので、第二次世界大戦の戦禍を免れている。
観音堂
 左の写真は南西側から見た「観音堂」である。「観音堂」には西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の各霊場の観音像、合計百体の観音像が祀られており、百体観音として知られている。このことから、観音堂は「百体観音堂」とも呼ばれているようである。
観音堂の正面の額
 観音堂正面には新西国第三番鶴満寺の「御詠歌の額」(左の写真)が掲げられている。この額からも推測できるように、新西国三十三ヶ所第三番霊場の本尊、子安観世音菩薩はこの観音堂に安置されている。

 子安観世音菩薩は霊元院太上法王の皇子勝ノ宮の安産を祈願し、新大納言お局(つぼね)が刻み、忍鎧上人が観音堂に安置して、道元法親王が開眼したものといわれている。

 「観音堂」の本尊、子安観世音菩薩は本堂に安置されている本尊、阿弥陀如来よりも、一般にはよく知られており、由緒あるものと思われるが、文化財の指定はないようである。

御詠歌:なにわ江の昔ながらの鶴満寺今も変らぬ法(のり)のみ光り

2006年8月8日最終更新
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Yukiyoshi Morimoto