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宇治上神社

所在地及びアクセス

 京都府宇治市宇治山田69

 京阪電鉄宇治線「宇治」駅下車。駅前広場を通り、宇治橋東詰交差点を渡る。宇治橋を右手に見て(宇治橋を渡らない)、宇治川に沿って東南の方向に進む。宇治橋東詰交差点から200m強進むと左側斜めに入る道(さわらびの道)があるので、それを道なりに進むと宇治神社の横に出る。宇治神社を右手に見て進むと奥に「宇治上神社」の赤い鳥居が見える。
 京阪「宇治」駅から宇治上神社まで徒歩約10分。

 宇治上神社は平等院に近いので、同じ日に両者の参拝、見学が可能である。

縁起
朱印
 宇治上神社は神託を受けた醍醐天皇が延喜元年(901年)に社殿を築造したことに創まるという説があるが、詳細は明らかでないようである。平安時代には現在の宇治神社、宇治上神社の両神社を合わせて宇治鎮守明神、離宮明神といわれていたらしい。

 文献的には、治暦3年(1067年)に後冷泉天皇が平等院行幸の際、離宮明神に神位を与えたとされている。藤原氏が平等院建立の後、宇治上神社はその鎮守社として位置ずけられ、崇敬を集めたといわれている。

境内社殿配置
境内略図
 神社の境内は広いとは言えない。本殿の裏は山に密接しており、後述しているように大きな建物は「拝殿」と「本殿」だけである。左のコピー(宇治上神社発行の説明パンフレットより)は宇治上神社の境内社殿配置略図である。

見所など

 宇治上神社は昨年から修復工事に入っており、鳥居から本殿に至るまで覆いが掛けられた状態であり、本殿などは直接拝観できる状態ではない。修復工事は本年(2014年)中には終了する予定とされており、来年(2015年)には全て修復された姿で拝観可能になると思われる。

 以下の写真及び説明は修復工事前のものである。
鳥居
 右手に宇治神社を見て奥に進むと、参道に大きく立派な朱塗りの「鳥居」(左の写真)が建てられているのが見える。この鳥居を通して奥に宇治上神社の社殿を望むことができる。
神社入口
 左の写真は入口付近から見た神社である。写真でわかるように、大きな建物は門の奥に屋根だけが見えている「拝殿」と、更にその奥に屋根の頂上部だけが見えている「本殿」の二つだけであるといっても過言ではない。
門
 境内への入口にあたる「門」(左の写真)は極めて簡素であり小さい。小さい寺の山門を思わせる造りである。

 門を通して「拝殿」と「拝殿」の前にある円錐形の盛砂「清め砂」が見える。

 境内に入ると先ず目につくのが「拝殿」(直下の写真)である。 「拝殿」は神社の規模に比して不釣り合いなほど大きくそれだけに印象的である。
拝殿
 拝殿の前には円錐形に盛り上げられた砂の小さな山が二つ作られている(直上の写真)。これは「清め砂」といわれており、毎年9月1日に氏子によって奉納され、境内の清めの砂として1年間盛られ続けられている。このような形状の盛砂は他の神社でもしばしば目にすることが出来、神様が降りられる依代(よりしろ)を表しているとされているが、宇治上神社の盛砂は依代ではないようである。
東側から見た拝殿
 左の写真は東側から見た「拝殿」正面である。

 本殿及び拝殿の建立年代を明らかにするため、年輪年代測定による調査が2003年12月から2004年2月にかけて行われた。その結果、拝殿には建保3年(1215年)頃伐採された桧が使われており、1215年直後の造営であることがわかったという。
東側から見た拝殿背面
 この拝殿は鎌倉時代の優れた遺構であるとされており、神社であっても当時の住宅建築を類推することが出来る建造物として注目されているようである。

 左の写真は東側から見た「拝殿」の背面であるが、正に住宅を彷彿とさせる雰囲気を備えている。

 「拝殿」は国宝に指定されている。
西側から見た本殿
 「拝殿」の裏側、幅の広い石段を上がったところに「本殿」が建てられている。左の写真は西側から見た「本殿」である。

 「本殿」は「拝殿」に比べるとやや小ぶりであるが、神社自体の規模から見ると大きい。ただ直接目に触れるのは覆屋であり実質的な意味での本殿ではない。
東側から見た本殿
 左の写真は東側から見た「本殿」である。

 本殿を東側から見ると見事な曲線を描いている屋根の形がよくわかる。

 直下の写真は正面から見た「本殿」で、覆屋であることがわかる。この中に三棟の「内殿」があり、通常、中に入ることはできないが、格子障壁を通して「内殿」を拝観することは可能である。
本殿正面
 覆屋は一般には内殿を保護するために外側を覆う建物であることが多いが、宇治上神社本殿の覆屋の側壁や屋根は内殿のそれらと共有されており、通常の覆屋とは構造が異なっているようである。
内殿中殿
 中央の内殿、「中殿」は応神天皇を、「左殿」(向かって右側)は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ:応神天皇の末の皇子)を、「右殿」(向かって左側)は仁徳天皇(応神天皇の皇子)を祀っている。

 左の写真は中央の内殿「中殿」である。
内殿左殿
 上述の年輪年代測定による調査の結果、「本殿」及び「左殿」、「中殿」、「右殿」の三社は康平3年(1060年)頃に建てられたことがわかり、神社建築としては日本最古のものといわれていた説が証明されたという。

 更に「左殿」(左の写真)には寛元元年(1243年)頃に伐採された桧が用いられていることから、鎌倉時代初期から中期にかけて拝殿の造営と共に本殿の改修があったものと考えられている。

 内殿の保存状態が良好であるが、これは覆屋によるところが大きいのであろうとされている。

 「本殿」は国宝に指定されている。
扉絵
 本殿の左右両殿の内陣扉には絵が描かれているといわれている。左のコピーは右殿内陣扉の絵(宇治上神社発行の説明パンフレットより)で、笏(しゃく)を持つ束帯姿の人が描かれているのがわかる。また、左殿内陣扉には翳(さしは)を持つ唐装の童子像が描かれているといわれている。

 絵は内殿の内陣扉に描かれているため、勿論、拝観することは出来ない。

 これらの「絵」は重要文化財に指定されている。

 宇治上神社の本殿、拝殿共に外回りは自由に近接して拝観見学可能であり、有名寺社に見られるような閉鎖性は殆ど感じられない。
摂社春日神社
 本殿の東側に摂社「春日神社」(左の写真)が建っている。

 一間社流造の小さな社であり、藤原一族の守護神を祀っているようである。平等院の鎮守社として藤原一族の繁栄を願って築造されたものと思われる。

 「春日神社」の建築年代は鎌倉時代であるとされており、重要文化財に指定されている。
桐原水
 拝殿の東南側に、かつて宇治七名水の一つに数えられていた「桐原水」(左の写真)が湧き出ている。七名水のうち現存するのは、この桐原水のみとなってしまったとのことである。

 これは神社にお参りするときに手を洗い清めるための水であり、そのままでは飲料に適さず、飲む場合は一度煮沸した後、飲むようにと言われているが、1時間ほどの間に、数人の人がここに水を汲みに訪れるのがみられた。名水として衰えは未だに見られないようである。

 宇治上神社は自体が地味であり、世界遺産に登録されなければ今日のように一般の人に注目されるようなことはなかったのではないかと思われる。

2014年9月15日更新
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