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龍安寺
(りょうあんじ)
所在地及びアクセス

 京都市右京区龍安寺御陵下町
龍安寺所在地図
 JR「京都」駅下車。京都市バス「京都駅前」から[50]番「立命館大学前」行きに乗車し、終点の「立命館大学前」で下車。きぬがけの路を西の方向へ徒歩約10分で竜安寺前交差点に着くのでこれを右に入る。又は、JRバスで「京都駅前」から「立命館大学前経由栂ノ尾」行きまたは「立命館大学前経由周山」行きに乗車し、「竜安寺前」で下車する。直ぐ右手に龍安寺に入る道がある。
 阪急京都線「河原町」駅下車。京都市バス「四条河原町」から[59]番「
金閣寺 宇多野・山越」行きに乗車し、「竜安寺前」で下車する。直ぐ右手に龍安寺に入る道がある。又は、京都市バス「四条河原町」から[12]番または[51]番(何れも「立命館大学前」行き)に乗車し、「立命館大学前」で下車。きぬがけの路を西の方向へ徒歩約10分で竜安寺前交差点に着くのでこれを右に入る。
 京阪「三条」駅下車。京都市バス「三条京阪前」から[59]番「山越」行きに乗車し、「竜安寺前」で下車する。直ぐ右手に龍安寺に入る道がある。
 京福電鉄北野線「竜安寺道」駅で下車し、北の方向へ徒歩約10分。

縁起
朱印
 この地は円融天皇の勅願寺である円融寺があったところとされている。平安時代末期に藤原実能がここに山荘を造り、敷地内に寺を建て徳大寺と称したため、以後、徳大寺を姓としたという。

 宝徳2年(1450年)に細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承
(ぎてんげんしょう)を招いて建立したといわれるのが現在の竜安寺である。

 寺は応仁の乱で焼失したようであるが、直ちに再建、整備に努め、江戸時代には塔頭は21もあった大寺だったという。その後、寛政9年(1797年)の火災により、多くの建物を失ったといわれている。現在、塔頭の数は多くはなく、江戸時代にいわれたような大寺の面影は感じられない。

山門、庫裡、方丈
山門
 バス停の傍にある竜安寺前交差点を北の方向に進むと「山門」(左の写真)に着く。

 「山門」は思ったより小さい。
特に、近くにある仁和寺を先に拝観した場合には、どうしても比較して見てしまうためか、ここの山門は小さく見える。
庫裡と石段
 参道を進み、石段を上がると、正面に禅寺の特徴を備えた「庫裏」(左の写真)が見える。

 写真でもわかるように、庫裡前の石段の両側には低い竹垣が設けられている。
竜安寺垣
 この竹垣は竜安寺独特のものらしく「竜安寺垣」(左の写真)と呼ばれている。

 庫裏の西側に「方丈(本堂)」が建てられている。方丈は寛政9年(1797年)の火災後、塔頭西源院の本堂をここに移したものといわれている。

 「方丈」重要文化財に指定されている。

石庭

 方丈(本堂)の前(南側)の庭が世界的に著名な「石庭」である。直下の写真はその北東側の隅から見た「石庭」の全景である。石庭内には草木類は一本も植えられていない。それだけに、極めて簡素な感じのする枯山水の庭園となっている。
庭園全景
 庭の東、南、西の三方向は土塀で囲まれており、庭には白砂が敷きつめられ、15個の石が置かれている。

 15個の石は方丈から見て、左からそれぞれ5個、2個、3個、2個、3個の石でできた五つの組になって置かれているが、方丈からこれら15個の石の全てを見渡せる場所はない。
庭園東側(1)
 直上の写真は石庭左側(東側)の5個の石と2個の石でできている石組みである。写真でわかるように、最も左側にある5個の石でできている石組みのうち中央の石が最も大きくそれに接して2個の石が組まれており、この3個1団の石組からやや離れた左右両側の位置に小さい石が1個ずつ置かれている。この5個で一つの石組みになっている。

 この石組みからやや右側奥に2個の石でできている石組みがある。直上の写真で右上方に見えているのがそれである。直上の写真ではこの石組みが分かりにくいので、直下の写真にこの2個の石でできている石組みを示した。
庭園東側(2)
 直下の写真は石庭右側(西側)にあるそれぞれ3個、2個、3個の石でできている石組みである。最も右側の3個の石でできている石組みで3個の石の判別が難しく2個に見えるが、真中の大きな石の右側に小さい石がある(写真ではわずかに見えている)。
庭園西側
 「石庭」の作者は不明で、造られた年代も詳細不明らしいが、応仁の乱の後であろうといわれている。作意にはいろいろの説があるようで、仏教の教えに基づくといわれているようであるが、『見る人によっていろいろな解釈が生まれてくる』というような一見無責任な説もある。

 多くの人々が方丈の前に座り、黙って長時間石庭を見つめている。
この石庭を見て一体何を感じているのだろうか。石庭は禅の極致を表現しているともいわれているが、未熟者のためか私には、自己を見つめ無心になるという禅の教えをこの石庭から感じとることはできないのである。

 「石庭」国史跡、国特別名勝に指定されている。
油土塀
 「石庭」の北側は方丈に接しているが、東側、南側及び西側は土塀で囲われている。特に、西側と南側の土塀は「油土塀」(左の写真)といわれる特有の塀である。

方丈周り
つくばい
 方丈の北側の軒下に石造手水鉢「つくばい」(左の写真)が置かれている。徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれているが、本物は方丈の東北側にある非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてあり、方丈の北側にあるものは精確に作られた模造品という。

 模造品はもう一つという感じがする。経年変化も少ないと思われるので、本物を公開しもらいたいものである。

 「つくばい」の表面に書かれた字は、銭形の中心の「口」を共用すれば、「吾唯足知(われただたるをしる)」と読むことができる。これは、禅の格言を図案化し、表現したものといわれている。
侘助椿
 方丈(本堂)の東側の庭に「佗助椿」(左の写真)の木が植えられている。立て札には「佗助椿」の添え書きとして「日本最古」と「豊太閤朝鮮傳来」の文字が書かれている。秀吉が賞賛したと伝えられている佗助椿というのはこの木なのだろうか。

 それにしても、この椿の木は見た目に細く貧弱な感じがし、とても日本最古といわれたり、秀吉が鑑賞し賞賛したといわれるほどの古木には見えない。佗助椿というのは年代を経てもそう大きくはならないものなのだろうか。それとも何代目かの椿の木なのだろうか。

 この庭の向こう側(方丈の東北側)に非公開の茶室「蔵六庵」が建っている。

庭園、鏡容池
庭園の一部
 参拝の順路に従って石庭の南側の通路を西の方向に進むと、鮮やかな緑色の絨毯を敷き詰めたような苔の生えている庭園(左の写真)がある。

 立木の根本に盛り上がるように生えている苔は西芳寺(苔寺)の庭園の苔を彷彿とさせる。

 境内南側一帯には「鏡容池」(直下の写真:夏期の鏡容池)が拡がっている。この池は徳大寺家によって築かれたものといわれているように、当時の山荘の雰囲気が残されているように感じられる。
夏の鏡容池
鏡容池の睡蓮
 「鏡容池」には睡蓮(左の写真)が植えられており、季節になると花をつけるが、時期時間を選ばないときれいな花を見ることができないようである。
春の鏡容池
 左の写真は春の鏡容池である。池周辺には桜の木が何本か植えられており、季節には見事な花を咲かせる。

 写真でほぼ中央手前に見えている二個の石は水分石といわれているものである。

 「鏡容池」国名勝に指定されている。

2003年8月31日更新
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Yukiyoshi Morimoto