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所在地及びアクセス:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町 JR京都駅からJRバス「栂ノ尾(とがのお)」又は「周山」行きに乗車し、「栂ノ尾(とがのお)」で下車する。途中「四条大宮」を経由する(四条大宮を経由しない便もある:下記時刻参照)ので、阪急京都線を利用する場合は「大宮」駅で下車し、ここからJRバスに乗車することも可能である。京都駅から栂ノ尾までバス乗車時間約50〜60分。 「栂ノ尾」バス停のすぐ傍に高山寺への裏参道があり、高山寺まで徒歩数分以内。 JRバス京都駅発車時刻(8:00〜18:00のみ記載)は次の通り(2000年11月現在): 8:10、8:20(休日運休)、8:30、8:50、9:00、9:20、9:40、10:00、10:20、11:00、11:20、11:40、12:00、12:30、13:00、13:30、14:00、14:30、15:00(休日運休)、15:30、16:00、16:30、17:00、17:30(四条大宮を経由しない便)、18:00。なお、紅葉の季節の土日祝日の多客時は臨時バスが運転される。 |
![]() 高山寺の縁起: 高山寺は宝亀5年(774年)に光仁天皇の勅願によって華厳宗寺院として開創され、神願寺都賀尾坊と称したと伝えられている。弘仁5年(814年)には度賀尾十無尽院に改称、また、平安時代初期には天台宗の寺院となり、度賀尾寺(とがのおじ)と改称されたといわれている。その後、一時荒廃したようであるが、平安時代末期には文覚によって再興されたという。 建永元年(1206年)に後鳥羽上皇の院宣により、華厳宗復興の道場として明恵上人に与えられ、高山寺と称するようになったと伝えられている。 承久元年(1219年)には金堂に本尊が安置され、参詣者も増えたようであるが、天文16年(1547年)には細川晴元の放火により、石水院以外は全焼したとされている。その後、復興に努め、旧観近くまで回復したのは寛永13年(1636年)だったといわれている。 |
![]() 参道、寺標: バス停の傍から裏参道がついており、この「裏参道」を上がると「石水院」の横に出る(左の写真)。 裏参道は道幅が狭く、多人数が容易にすれ違うことのできない場所もあるが、バス停や駐車場に近いためか、裏参道の方がよく利用されているようで、寺の案内、解説板もこちらの方が充実している。 |
![]() 表参道はバス停、駐車場から数十メートル京都寄りの方につけられており、表参道は裏参道に比べ道幅はかなり広い。「寺標」は表参道の入口にある(左の写真)。 高山寺は森の中に建物が点在しており、まさに山寺という感じの寺である。今でこそ国道が通っており、車で容易に訪れることができるが、かつては、鬱蒼とした山中にあり、厳粛さ、静寂さは今とは比較にならないものがあったと思われる。 高山寺には普通大きな寺にあるような山門は表参道側、裏参道側共に見られない。 紅葉の季節には両参道の途中に入山料を徴収する場所が設けられており、境内に入るのが有料となる。 高山寺境内は国史跡に指定されている。 |
![]() 石水院、明恵上人: 裏参道を上りきると「石水院」の入口に当たる小さな門に着く(左の写真)。高山寺で山門らしきものはこれだけである。 門をくぐって左に折れると石水院拝観の受付があり、ここで拝観料(年中有料)を払って、右手の廊下を進むと「石水院」の中に入ることができる。 「石水院」は明恵上人が後鳥羽上皇から賜った学問所とされており、建てられたのは13世紀前半といわれているが、寛永14年(1637年)に改造されているという。 |
![]() 現存の「石水院」(左の写真)は、かつて金堂の東側にあった建物を明治21年(1888年)にこの場所に移したものといわれている。 旧石水院跡は今でも見ることができ、石段の上にあるが、荒れ果てており、まるで廃墟のような状態になっている。 「石水院」は移築に際し改造されたらしいが、鎌倉前期の建築で、明恵上人時代の唯一の遺構とされている。 「石水院」は国宝に指定されている。 |
![]() 「石水院」には一般の住居にあるような雨戸が見られず、雨戸に代わるものが通常時は吊り上げられているように見える(左の写真)。いずれにしても、造作は極めて簡素である。 室内と外との間の隔壁は事実上無いに等しく、察するところ、風雨の強い日を除き、スケスケの状態の住居で明恵上人は修行していたのであろう。冬などはずいぶん寒かったものと思われるが、上人にとっては周囲の自然と一体となった生活の方が良しとしたのであろう。 |
![]() 高山寺の開基となった明恵(みょうえ)上人は紀州の生まれで、文覚上人や、叔父の上覚上人に師事した。常に釈迦牟尼世尊に随順し、清純無私、真の仏弟子として修行に励んだとされている。左のコピーは、鎌倉時代初期、13世紀に描かれた「明恵上人樹上坐禅像」の一部分であるが、一人静かに山中の樹上で坐禅し釈迦に随順する明恵上人の姿、心情が見事に描かれており、心打つものがある。 明恵上人は自戒の人であり、生涯を女性と交わることなく過ごしたと伝えられている。ただ、明恵を慕う若い尼たちがおり、たびたび欲望にとりつかれたが、不思議な妨げにより過ちを犯すことがなかったという。 上人は釈迦の在世を慕いインド渡来を切望していたが、春日明神の神託により果たせなかったといわれている。 「明恵上人樹上坐禅像」は国宝に指定されており、オリジナルは京都国立博物館に寄託されているが、複製画が「石水院」内に掛け軸として架けられている。 |
![]() 日本最古の茶園: 石水院の門の横、参道を隔てて西側には竹製の柵に囲まれた「茶畑」があり、そばには「日本最古之茶園」と書かれた石柱の標識が立っている(左の写真)。 鎌倉時代初期に栄西禅師が宋から茶種をもって帰国し、明恵上人に贈った。明恵上人はこれを栂尾山に植え、その後、宇治その他の土地に移し植えられたという。以来、栂尾は茶の発祥地とされ、鎌倉時代後期〜室町時代には日本第一の産地となり、毎年天皇にも献上されていたといわれている。 茶は僧侶の修行の妨げになる眠気を防止する作用があるとされ、寺では広く栽培されていたというが、真偽のほどは不明である。 |
![]() 開山堂: 「石水院」横の参道を上がると、参道右手に聖観音像、その東側に「開山堂」が建っている(左の写真)。 この場所には明恵上人晩年の頃の草庵禅堂院があった跡と伝えられており、堂内には「明恵上人坐像」が安置されているようである。 「明恵上人坐像」は重要文化財に指定されている。 |
![]() 明恵上人御廟: 「開山堂」の上には明恵上人の「御廟」がある(左の写真)。 「御廟」には明恵上人が詠んだ歌『山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ』が書かれた碑が立てられている。 毎年11月8日には茶業者が訪れ、その年の自家製の新茶を廟前に供える献茶式が行われるようで、2000年11月8日にも上述の「開山堂」でその法要が行われていた(開山堂の写真参照)。 |
![]() 仏足石: 「明恵上人御廟」から西側に一寸進むと「仏足石」がある。 「仏足石」のもつ意味は素人の私にはよくわからないが、高山寺の境内には『仏足石参道』の石碑が立てられているところから見て、この「仏足石」には特別な意味があるのかもしれない。 「仏足石」の前を通り、木の根の絡んだ狭い道を西の方へ上がると、「金堂(本堂)」に着く。 |
![]() 金堂(本堂): 「金堂」(左の写真)は高山寺の最も奥に位置しており、表参道は真っ直ぐ本堂に通じている。 現存の「金堂」は寛永11年(1634年)に仁和寺から移し復興されたものといわれており、本尊の釈迦如来像が安置されている。 華やかな感じのする「石水院」とは異なり、「金堂」は平凡な造りのように見え、その規模も特別大きいものではない。周囲の環境のせいか静寂そのものであり、何となく裏寂しく、世界遺産に登録されている寺の本堂という感じがしない。 「金堂」は重要文化財に指定されている。 |
高山寺所蔵の著名な文化財: 高山寺には実に数多くの文化財が所蔵されているようであるが、建造物以外は殆ど公開されていないと思われる。 国宝に指定されている8点の文化財の内、特に著名なものに、上述の建造物「石水院」、絵画「明恵上人樹上坐禅像」の他に絵画「鳥獣人物戯画」がある。 「鳥獣人物戯画」は12世紀後半の作とされ、漫画の原点といわれている。オリジナルは京都国立博物館に寄託されており、石水院内には複製画が展示されている。 |
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Yukiyoshi Morimoto