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教王護国寺(東寺)

所在地及びアクセス

 京都市南区九条町1


 近鉄京都駅から電車に乗り、次の「東寺」駅(特急及び快速急行以外は全て停車)で下車する。西の方向へ徒歩約5分。

縁起
朱印
 延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京に遷都した際、平安京鎮護のために、正門である羅城門の東に東寺、西に西寺を建造したと伝えられているが、西寺は現存しない。現在の東寺の場所は創建時のままであり、変わっていないといわれている。

 東寺は延暦15年(796年)に創建され、最初に金堂が建てられたと伝えられている。

 金堂は弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)に与えられ、東寺が本格的に活動を始めたのは、空海がこの寺に入ってから後であるとされている。その意味で弘法大師信仰の強い寺である。なお、境内は国史跡に指定されている。

 この寺の正式名称は「教王護国寺」であるが、通称名である「東寺」のほうが一般にはよく知られている。

境内諸堂等配置
境内諸堂配置図

見所など
南大門(1)
 左の写真は東側から見た「南大門」で、東寺の正門であり、幅約18m、高さ約13mの規模で東寺の門の中で最大である。この門は慶長6年(1601年)に三十三間堂の西門として建てられたものを明治28年(1895年)にここに移築したものとされている。門の蟇股の鳥や獣の彫刻など桃山建築の特色が出ている。

 「南大門」は重要文化財に指定されている。
南大門(2)
 「南大門」を南側の正面から見たのが左の写真である。写真で見られる車の通っている道路が九条通りである。諸堂配置図にも記載しているように「南大門」を通して正面(北側)に「金堂」があり、北の方向に向かって「金堂」、「講堂」、「食堂
(じきどう)」の各伽藍が一直線に配置されている。
修行大師像
 「南大門」を通って直ぐ西側、八幡宮の傍に「修行大師像」が建てられている(左の写真)。この修行大師(弘法大師)像の前で手を合わせている人を多く見かける。
御影堂への門
 「修行大師像」の前を右手に金堂、講堂などを見ながら北の方向に200m強進むと御影堂(大師堂)の前の広場に出る「門」がある(左の写真)。

 「門」をくぐると広場左手(南側)に「御影堂(太子堂)」、右手(北側)に「大日堂」が建てられている。
御影堂北東面
 左の写真は「御影堂(大師堂)」を北東側から見たもので、北面が正面になる。

 「御影堂(大師堂)」はかつては弘法大師の住居であったとされているところであるが、当初の建物は康暦元年(1379年)に火災に遭い焼失、翌年には再建されたが、明徳元年(1390年)に礼堂と中門を加え現在の姿になったといわれている。

 「御影堂(太子堂)」はその屋根は檜の皮で葺かれており、緩やかな勾配をもち、非常に優美な感じがする建物である。
御影堂正面
 左の写真は「御影堂(大師堂)」の正面(北面)玄関に当たるところである。堂内に祀られている「弘法大師像」を拝する礼堂がこの中に設けられており、弘法大師信仰の中心となっている堂である。

 「弘法大師像」は最古の大師像といわれ、他の大師像の模範とされている。この仏像は「国宝東寺展」が開催されたときには開扉公開されるようである。

 「御影堂(大師堂)」及び「弘法大師像」は共に国宝に指定されている。
御影堂南東面
 左の写真は「御影堂(大師堂)」を南東側から見たものである。堂内には大師の念持仏である「不動明王像」(講堂内に安置されている不動明王とは別の仏像)が安置されているといわれているが、秘仏であり拝観できない。この仏像に近寄ることは恐れられているようで、以前に開催された「国宝東寺展」でも公開されなかった。

 「不動明王像」は国宝に指定されている。
大日堂
 「御影堂(大師堂)」の北側に「大日堂」が建てられている(左の写真)。ここには役小角
(えんのおづぬ)の作と伝えられる胎蔵界大日如来が祀られている。

 「大日堂」は元禄11年(1698年)に「御影堂(大師堂)」の礼拝堂として建てられたという。当時は一般の参拝客は「御影堂(大師堂)」入ることが出来なかったようである。

 現在は東寺信徒の永代供養の位牌が祀られており、先祖の回向を行う専用の堂になっている。
毘沙門堂
 「御影堂(大師堂)」の南側に「毘沙門堂」が建てられている(左の写真)。

 この堂は文政5年(1822年)に、都の守護神として羅生門に安置されていた「兜跋毘沙門天立像」を東寺に移しお祀りするために建てられた堂であり、平成6年(1994年)に修復されている。

 「兜跋毘沙門天立像」は天元元年(978年)に台風で羅生門が倒壊したため東寺に移されたが、「毘沙門堂」が建つまでは食堂
(じきどう)に安置されていたといわれている。なお、この「兜跋毘沙門天立像」は国宝に指定され、現在、宝物館に保管されている。
天降石
 「毘沙門堂」の西側に、大理石で囲われた枠の中に「天降石」が置かれている。この石は古くからこの地にあったと言われており、江戸時代には護法石とか不動石と呼ばれていたという。

 この石を撫でた手で体の悪いところを擦ると悪いところが治ると信仰されているらしい。
食堂(じきどう)
 「毘沙門堂」の傍の門を通ると東側に「食堂
(じきどう)が見える(左の写真:西南側から見た食堂)。

 「食堂」は僧侶が斎時に集まって食事をした建物で、かつての建物は昭和5年(1930年)に焼失、昭和9年(1934年)に再建、竣工された。
食堂正面
 左の写真は「食堂」の正面(南面)の近景である。

 「食堂」には896年に理源大師により6mの高さの千手観音立像が安置されていたが、火災で大破したため大修理されて、現在は「宝物館」に収蔵されている。この千手観音立像は重要文化財に指定されている。

 「食堂」に安置されている現在の観音像は高さ約1.8mの十一面観音菩薩で、昭和の観音像であるが平安時代初期の仏像様式を忠実に再現したものであるという。

 「食堂」の南側に拝観受付があり、ここで拝観料を支払うと「講堂」や「金堂」の内部を拝観、見学ができ、また「五重塔」を直ぐ傍で見学することが出来る。
講堂
 拝観受付を通って直ぐ南の方向にある建物が「講堂」(左の写真は講堂の南面)である。

 講堂は天長2年(825年)空海によって着工され、承和2年(835年)に完成したとされているが、文明18年(1486年)に焼失した。現存する講堂は延徳3年(1491年)に創建時の基壇の上に再建されたものであるという。

 「講堂」は純和風建築様式の建物で、重要文化財に指定されている。
立体曼荼羅
 「講堂」内の壇上中央の如来部には「大日如来」を中心に五智如来、右側の菩薩部には「金剛波羅密多菩薩」を中心に五菩薩、左側の明王部には「不動明王」を中心に五大明王、四隅には「持国天」、「多聞天」、「増長天」及び「広目天」の四天王、両端には「梵天」と「帝釈天」、合計二十一躰の仏像が安置されている(左のコピー:東寺発行の拝観パンフレットより)。これら仏像の配置は弘法大師の密教の理想を表す立体曼荼羅であるとされている。
立体曼荼羅諸尊配置図
 左の図は「講堂」の立体曼荼羅二十一躰の諸仏像の配置を表したものである。左図で諸仏像名の
青色字は国宝、緑色字は重要文化財を表している。

 これら仏像は密教彫刻の代表作であり、壮観というよりも、別の世界に引き込まれるような感覚に陥り、息苦しさすら覚える。東寺を訪れた時はゆっくりと拝観し、密教の理想の世界を体験してみたい。
金堂(1)
 「講堂」の南側に建てられているのが「金堂」(左の写真)である。

 創建時の金堂は文明18年(1486年)に焼失したとされており、現存する金堂は豊臣秀頼の発願で、慶長8年(1603年)に完成した建物といわれている。ただ、礎石や基壇、仏壇の位置、大きさ等は創建当時のままという。金堂は桃山時代の代表的建造物であり、中央部の屋根が一段切り上げられた特徴のある建築様式をとっている。「金堂」は堂々たる建築物であり、そのスケールの大きさは見る者を圧倒する。
金堂(2)
 左の写真は「金堂」の南面で、南大門をくぐると直ぐに左の写真のような「金堂」を見ることになる。

 「金堂」は国宝に指定されている。
金堂内薬師三尊
 「金堂内」には、本尊の「薬師如来座像」を中心に、向かって右側に「日光菩薩」、左側に「月光菩薩」が安置され、本尊の台座には「十二神将像」が配置されている(左のコピー:東寺発行の拝観パンフレットより)。三尊像は慶長8年(1603年)、仏師康正の作で薬師信仰の形をとどめているといわれている。

 三尊像と一二神将像は何れも重要文化財に指定されている。

 金堂内部は見学拝観可能である。仏像に興味有る無しに拘わらず、是非拝観しておきたい。敬虔な気持になることは間違いない。
東大門
 「講堂」の東側にある瓢箪池を隔てて更に東側に「東大門」がある。創建年代は不明であるが、建久9年(1198年)に文覚上人によって再建されたという。

 建文3年(1336年)に新田義貞が東寺の足利尊氏を攻めた際、尊氏は門を閉め難を逃れたという故事から、この門は「不開門
(あかずのもん)」とも呼ばれている。慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が大修理を行ったと伝えられている。

 「東大門」は重要文化財に指定されている。
五重塔
 金堂の東南側、境内の東南隅には東寺の象徴的存在であり、新幹線の車窓からも見ることができる「五重塔」(左の写真)が建っている。

 五重塔は天長3年(826年)に弘法大師が創建に着手したことにはじまり、長年月をかけて完成したが、その後、しばしば火災に遭い焼失、再建を繰り返したようで、現存のものは徳川家光の寄進により正保元年(1644年)に再建したものとされている。

 塔の高さは約55m(56mとか、57mとかいう記録もあるらしい)で、現存する木造の古塔では日本一高いといわれている。

 一般的に重層の塔の屋根は上層に行くほど小さくなっているが、この五重塔の屋根は下層の屋根と上層の屋根の大きさに大差がなく、全体の形も良く、江戸時代前期の秀作とされている。

 「五重塔」は国宝に指定されている。
五重塔初重
 塔の内部は通常見ることはできないが、春と秋の宝物館特別公開の時期に合わせて塔初重内部が一般公開されることもある(左の写真)。

 内部には四面に何体もの仏像が安置されている。講堂や金堂内に安置されている仏像と比べ、仏像自体の大きさはそれらには及ばない。

 内部の柱や天井など一面に彩色が施されているが、一部を除きかなり褪色している。ただ、かつては、鮮やかな彩色が施されていたであろうことは十分に理解できる。

 東寺には上述の他に実に数多くの国宝や重要文化財が所蔵されている。中でも特に有名なものとして、絵画では、御修法の時に用いられる国宝指定の「五大尊像」、書では、空海が最澄に宛てた手紙で、空海の名筆の中で最高のものとされている国宝指定の「風信帖」などがあげられる。

 宝物館は春と秋には約2ヶ月間公開されている。公開時には東寺に所蔵されている多くの寺宝の中からその一部が展示されているので、是非見学しておきたい。
最終更新日:2014年5月19日
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