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新西国第一番
荒陵山 四天王寺
(こうりょうざん してんのうじ)
四天王寺所在地図 所在地及びアクセス:

 大阪市天王寺区四天王寺1丁目

 大阪市営地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅下車、東南側の出口を出て、南の方向に300〜400m歩くと左手に四天王寺の境内が見える。地下鉄の出口から四天王寺までの間に道案内の標識はないので注意を要する。
 地下鉄の出口を出ると、車の往来の激しい谷町筋が目にはいるが、谷町筋を南下せずに、その一つ東側に車の往来の少ない通りがあるので、この道を南下するとわかり易い。
 JR「天王寺」駅、大阪市営地下鉄谷町線及び御堂筋線「天王寺」駅、近鉄「阿部野橋」駅から北へ約600m歩いても四天王寺に着く。


宗派:和宗総本山

本尊:救世観世音菩薩

開基:聖徳太子
朱印
縁起:

 聖徳太子は蘇我馬子と協力して、逆臣物部守屋を討とうとしたが、戦いは有利と思えなかったため、太子は四天王の木像を造り、戦勝祈願を行ったと伝えられている。その甲斐あってか、戦いに勝ち、用明天皇2年(587年)に玉造に寺を建て、四天王を祀った。これが四天王寺の創始とされている。
 推古天皇が即位すると太子は摂政となり、その年、推古天皇元年(593年)に四天王寺を玉造から現在の地に移したとされている。
 鎌倉時代になると天皇や皇族、武家の帰依をうけ、信仰は一般庶民の間にも広がったという。
 その後、応仁の乱、大阪冬の陣など、たびたびの戦火、災害に遭っており、近くは昭和20年(1945年)の空襲で多くの伽藍が焼失したようで、四天王寺は焼失と再建の歴史とさえいわれている。
 現在の中心伽藍は昭和38年(1963年)に再建されたもので、聖徳太子が創建した当時の四天王寺式の伽藍配置が再現されているという。
石鳥居
見所など:

 四天王寺の境内の西側入口にあたる「石の鳥居」が伽藍の西側に立っており(左の写真)、この場所から奥に「極楽門(西門)」が見える。

 寺の正門にあたるのが山門ではなく鳥居というのも何となく奇妙であるが、この鳥居に極楽浄土の東にある門と言う意味の『釈迦如来転法輪所当極楽土東門中心』と書かれた額が掲げられている。
伽藍配置
 この「石の鳥居」は永仁2年(1294年)に再建された日本最古の石造りの大鳥居の一つとされており、重要文化財に指定されている。ただ、鳥居に掲げられている額は複製品で、当初の額は「宝物館」(後述)に展示されている。

 寺の伽藍配置は「四天王寺式」と呼ばれ、パターンにあるように、仁王門(中門)、五重塔、金堂、講堂が南北直線上に並び、仁王門と講堂を結ぶ回廊が五重塔と金堂を方形に囲んでいるのが特徴とされ、日本最古に属する配置様式であるという。
仁王門
 左の写真は「仁王門(中門)」を南側から見たもので、奥に「五重塔」が見えている。

 「仁王門」の南側から「五重塔」などの伽藍のある場所に入ることはできない。仁王門に安置されている仁王像を見学するためには、「西重門」から入り回廊を通らなければならない。

 安置されている仁王像の重さは約1トン、奈良東大寺の仁王像に次ぐ大きさであるという。
五重塔
 「五重塔」は推古天皇元年(593年)に創建されて以来、幾たびか焼失と再建を繰り返してきたと伝えられているが、現存の「五重塔」(左の写真)は昭和34年(1959年)に再建されたものといわれている。

 再建後、約40年経過しているだけであり、外観的にも新しい。造りの基本は鉄筋コンクリートといわれているが、一寸目には木造建築のように見える。

 建築自体は新しくても、その姿は飛鳥時代の創建時のままを伝えているといわれており、屋根の勾配が緩やかなのが特徴という。

 塔内には四方四仏の壁画が描かれているようである。

 五重塔の北側に建てられているのが「金堂」である。
金堂
 現存の「金堂」(左の写真)は昭和36年(1961年)に再建されたものといわれ、外観的に新しいが、その姿は飛鳥時代の創建時のままを伝えているとされている。

 「金堂」には四天王寺の本尊である「救世観世音菩薩」が安置されている。

 堂内には釈迦の誕生、涅槃などの壁画が描かれている。建物が新しいだけに壁画も新しく、高名な画伯の作らしいが、
こういう場所の壁画は古くなったものの方が似合うと思うのは素人考えだろうか。
講堂
 「金堂」の北側にあるのが「講堂」である(左の写真)。

 「講堂」は聖徳太子が法華経を講讃された場所といわれている。

 「講堂」の中には「阿弥陀如来像」が安置されている。この像は基壇から頭上まで約6mあるらしい。ここも堂内に壁画が描かれている。

 講堂の北側、回廊に囲まれた伽藍の外側に二棟の「楽舎」があり、更にその北側に「亀の池」がある。
石舞台
 「亀の池」に架けられた石造りの橋の上には「石舞台」が造られている(左の写真)。

 毎年4月22日にはこの石舞台で「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が行われる。聖霊会は聖徳太子を追慕して太子の命日に行われる法要で、史実によると鎌倉時代から始まったようであるが、もっと以前、始まりは奈良時代ではないかともいわれているらしい。

 なお、
「聖霊会舞楽大法要」重要無形民俗文化財に、「石舞台」は元和年間(1615〜24年)から現存するとされ重要文化財に指定されている。
六時堂
 「石舞台」の直ぐ北側に「六時堂」が建てられている(左の写真)。

 「六時堂」は昭和20年の空襲にも火災に遭わず無事に残った建物で、元和年間(1615〜24年)から現存するといわれ、重要文化財に指定されている。

 この堂にお詣りする人の数は、中心伽藍の金堂や講堂にお詣りする人よりもはるかに多いようである。
「六時堂」のほうが見た目に歴史を感じさせるためか、又は、中心伽藍を拝観するには拝観料が必要なためなのか、その理由はよくわからない。
元三大師堂
 「六時堂」と同様、昭和20年の空襲に遭わず残った建物に「元三大師堂」がある(左の写真)。この「元三大師堂」も元和年間から現存しているといわれ、やはり、重要文化財に指定されている。

 「元三大師堂」は「六時堂」の北側の参道を西側に向かって「中之門」に着く手前右手にあり、境内の西北隅にあるためか、お詣りに訪れる人をあまり見かけない。

 四天王寺には国宝、重要文化財に指定されている宝物をはじめ、数多くの寺宝が所蔵されている。これらの内幾つかは中心伽藍の東側に建てられている「宝物館」に展示されている。

 国宝に指定されている宝物で「金銅威奈大村骨蔵器」、「扇面法華経冊子」があるが、展示品は本物ではなく複製品である。

 重要文化財としては平安後期の作とされている「阿弥陀如来坐像」、嘉禎2年(1236年)良是筆の「十七条憲法」、「単弁十葉蓮華文鐙瓦」など、その他、数多く展示されている。

 国宝に指定されている宝物は複製品であるのは残念であり面白くないが、「宝物館」の展示物は拝観見学(有料であるが)して損はないであろう。

御詠歌:ありがたや法のはじめの天王寺亀井に浮ぶみ仏の影
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Yukiyoshi Morimoto