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| 所在地及びアクセス: 京都市右京区御室大内 |
![]() 阪急京都線「大宮」駅下車。地上に出て京福電鉄「大宮」駅から嵐山線「嵐山」行きの電車に乗車し、「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で京福電鉄北野線「北野白梅町」行きに乗り換え、「御室」駅で下車する。北の方向へ徒歩約3分で仁和寺の二王門に着く。 JR「京都」からは市バス[26]系統「宇多野・山越」行き、或いはJRバス「栂ノ尾(とがのお)」又は「周山」行きに乗車し「御室仁和寺」で下車、直ぐ。 「四条河原町」からは市バス[59]系統「金閣寺宇多野・山越」行き、又は[10]系統「三条京阪山越」行きに乗車し「御室仁和寺」で下車、直ぐ。 「三条京阪前」からは市バス[59]系統「山越」行き、又は[10]系統「北野天満宮山越」行きに乗車し「御室仁和寺」で下車、直ぐ。 |
縁起: |
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仁和寺は仁和2年(886年)に光孝天皇の勅願により創建に着手したが、天皇は翌年に死去、宇多天皇が遺志を引き継ぎ仁和3年に完工し、仁和4年(888年)に落慶供養が行われたと伝えられている。 宇多天皇は昌泰2年(899年)に仁和寺で出家し法皇と称したとされているが、これが法皇の称号の最初であるといわれている。法皇は延喜4年(904年)仁和寺西南の場所に御室を設け、承平元年(931年)に没するまでここに住んだという。以後、皇子や上皇の入寺が続き、一時は法界を統括するまでになったらしい。 その後、武家政権や禅宗が勢力を強めたことなどにより衰退し、応仁の乱(1467〜77年)により全ての伽藍を焼失し、復興も思うように行うことができなかったといわれている。その後、160年以上も経過した江戸時代、寛永11年(1634年)に、徳川幕府の援助により覚深法(かくじんほつ)親王が再興に努め、現在の仁和寺の基礎を築いたとされている。 |
このように皇子や皇孫が寺の門跡となったことから、仁和寺は御室御所と呼ばれるようになったという。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山である。 |
二王門 |
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仁和寺の正門にあたる「二王門」(左の写真)は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたといわれている。 「二王門」という名称は左右に金剛力士を安置していることに由来しているという。 この「二王門」は京都の三大門の一つに数えられており、重要文化財に指定されている。 |
門は大きいだけではなく、非常に重厚な感じがする。数ある京都の寺院の門の中でも最も有名な門の一つとされているだけのことはある。 |
旧御室御所 |
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「二王門」をくぐるとすぐ左手(西側)に「旧御室御所」がある。 左の写真は「旧御室御所」の入口になっている「大玄関」である。 |
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「大玄関」を入ると直ぐに「白書院」があるが、その廊下の東側に「南庭」があり、「南庭」の北側に「宸殿」が建てられている(左の写真は南側から見た宸殿)。 「南庭」は右近の橘、左近の桜を配し、白砂を敷きつめただけの庭(左の写真)であり、簡素であるが、落ち着いた感じがする。 |
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左の写真は北西側から見た「宸殿」である。 |
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「宸殿」は通常、閉鎖されておらず、廊下から内部を見学することが出来るが、内部に立ち入ることはできない。左の写真は「宸殿」にある部屋の一つである。 「宸殿」は江戸時代に仁和寺を再興したとき、京都御所から移築したとされているが、明治時代に焼失、現在の建物は大正2年(1913年)に建てられたものといわれている。 |
「宸殿」の北側には池泉式庭園「北庭」(直下の写真)が拡がっている。 |
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「北庭」は京都市名勝に指定されている。 旧御室御所内には著名な二つの茶室「飛濤亭」、「遼廓亭」が建てられている。 |
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左の写真で木立の中に見える建物が「宸殿」の北側から見た「飛濤亭」である。 「飛濤亭」、「遼廓亭」共に特別拝観の限られた期間以外は近くからの見学は不可能である。ただ、見学できる期間でも写真撮影は禁じられているが、何故、禁止されているのかの説明を求めても納得できる回答は得られなかった。 |
「飛濤亭」、「遼廓亭」共に重要文化財に指定されている。 |
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旧御室御所で最も奥まった場所に「霊明殿」(左の写真)が建っている。ここは歴代門跡の位牌を安置している所とされているが、本尊として「木造薬師如来坐像」が安置されているという。 |
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この「薬師如来坐像」は康和5年(1103年)に円勢と長円によって造られ、厳重な秘仏とされていたようである。昭和61年(1986年)に初めて開扉されたが、保存状態のよいのに驚いたという。現在も秘仏になっており、直接の拝観は不可能である。 左の写真は「霊明殿」の内部正面であるが、中央奥に本尊「薬師如来坐像」の複製像が前立ちとして置かれているのが見える。 |
本尊「木造薬師如来坐像」は国宝に指定されている。 |
中門 |
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「二王門」をくぐり奥(北側)に進むと朱塗りの「中門」(左の写真)が建っている。「二王門」に比べると規模も格段に小さく造りも簡素である。 この「中門」は重要文化財に指定されている |
御室桜 |
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中門をくぐると、直ぐ西側(左側)に「御室桜」(左の写真)がある。ここの桜は樹高が低く開花の時期が他所の桜に比べて遅い。 |
桜の咲く時期には入園料が必要である。通常は拝観料が不要の寺院でも、桜や紅葉の季節には拝観料が必要なところが多いので仁和寺だけのことではないが・・・。 「御室桜」は国名勝に指定されている。 『わたしゃお多福御室の桜 はなはひくても人が好く』という歌があるらしいが、こんな駄洒落がお似合いの名勝か? |
金堂 |
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「二王門」、「中門」の延長線上の最も奥、やや高い場所に「金堂」(左の写真)が建てられている。 「金堂」は慶長18年(1613年)に建てられた御所の紫宸殿を移築し、寛永の再建時に屋根を葺く材料を檜皮から寺院風の瓦にするなどの改修を加え、完成したものであるといわれている。 |
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通常、「金堂」の内部は公開されていないが、時期によっては特別拝観として公開されることがある。 左の写真は「金堂」正面の近景であるが、この奥にある内陣には運節が寛永21年(1644年)に造ったといわれている本尊「阿弥陀三尊像」が安置されている。 「金堂」は国宝に指定されている。 |
その他重要文化財指定の主な建造物 |
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「金堂」の西側には「鐘楼」(左の写真)が建てられている。 「鐘楼」は寛永の再興時に建てられたものとされているが、朱塗りの鮮やかさから、同時期に建てられたという他の建物に比べ新しいように見える。多分、改修されてから時間が余り経過していないのであろう。 「鐘楼」は重要文化財に指定されている。 |
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「鐘楼」の西側に「御影堂」(左の写真)が建てられている。 「御影堂」も寛永の再興時に建てられたものとされ、桃山様式の建物で、内には、弘法大師、開山宇多法皇、仁和寺第二世大御性親王の影像が安置されているようである。 「御影堂」は重要文化財に指定されている。 |
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「中門」と「金堂」の間、参道の西側に「観音堂」(左の写真)が建てられている。 「観音堂」の内部は通常、拝観できないが、特別拝観として公開されることがある。内部には本尊の千手観音像と脇侍二十八部衆、風神雷神像が安置されている。 「観音堂」は重要文化財に指定されている。 |
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「中門」と「金堂」の間、参道の東側に「五重塔」(左の写真)が建っている。 その高さは36m余りで、寛永21年(1644年)の造営とされている。一般的に言って五重塔の屋根の大きさは上層のものほど小さくなっているが、仁和寺の「五重塔」は各層の屋根の大きさに大差がなく、江戸時代の特徴を示しているという。 「五重塔」は重要文化財に指定されている。 |
その他の文化財 |
仁和寺には上述のもの以外に数多くの国宝、重要文化財が所蔵されており、建造物を除き、これらの多くは、「中門」と「二王門」の間、参道の東側にある「霊宝館」に保管されている。 国宝に指定されている文化財の内、上述のもの以外に特に著名なもとして次のものが挙げられるのではなかろうか。 |
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仏像としては「阿弥陀如来座像及び両脇侍像」が有名であり、霊宝館の奥側中央に安置されている。仁和4年(888年)に仁和寺が完成したとき金堂に安置された本尊といわれており、その後の火災や応仁の乱にも被害を免れてきた。寛永の再興時にこの仏像がそれまでの本尊の座を、何故か新しい仏像に譲っている。 絵画には北宋時代11世紀に中国で制作された「孔雀明王像」(左のコピー:仁和寺発行の「仁和寺の名宝」パンフレットより)がある。 書蹟では空海が唐に留学していた時に、現地で書き写し持ち帰った経典「三十帖冊子」があり、空海(弘法大師)直筆の書として極めて貴重なものとされているようである。 |
国宝、重要文化財等の多くを所蔵している霊宝館は毎年、春と秋に公開されている。霊宝館に今まで3回訪れているが、3回とも「孔雀明王像」は国宝指定のオリジナルではなく版画が展示されていた。「孔雀明王像」のように著名なものはは公開期間中はオリジナルを展示してほしいものである。 |
2003年8月3日更新 |
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Yukiyoshi Morimoto